草むしりしながら

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草むしり作「わらじ猫」中14

2020-02-20 17:10:43 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」中14 
大久保屋の大奥様⑭
噂は真実を駆逐する

「如何でしょうか大奥様タマはお蔵に、おなつは大奥ということでは」
 しばらく考えこんでいた鈴乃屋は、そう言った。タマだけ連れていって、お城でイタチなんか暴れさせたら、こっちの首が飛ぶと思ったのだろうか。
 した働きの女中から大奥勤め、本人のおなつが衝天して口が利けぬ間に話がどんどん進んでいった。

「お仲、早速昨日の反物を仕立ててやっておくれ。それから誰か目黒に使いをやっておくれ、ついでに太助の秋刀魚も届けてもらおうね。太助お前さんは長屋の両親にこのことを伝えておくれ。なに親代わりはこの大久保屋が引き受けるから、何にも心配すること無いってね。それからお関を呼んでおくれ。大久保屋から初めて大奥勤めが出るんだ、いろいろと準備もしてやらないとね」

「大久保屋のタマが公方様お抱えになるんでございます。また例のかわら版屋が書きたてることでしょう。しかし下手に隠し立てして、あること無いこと書き立てられても困りもんです。お蔵の鼠騒動の件が知れ渡ると、手前どもの首が飛んでしまいます。ここはひとつかわら版屋を出し抜くとしましょう」
鈴乃屋は自分の妙案に気をよくして大久保屋を後にした。草履を履いて表に出ようとする鈴乃屋の足元にタマがじゃついてきた。

―ずいぶんと現金な猫だな。
鈴乃屋はタマと遊び始めた。そのようすからすると、ただの猫好きの男にしか見えなかったのだか。しばらくして表に出た鈴乃屋の羽織の裾を、冬の寒さを含んだ風がハラリと舞い上げた。鈴乃屋はこれ見よがしに羽織の裏をひるがえして見せている。よく見ると羽織の裏地は、下に着ている着物の柄と同じだった。見えないところにも拘っている洒落者なのだろうか、それとも着丈が小さいので大量に余った布をただ利用しただけなのだろうか。

 鈴乃屋の打った手は猫のお練行列だった。
 隠すから暴きたくなる。ここはひとつ正々堂々と行こうというのだ。今度お城に行く猫たちは鈴乃屋が心血を注いで集めた猫たちで、タマを初めとしていずれ劣らぬ鼠捕りの名手だ。せっかくの猫たちだ、輿に乗せてお城まで練り歩こうというのだ。
「『ほれまた鈴乃屋の猫自慢が始まった』世間様はそれ位にしか見やしません」
鈴乃屋が大久保屋を訪れてから三日後にお練行列は出された。

 紋付羽織袴姿の鈴乃屋を先頭に行列が続く。さすが自慢の猫である。奴が担ぐお輿に乗せられて市中を練り歩くわけだが、どの猫も堂々としたものだ。大勢の人垣に驚いて逃げ出したり、暴れたりするもはいない。中でも赤トラ青トラと名づけられた二匹の雉猫は人々の注目を浴びた。

「見ろよ、あの猫を。南蛮から取り寄せた山猫を掛け合わせて作ったって噂は、どうやら本当らしいな」
「ああ、鼠の生餌だけ食わせて育てたって聞いたが。どうやら本当のようだな」
「見てみろよ、あの面構え。そこいらにはちょいと居ない顔だね。冷たくって鼠を捕るために生まれてきたような顔しているよ」
「おいら嫌だねぇ、あんなからくり仕掛けみたいな猫。温かみも愛嬌も何もない」
「あら、あたしは好きだわ、あんな猫。第一珍しいじゃないの。出来たらもう少し小さくて、毛が長いのがいいけど」
「鈴乃屋は南蛮から珍しい猫を取り寄せているって聞いたが、今にそんな猫も出てくるんじゃないかな」
「そう簡単生まれるモノなのかしら」
「百匹生まれた中の一匹は二匹らしいで、これはって猫ができるのは」
「だったら後の九八匹の猫はどうなるの」
「そこが鈴乃屋のぬけ目のないところだって、三味線屋と組んでいるって噂だ。何でもそっちのほうの実入りの方がいいって聞いたぜ」
 
 憶測が噂を呼び、噂は真実を駆逐する。それでも鈴乃屋善右衛門の猫自慢、猫のお練行列は続いた。

「あれが大久保屋のタマか」人々の目は行列の最後尾のタマに向けられた。
 なんせかわら版を賑わせた猫だ、一目に見ようとタマの周りには大きな人垣ができている。タマは輿の上で腹ばいになり、前足を胸の下に折りたたんで香箱座りをしている。よく見ると、下を向いて目をつぶって居眠りをしている。

 見物人は意外に小さいだの、何処にでもいそうな猫だの言っているが、知らん顔で眠ったままだった。それでも人々は輝くような毛並みの美しさと愛嬌のある小さな丸い顔に惜しみない喝采を送った。
「よ、大久保屋のタマ」何処からかそんな掛け声が湧き上がった。
聞こえたのかどうかは定かでないが、タマはおもむろに顔をあげて、大きなあくびを一つした。
「いやたいした猫だね。この場で居眠りとは、肝が据わっているねぇ」
人垣のあちらこちらでそんな声が囁かれている。

