オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

TOKYO2020

2021年09月11日 | Weblog
オリンピック・パラリンピックにボランティアで参加した。

 世界的なイベントに参加してなにがしかの貢献ができたことは光栄なことである。残念ながら無観客のため盛り上がりはイマイチであったが、選手は全力を尽くして素晴らしい戦いを見せてくれた。トップを走る一流の選手だけでなく、若手や年配の人たちの頑張りも見せてくれた。このイベントにはあちこちで非難の声が多かったが、やってみれば、大会の内容は素晴らしいものであったし、世界に日本の国をアピールできた成果は大きかったと思う。

最初の会場は釣ヶ埼サーフィンビーチだった。

 ちょうど台風が接近して、競技ができるか危ぶまれたが、台風が房総半島を避けて東北の方にそれたために、程よい波があって、かえってサーフィン競技には都合のいいコンディションとなった。決勝戦は波のあるうちにやってしまおうということで、一日前倒しで行われた。次の日はベタ凪の予報で、波がなければ競技ができないのはサーフィンの宿命でもある。終わってみれば、台風様様で神風が吹いたような奇跡的なものであった。

無観客のため客席はガラガラである。

 しかし、現地の観客席から観戦しても、選手は米粒くらいにしか見えなくて、かろうじてユニフォームの赤と白が見分けられるくらいである。大画面の液晶テレビで映し出される映像を見ていた方が迫力もあるし、間近で見ているような大写しで観戦できる。この観戦チケットを買った人達は果たして楽しめたのだろうかと疑問に思えた。日本選手から銀メダルが出たことも喜ばしいことであった。

パラリンピックの会場は有明体操競技場であった。

 競技はボッチャで、あまり知られていない競技であるが、観戦しているうちに奥の深い競技であることが解かってきて、最後の方は大いに楽しめた。身体障害者のプレイの動作を見ていると、ぎこちない動きや特異なポーズを頻繁に行っている。これに違和感のある人達もいるだろうが、障害を克服して正常な状態を維持するための彼らのルーティンであって、必要があってやっていることである。

我々健常者も見習う必要があるのかもしれない。

 健常者だから、特に身体の正常を保つために特別の努力をする必要がないが、彼らは現実に障害を抱えているのである。その対策を一生懸命やりながら最高の競技を目指しているのである。当然ながら、健常者の我々であっても敵うものではない。障害は現実にあるが、その障害を克服して一つの個性にしている気がした。考えてみると、老齢化も一つの障害である。誰でもいつかは障害者となるのである。

競技選手のルーティンを自分でも真似てみた。

 洗面所の鏡の前でその動きを真似てみた。そうすると、頭がすっきりするし、体の力が抜けてリラックスするし、特に腰の部分がほどけて血の巡りが良くなるような感覚になった。もしかしたら、我々健常者にもその効果があるのではないかと思った。ラジオ体操はよくやっているが、この動作はラジオ体操以上に効果があるのではないかと思った。どなたか興味のある方は研究してみたらどうだろう。

パラリンピックの競技を見ていて、

 健常者の競技とは何かが違うと思った。攻撃と防御という観点からみていると、防御の割合が多いような気がした。健常者の場合は隙があれば攻撃を仕掛けようとするし、その隙を積極的に作り出すために先制をとることが重要である。しかし、パラリンピックの競技を見ていると、まずは守ることが先決で、得点の機会はそのうちに訪れるといった感覚に思える。そして、対応の時間の余裕を確保することがより重要なのだと感じた。パラリンピック競技は健常者の競技より平和的なのである。

最初の頃は、なんで攻撃しないんだろうと思った。

 健常者にとっては絶好のチャンスだと思えるが、そんな時もゆっくりとした時間の余裕が取れるような返球をする。よく考えてみると、ここで攻撃したら相手からカウンター攻撃を受けて、これに対応できない状況になるのかもしれない。本当のチャンスが訪れない限り相手を攻撃しないし、その時は強烈な球である必要はない。ポンと返すだけである。勝つ手段には攻撃と防御があるが、徹底して防御して好機を待つのがパラリンピック競技ではないかと思った。

オリンピック・パラリンピックの会場はコロナ対策がなされている。

 バブル方式と言って、会場や関係施設を外部と遮断して、内部のものには徹底したコロナ対策とPCR検査を行うものである。我々も4日に一度はPCR検査を受けて異常のないことを確認した。かえって外にいるよりも会場の中にいた方が安心できる感じであった。当然、ゲートでは厳格に検査が行われており、街中の商業施設とは比べ物にならない。少なくとも発熱者は完全に排除されている。

私はTOKYO2020そのものはコロナ感染と直接影響はないと思う。

 確かにTOKYO2020関係者からコロナ患者をゼロにすることはできないが、感染者が全体に対して非常に少ないことは結果として現れている。コロナ対策はある意味で成功したと言えるかもしれない。開催前にあれほど騒いでいた人たちのその後の意見を聞いてみたいものである。この教訓を我々生活の中でも、今後のイベントでも、そして、3年後のパリ大会でも生かしてもらいたいものである。

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