草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

ズキズキ ワクワク

2024-02-15 07:58:21 | 日記

 ズキズキ ワクワク

 昨日は暖かかったですね。今日はもっと暖かくなるのだとか。まだ寒いままでよかったのに。そんなこと思っているのは私だけでしょうか。

 今年は梅の花も早く咲いたようですね。昨夜のニュースは湯島天神の梅が満開だと伝えていました。いつも行く公園には梅の木が無いので、気がつきませんでした。春はとっくに近くまで来ていたのですね。

 それでもどこかに春を見つけたくて、あたりを見回しました。ありました。雪柳の枝に小さな花が一輪咲いていました。でも椿の下の沈丁花はまだのようです。

 毎年沈丁花の花が咲いたら、春まきほうれん草の種をまきます。そうすると五月の連休頃から食べられるようになります。

 ただ私的にはこの夏ほうれん草は、あまりおいしとは思いません。だからたくさんは撒きません。しかしこのほうれん草が食べられる時期は、ちょうど春の端境期になるので、その頃ほうれん草があると助かります。

 三月になったら生家に戻り、また畑仕事をします。まずはジャガ芋を植え、人参とゴボウの種を播きます。人参は同じ場所に植えた方がよく育つので、今残っている人参を全部抜いて、同じ場所にまきます。

 反対にゴボウの方は連作を嫌うので、毎年違う場所に撒きます。滝野川ゴボウが本当はおいしいと思うのですが、ゴボウは下に下にと伸びていくので、掘るのが大変です。

 そこで土をなるたけ高く寄せて、長く伸びないサラダゴボウを植えます。それでも2/3のくらいしか掘ることがでません。ゴボウは下の方のおいしいのですがね。残念です。

 そこで今年は11月にもみ殻や米ぬかなどを鋤きこんで土作りをしました。管理機で深く耕して水をたっぷりとかけ、上からビニールシートを被せました。うまく米ぬかが発酵してホクホクの土ができているといいですが……。

なんだか畑のことを考えると、心がウキウキしてくるから不思議ですね。でもその前にズキズキすることもあるんですよ。花粉が飛ぶんですよね。昨日あたりから飛んでいますね。

 私自身は花粉症ではないのですが、夫がひどい花粉症なのです。マスクとゴーグルみたいね眼鏡で何とかしのいでいます。なんだか見ていて気の毒になります。

 私にできることは洗濯物を取り込むときに、パタパタと花粉をはたき落とすくらいです。でも自分は花粉症ではないので、果たしてそれで花粉が落ちたかどうかも分かりません。勢い洗濯物を力いっぱい振り回してしまいます。

 そのせいか春になると腕が痛くなります。何とかいい方法はないかと考えた末、花粉ブロック効果のある柔軟剤を使ってみようと思いました。

 そこで昨日は花粉の舞い散る中、柔軟剤を買いに薬局に行きました。うまく花粉がブロックできるといいですね。

春はズキズキで始まり、次第にワクワクしてきますね。朝ドラの見過ぎかな?


旧正月

2024-02-13 09:44:35 | 草むしりの幼年時代

旧正月

 今年の旧正月は二月十日でしたね。中国では「春節」と呼ばれ、盛大にお祝いするそうですね。また韓国やベトナムなどのアジア各国もお祝いをするそうですが、残念ながら日本ではこのような伝統はありません。

 しかし私の子どもの頃には、旧正月にはお餅をついていました。ちょうどその頃が一年中で一番寒い時期なので、寒餅(かんもち)と言っていました。当時は臼と杵とで家族総出の半日仕事でした。

 餅は一度にたくさんついて、家じゅうでいちばん寒い座敷に並べて乾燥させていました。また普通の白餅の他にもかき餅も作っていました。

 昔は家で冠婚葬祭を行っていたので、4人くらいが座れる細長い座卓がたくさんありました。生家には中二階(ちゅうにかい)と呼ばれる、一階と二階の間に高さが1メートルくらいの物置部屋がありました。普段はそこに仕舞ってあったのですが、餅をつく時は必ずそこから出してきて、座敷いっぱいに広げていました。

 座敷中に座宅が並べられ、その上にたくさんの餅が置かれている。それが私の旧正月の思い出です。お年玉もなければ学校も普段通りです。これのどこがお正月なのだと思っていました。