   タマのお輿に後ろにはおなつが歩いている。おなつこの一年の間に手足のほうが以前にも増してぐっと伸びたようだ。一緒に奉公をしていたお仲よりは頭ひとつ分背が高くなり、その上力仕事が得意で米俵などもひょいと担いでしまう。そのせいだろうかどうも肩幅が広い。俗にいういかり肩というやつで、実のところ男物の仕立てのほうが似合いそうな体格だった。
 ところがお仲が一晩で仕立てあげた小袖は、その長い手足やいかり肩が粋に見えるくらいに似合っていた。なんだか売れっ子の役者に見間違えそうなくらいに、見栄えがいい。たぶんお仲の仕立てが上手いのだろう。
   これもお仲の仕立てだろう、タマはとも布で作られた首輪をしている。普通だったら残り布で巾着くらいは作れるのに、おなつの場合はタマの首輪くらいにしか布が残らなかったのだろう。

   タマとおなつを見送りながらさっきから太助は涙が止まらなかった。大久保屋ではお祝いのたる酒が割られ、集まった子どもには紅白の饅頭が配られている。お秀の指図に従い女中たちは沿道の見物人に酒を振舞っている。
 饅頭をもらおうと並んでいる子どもたちのはしゃいだ声や、振る舞い酒に気を良くした男たちの喋り声が遠くに聞こえ、太助はただ涙が出るだけだった。

「太助さん、お祝いだよ。そんなしみったれて顔してないで一杯おやり」
お秀に声を掛けられても、太助はただうつろに笑うだけたった。
「あれ大変だ。お仲、お仲ちょっと来ておくれ」
お秀が驚いてお仲を呼んだ。
「どうしたの、太助さん」
「お仲ちゃん、もうついて行けなくなくなっちまったよ。おいらずっとおなっちゃんの奉公先に出入りしているだろう。九つのときに米屋に奉公に出たときなんか、おいら心配で仕方無かったんだよ。なんだか年の割りに体がでっかくて、丸太に手足が付いたようでな。頬っぺたが真っ赤で顔の色なんか真っ黒で、おいら苛められているんじゃないかと思うと、気になって気になって仕方なくって、米屋によく顔を出したものだったよ。米屋から大久保屋、やっぱり心配だったんだよ。でもな、もういくら心配してもようすを見に行けなくなっちまったよ。いくらおいらでも大奥にまで御用聞きには行けねぇよ……」
「太助さん……。だめよ、行かなくちゃ。おなっちゃんが苛められたどうするの。太助さんわたしね、子供の頃におとっつぁんとおっかさんが死んじゃったの。それからは親戚をたらいまわしにされて育ったのよ。何処に行っても厄介者でね、何か言うと『厄介者は黙っておいで』って言われたわ、だからほんとに黙っていたの。そしたらね、今度は何にも言わないヒニクレ者だって言われたの。だから今度は意地になって何にも喋らなくなったの。だけど、いくらわたしが意地になって喋らなくなっても、それに気づいてくれる人なんか誰もいなかったの。さびしいものよ、誰も気にしてくれる人がいないって。それが大久保屋に奉公に上がってすぐだったの、大奥様がね『お前は本当によく働くね』って誉めて下さったの。ああわたしのことを気にかけてくれたんだなって思うと嬉しくて、お礼を申し上げようとしたの。そのとき気づいたの、自分が喋れないのだってことが。その上ニッコリ笑おうとしたのだけど、泣き顔しか出来なかったの」

 お仲は太助に今まで誰にも話したことのない自分の生い立ちを話し始めた。太助はお仲の手を握り締めながら、初めて会ったときのお仲の泣き出しそうな顔を思い出していた。
「だからね、太助さん。タマがついていたって安心できないわ、大奥は女の園よ。いいえ伏魔殿よ。うわべは花園だけれども、奥には魔物が住み着いているの。太助さんが行ってあげなくちゃダメなのよ、おなっちゃんが魔物に食われてしまうは。頑張りましょう。いつか大奥御用達商人になれるように。わたしだってがんばるわ。二人で頑張って大奥におなっちゃんの様子みにいけるようになりましょう」
お仲は太助の手を握り返した。

「お仲ちゃん、おいら成って見せるからな、きっと大奥御用達商人になってみせる。明日から酒も賭け事も止めて、死んだ気になって働くからな」
「何だって太助、お前賭け事なんかやっているのかい」
 いつのまにか大奥様が二人の傍にいた。大奥様の後ろではお秀が太助を睨んでいる。
「いいえ滅相もございません。賭け事って言ったって、湯屋の二階でやっているつめ将棋でございまして。ほんの軽いものでございます」
「賭け事は賭け事で、軽いも重いもありゃしませんよ。お仲おいで、この縁談少し考えさせてもらわないとね」
「大奥さまそんな殺生な。止めます、止めます。金輪際賭け事には手をだしません。大奥様、大奥様………」

   見物人でごった返す中を、お仲の手を引っ張るように歩く大奥様を追いかけて、太助は大久保屋の店の中に消えていった。



  



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