草むしり作「ヨモちゃんと僕」前21
(春)イノシシ母さんとウリ坊たち⓵
ぼんやりとした春の夜空に、まん丸なお月さまが昇りました。月の光は屋根の瓦を優しく照らし、庭の飛び石を白く浮き上がらせました。眠ってしまうのが惜しくって、僕はこっそり家を抜け出しました。
何か面白いことはないかと思いながら、僕はミモザの木の下にやってきました。ミモザの木は枝がたわんでしまうくらいに、黄色い小さなボンボンのような花を無数に咲かせています。昼間忙しそうに蜜を運んでいたミツバチたちも、今は疲れて眠っているのでしょう。月の光の下でミモザの花は金色に輝き、甘い蜜の香りを漂わせています。
「………」
竹林の方から誰かがヒソヒソと話す声が聞こえてきました。
「お母さん、お腹すいたよ」
目を凝らしてみると、暗がりの中にイノシシの親子がいました。大きな体の母さんの後ろには子供のたちがいます。子供たちは全部で五匹、体の大きさは僕と同じくらいで横に縞模様が走っています。お父さんが言っていたウリ坊って、この子たちのことだとすぐに分かりました。
イノシシの親子は、お父さんの張ったネットの前で立ち止まったままです。きっとネットが邪魔をして中に入って行けないのでしょう。お父さんの喜ぶ顔が目に浮かびました。でもようすが少し変です。よく見ると母さんのイノシシがネットをくわえて、クチャクチャと口を動かしています。
「ほら、開いたよ。母さんは外で待っているから、自分たちで筍を掘ってごらん」
イノシシ母さんはネットを食い破って、子供たちが入れるくらいの穴をあけてしまいました。食い破られたネットを見て、お父さんはきっと悔しがることでしょう。
「母さんは来ないの」
最後に残った一番小さなウリ坊が聞きました。
「母さんはここで待っているからね、心配しないでお行き。お腹が空いただろう。母さんはさっき落ち葉の中のミミズをたくさん食べたからね、今はお腹がいっぱいなのだよ」
小さなウリ坊が兄さんたちの方に走って行きました。
「あったぞー」
一番大きなウリ坊が声をあげました。てんでに筍を探していたウリ坊たちが集まって、鼻先で土を掘り始めました。ウリ坊たちの丸いお尻の先の、小さな尻尾が楽しげに揺れています。
「ま―ぜーてー」
僕は柿の木に登って、竹林の中を見ていました。でもウリ坊たちがあんまり楽しそうにしているものだから、思わず声を掛けてしまいました。
「いーいーよ」
誰かが返事をしました。僕は嬉しくなって柿の木から飛び降りると、ウリ坊たちの中に入って行きました。一番小さなウリ坊が僕に気づいたのか尻尾を振っています。でも他のウリ坊たちは、僕のことなどまったく気付かないようです。
「誰だ、お前」
一番大きなウリ坊が僕に気がついたのは、三本目の筍を食べ終わった時でした。
「僕は保健所にはいかないよ」
「おいらは罠にはかからないよ」
僕たちは鼻と鼻をチョコンと合わせて挨拶をしました。
「おいらは罠にはかからいよ」
「あたいもかかったりしないよ」
「僕だってそうだよ」
ウリ坊たちの挨拶が終わるころには、僕たちはもう友達でした。それから一緒になって筍を掘り始めました。土はとても固いのですが、ウリ坊たちは器用に鼻先で掘っていきます。僕はツバメの教えてくれた、象という大きな動物のことを思い出しました。
「あのね。南の国には、鼻が長くて体がとてつもなく大きな動物がいるンだよ」
僕は知ったかぶりをして、ウリ坊たちに象の話を始めました。
「え、どれくらい鼻が長いの。体は母さんよりも大きいの。聞かせて、聞かせて」
ウリ坊たちが目を輝かせて、僕の周りに集まってきました。
「象と言うのはね、南の国の生き物でね。大きな家の中に猫と一緒に住んでいるンだ」
僕はツバメから聞いた話を、さも自分が見て来たように話し始めた時でした。
その時でした。
「危ないよ、戻っておいで」
暗闇の中から危険を知らせるイノシシ母さんの声が聞こえてきました。慌てて母さんの所に戻って行くウリ坊の後について、僕もイノシシ母さんの所に行きました。
「静かにおし。若い雄が二匹、近くをうろついているよ。母さんがこれから追っ払って来るから、お前たちは見つからないように隠れているのだよ。あいつらは腹を空かせたはぐれイノシシだよ。欲しいのはおいしい食べ物と、自分の縄張りだ。そのためにはお前たちが邪魔で仕方がないのさ。あいつらに見つかったら、お前たちは殺されてしまう。だからしっかり隠れているンだよ。それから人間に見つかってもいけないよ。鉄砲で撃たれてしまうかね」
イノシシ母さんはそう言い残して、暗闇の中に消えて行きました。僕たちは竹林の外れの藪椿の木の下で、体を寄せ合って隠れました。息を殺して暗い竹林の中で、イノシシ母さんを待っていました。
「母さん、遅いね」
一番小さなウリ坊がポツリと呟きました。ぼくは前にどこかで、同じような気持ちになったことがあると思いました。でもそれがどこだったのか、どうしてそんな気持ちになったのかは、思い出せませんでした。でもとても不安だったことだけは覚えていました。
「心配いらないよ、母さんはきっと帰っくるよ」
僕は今にも泣きだしそうなウリ坊を抱きしめて、毛繕いを始めました。
「そうだね、心配いらないね」
ウリ坊はやがて小さな寝息を立て始めました。
遠くで争うような声が聞こえ、体を激しくぶつけあう音がしました。数匹の動物の入り乱れた足音が遠のくと、暗い林の中は不気味なほど静かになりました。
頭の上からポトリと何かが落ちてきました。僕は驚いて目が覚めました。いつの間にか僕は眠ってしまったようです。体を寄せ合って眠っているウリ坊たちの上に、赤い花が一つ落ちていました。
「椿の花か……」
僕は藪椿の木を見上げました。藪椿の枝先の緑色の葉っぱが揺れて、赤い花がもう一つ落ちてきました。
「何かいる」
僕はそっと起き上がると、地面に伏せてもう一度枝先が揺れるのを待ちました。
「さあ、家に帰るよ」
微かに枝先が揺れた瞬間、突然イノシシ母さんの声が聞こえてきました。ウリ坊たちが起き上がったとたん、赤い椿の花がポトリとまた落ちてきて、枝の間から鳥が飛び立ちました。ヒヨドリが椿の蜜を吸いに来たのでしょう。気が付くと辺りはすっかり明るくなっていました。