 それからしばらくして電動餅つき機ができて、手軽に餅がつけるようになったからでしょうか。合わせて食が多様化したこともあるのでしょうが、寒餅を大量につくことはなくなりました。またそれと前後するように、旧正月のことも誰も言わなくなりました。

 ただ九九歳まで長生きした伯母の中では、旧正月がまだ存在していました。

「旧正月には帰っておいで」とダイヤル式の黒電話で、一番下の弟に電話をしたとか。

 伯母が亡くなる二年ほど前に、そんな話を聞いた覚えがあります。そういえば確かに旧正月には親戚の小母さんたちが家に来たような気がします。昔はいったん家に来ると何日が泊まっていった覚えがあります。そのような風習も車で移動できるようになって、いつの間にか無くなってしまいましたね。

 さて今日は天気も良く暖かくなりましたね。明日はもっと暖かくなるそうですね。もう寒の戻りはないのでしょうか?花粉も飛びはじめ、また憂鬱な季節になりましたね。こうなるともう寒餅なんかもつけませんね。座敷なんかに並べておくと、カビだらけになってしまって大変ですねからね。すぐに冷蔵庫にいれなければなりません。

 でもあの餅の表面がカチカチに乾いた餅は、焼くとおいしかったですね。炭火で焼いているとぷっくりと膨らんできて、それを砂糖と醬油を混ぜあわせたどんぶりの中に浸して、最後もう一度焼き直す。

 ああして焼くと味が染みておいしかったですね。できればもう一度食べたいものですね。

 


竹吉優輔「レミングスの夏」

2024-02-09 12:31:09 | 読書記録

竹吉優輔「レミングスの夏」

  二〇一四年、八月十七日

 僕たちは小高い丘に立っていた。モトオは四年前夏の計画を、中二病だったのだといった。あの計画に誰よりの必死だったヨーコは夢を見つけ、ミトは今でもみんなのことを祈り続けている。だがここにナギはいなかった。

 ナギは孤独に計画を練り上げ、僕たちを誘った。僕たちはナギと共に全力で戦った。そしてナギは僕たちの前から消えた。

 あの夏僕たちはレミングスと名乗り、市長の娘の白石宏美を誘拐した。レミングスとは集団で移動し川や海を渡り、新天地を目指す鼠のことだ。僕たちなら必ずやり遂げられる。そして新天地にたどりつける。僕たちはそう信じていた。

 その夜白石宏美の携帯から父である市長への要求を送りつけた。

「あなたの手腕は認めている。しかし改革を急ぐあまり、古きよきこの街を蹂躙しようとしている。我々はあなたに要求する。あなたが以下の六箇条をすべて守るなら、娘は八月末日には無事に戻るだろ。

 街を思うなら。誠意を見せてほしい。我々は心から、平和を望んでいる」

 六つの条件はいずれも町に古くからある施設の解体や運営にかかわるのもで、市長の独断で決定できるものばかりだった。市長が推し進めている開発計画の反対派の犯行のように見せかけたのだ。誰も中学生のやったことだとは思わないだろう……。

 

 中学二年の夏、彼らは何故こんな誘拐事件を起こしたのだろうか。事件の真相はフラッシュバックのように一瞬垣間見られるのだが、全容は最後の最後まで分からない。そこが気になって読みつづけてしまう。

 果たしてフレミングスの鼠たちは新天地にたどりつくことができたのだろうか。それとも途中でおぼれ死んでしまったのだろうか。


本能ですね

2024-02-08 10:49:07 | 猫自慢

本能ですね

 昨日は十時頃から図書館に行きしました。前日に降った雪が、まだあちこちに残っていました。 

 溶け始めた雪を踏むとギュウギュウと音がして、子どもに戻ったみたいで楽しくなりました。あちこちに残った雪を踏みしめながら歩いていると、歩道の上に猫がいました。

「やっと会えたね」

 私は猫に声をかけました。前にこの猫に会ったのは四年くらい前でした。

 地域猫にしてはきれいだし、飼い猫にしては外にいる。どちらとも判断はできないのですが、全体が長い毛に被われており尻尾なんかフサフサです。もうちょっと手入れをしてやったらゴージャスな猫になるだろうに。そこのところが地域猫か飼い猫なのか、判断に困るところです。

