忘れられない言葉
日光東照宮の「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿を見た時には、正直がっかりしてしまった。もちろん三猿自体は素晴らしいものだが、問題はそれが神厩舎の長押上に施されていることだ。ここでも猿は馬と一緒にいる。
子供の頃には優等生の姉に劣等感いっぱいで育った。結婚してからは三人の子供の子育てに追われる日々だった。申年生まれの私と、午生まれの姉と夫。「昔から猿は馬の病気を治すと言われている」と説明されているのだが……。「猿は馬の付け足し」と言われているようで、背中で眠っている次女がやけに重く感じられた。
「猿は馬の病気を治すだけではないンだよ」その時一緒に行った父が言った言葉が忘れられない。「河童は馬を水の中に引きずりこんでしまうのだが、猿が怖い。だから猿が馬の傍にいると、河童は馬に手出しができないのだよ」と言うのだ。「そうか猿は馬を守っているのか」と思うと、なんだか晴れやかな気持になった。
六十数年間、申の私の傍にはいつも午がいる。申の私が守っていると思っていたが、本当は二匹の午に守られているのだろう。
日光東照宮の「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿を見た時には、正直がっかりしてしまった。もちろん三猿自体は素晴らしいものだが、問題はそれが神厩舎の長押上に施されていることだ。ここでも猿は馬と一緒にいる。
子供の頃には優等生の姉に劣等感いっぱいで育った。結婚してからは三人の子供の子育てに追われる日々だった。申年生まれの私と、午生まれの姉と夫。「昔から猿は馬の病気を治すと言われている」と説明されているのだが……。「猿は馬の付け足し」と言われているようで、背中で眠っている次女がやけに重く感じられた。
「猿は馬の病気を治すだけではないンだよ」その時一緒に行った父が言った言葉が忘れられない。「河童は馬を水の中に引きずりこんでしまうのだが、猿が怖い。だから猿が馬の傍にいると、河童は馬に手出しができないのだよ」と言うのだ。「そうか猿は馬を守っているのか」と思うと、なんだか晴れやかな気持になった。
六十数年間、申の私の傍にはいつも午がいる。申の私が守っていると思っていたが、本当は二匹の午に守られているのだろう。
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