やまろぐ☆つあれぽ

海外登山&トレッキングツア専門の
添乗員の自由日記と
家事育児の日常♪

石見銀山  

2021-06-07 13:38:08 | 山旅(国内)
5月の山陰ツアーの後半は島根県の温泉津温泉に
泊まった。
ここの「うらぶれた」と書いたら失礼かもしれないけど
この小さな静かな、どこか懐かしい、古い感じがむしろおしゃれでさえある
落ち着く、のどかな寂れた雰囲気の温泉津温泉の港は
日本の中世の頃は石見銀山の繁栄と合わせて、とても賑やかなところだったというのが
驚き。


ここのお湯、柔らかくて、美肌になりそう。


早朝歩いてみた。
タイムスリップしたかのよう。



石見銀山

石見銀山から銀を掘り出していた頃は
日本海の港(温泉津温泉のほう)や、
中国山地を越えて、鞆の浦とか尾道の方にも運んでいた。

今は自然が残るだけの石見銀山。山間にそのかつての様子を
想像してみると面白い。
室町時代に発見され、毛利、尼子、大内氏など戦国武将たちも
所有を巡って争った。
狭いこの谷合東西1キロ南北3キロに139ものお寺があったのだって!

廃仏毀釈でお寺は神社になったものの、ミックスな造りが残ってる。


武士も商人もごちゃ混ぜに住んでいたの。
この前に行った佐渡の金山の方は全国から
働く男たち(だけ)が集められていたけど、この石見銀山には家族が住んでいたみたい。


今で言うところの霞ヶ関、銀座、豊洲、そういった
役割の場がここにあったの。
(信じれん!)

そして、今は木々の緑に覆われているこの山の下には
眠ったままの石段や建物の跡が残っているようなの。

(信じれん!)

山の緑を取り除いたらマチュピチュみたいな
街の跡が出てくるかもね。
そして、地下には、人力で掘り進めた
抗脈が残っている。

当時の男性の平均身長152センチでも、屈まないと進めないような
小さなトンネル。(間歩)高さ120センチ、幅は60センチが
石見の規格サイズ。硬い岩盤を、5人の堀り師が25区画に分けたところを
一日5交代で掘り進んでいくんだけど、30センチ掘るのに5日から1週間かかっていたの。

壁にはその区画の跡や、
はあ、ため息が出る。苦労のあとが感じられるよ。



目線より少し上の天井に一匹のテングコウモリ。
こんなに間近で無防備に寝てるのをみたのは初めて。








明治時代に作られた精錬所跡
今の価値で20億円くらいつぎこまれたものの、銀は取れず
一年半で閉鎖。

街並み保存地区








500年、600年前にここでどんな光景が
広がっていたのかと、
わたしも、ご参加のみなさんも、想像と好奇心が
沸きたった


ガイドさんから聞いたことの
1/20くらいのことを書いてみた
これはほんの一部。




旅っていいものだよね。