 そしてこの猫、私が以前飼っていたラッキーという名前の猫にそっくりなのです……。

 ラッキーは台風の日に道路に倒れていました。雨に打たれ、隣には既に冷たくなってしまった兄弟猫がいました。どうにも見捨てることができずに拾ってきたのです。

 その時は普通のキジ猫だと思っていたのですが、大きくなるにしたがって長毛になっていき、尻尾がフサフサになってきました。

 そのフサフサ尻尾を体にくるりと巻き付けて、座る姿がとても優雅でした。目ヤニや怪我で、何度か動物病院のお世話になりましたが、待合室では大人しく私の膝に抱かれているような子でした。

 あの時も動物病院の待合室はとても混んでいました。患者さんの話によれはウサギの診察に時間がかかっているとのことでした。ほとんどの飼い主さんは猫やら犬がじっとしていないので、外に連れ出していました。

 でも私はラッキーを抱いて待合室で待っていました。私にはラッキーがおとなしく待っていられるという自信があったのです。

 ただもう一組、自信満々の飼い主と犬がいました。立派なものです。椅子に座っている飼い主の横で伏せをしたままじっと順番を待っています。私は念のためラッキーの首輪をつかんでいましたが、その人はリードも何もつけていません。

「その猫ノルウェージャンフォレストキャットですか?」

「えっ、これですか?道端で死にかけているのを拾って来たんですよ。蚤がいっぱいついていたから、たぶんノラ猫ですよ」

 なんて会話していたら、ウサギが診察室から出てきました。まあ、なんて可愛いでしょう。フワフワで小さくて、ミンクのファーのようです。先生が時間かけて診るはずですね。

 一方ラッキーの方は待ちくたびれたのか、私の腕の中で寝ています。ワンちゃんの方はといいますと、同じ姿勢で待っています。立派ですね。でもなんとなくソワソワしています。おや口からよだれがいっぱい垂れてきました。

 それでも我慢しています。なんてお利口なビーグル犬なのでしょう。本能と戦っているのでしょうね。

 ラッキーはそれからしばらくして、台風の日にいなくなってしまいました。台風と一緒やってきて、翌年の台風と共に去って行きました。もっと捜してやればよかったとしばらくは後悔ばかりしていました。

 その後書いた小説(カテゴリー「ヨモちゃんと僕」)はラッキーへの私のわび状であります。

 さて四年ぶりに再会した猫ですが、私の気持ちが分かったのしょうか。しばらく歩道の上にいて優雅な長毛を見せてくれました。やがてフサフサの尻尾を立てて、道を横切って見えなくなってしまいした。

 今度会えるのは何年後でしょうか。元気でいてね。と後ろ姿に声をかけました。


同じ日本一なのだが……

2024-02-07 08:29:24 | 日記

同じ日本一なんだけど……

ギョーザ購入 浜松1位

 総務省の家計調査が6日発表された。3市の戦いが続く1世帯(2人以上)当たりのギョーザの年間支出額は2023年、浜松市が3年ぶりに首位に返り咲いた。前年まで2連覇中だった宮崎市は2位、宇都宮市は3位だった。(家計調査はスーパーなどで購入した持ち帰りの生餃子と焼き餃子が対象)

 今朝の読売新聞の記事である。浜松市、宮崎市、宇都宮市、3市の餃子愛がすごい。

 今や餃子は国民食と言っても過言でない。同新聞には浜松市観光・シティプロモーション課の課長や市民有志の「浜松餃子学会」の広報担当者の、喜びコメントが寄せられていた。

 さて日本一と言えば、当県もかなり以前になるが「秘密のケンミンSHOW 」でスナック菓子の購入額が全国一位だと紹介されたことがあった。スナック菓子をバリバリ食べて、なぜか温泉に浸かる県民……。という風に紹介されていた。

「それはちょっと恥ずかしいですね」

 県出身のタレントがコメントしていたが、見ていて本当に恥ずかしかった。同じ全国一位でも、餃子は胸を張っていられるのに、スナック菓子だと下を向いてしまう。

 スナック菓子業界の人には申し分けないが。そうなのだ。やはり健康面から考えたら、スナック菓子はちょっとになるのだろう。

「でも餃子だってカロリー高いぞ!」

 なんて、反論したくなるがここはひとまずやめておこう。言いたいのは、自分はスナック菓子を食べないのに、食べるのが県民性みたいに思われるのが嫌だったのだ。

 しかしこの番組が放送されたのは15・6年前の話だから、今はどうなっているのかは知らない。できれば二位三位くらいに留めてもらいたいものだ。そこがまたスナック菓子と餃子との違いだろう。