お盆休みに孫達が遊びに来た。
下の孫娘がただいまイヤイヤ期である。何でもかんでも「イヤだ」「いらない」「やりたくない」「ほっといて」の連発である。最初はかまってみるが、最後はめんどくさいので、「あ、そう、わかった」と受け流すのであるが、母親にするとこれが冷たいと反対に怒られる。その受け答えに本人は傷ついているんだそうである。困ったものであるが、そう言われればそうかもしれないと反省しきりである。
イヤイヤ期の本人は周囲から注目され、かまってもらいたいのである。
その一手段としてイヤイヤを繰り返しているのである。それを無視して、スルーされると本人は落ち込んでしまうことになる。ますますどうしていいかわからなくなり、為すすべもなくなり機嫌が悪くなり、最後は大声で泣き出してしまうことになる。母親はそれを十分わかっていてその都度いちいちご機嫌取りをしている。私としては、それもどうかと思うが、孫の教育に口出しはできない。黙って見守るだけである。
イヤイヤ期も成長の一段階であろう。
自己主張が始まったのである。周囲の言うことを否定するのも立派な自己主張である。これまでは生存本能として生きるための自己主張に過ぎなかったが、人間として社会生活をするにあったっての自己主張なのである。これも成長の過程であり、望ましいことである。ただし、ただ単に全否定するだけでは本来の自己主張にはならない。相手の意見に反対しているだけで、結局は自分の意見としては相手の意見の補集合になってしまい、その境界は何も変わらない。
自己主張するのなら、相手の意見の領域に踏み込んで意見しなければならない。
その時に必要なのが自分の意見である。これがしっかりしていないと相手を説得し納得させることはできない。自分の意見と同じなら何も反対することはない。これほどただ単なる一方的な反対だけでは中身が何もないことを証明している。政治の場で何でもかんでも反対という場面を多々見るが、この議論は不毛である。まずは自分たちのしっかりした意見があって、その意見の相違点について相手を説得し納得させなければならないのである。
幼子のイヤイヤ期でもあるまいし、
日本国を代表する国会で、こんな議論が繰り返されていることに落胆の意を表さざるを得ない。早急に考え直してもらいたいものである。相手の非を追求するだけでなく、どうしたらその非が根本から改善されるのかを考えなければならないし、よりよくするための議論が必要である。相手をこき下ろして自分の地位を向上させようとするのは、下衆の考えであり、何の問題解決にもなっていない。
イヤイヤ期も周囲の注目を集めるのには有効である。
岸田さんが引退表明をしたが、自分自身を否定したに等しい。自分自身に信念があるなら結果はどうであれ最後まで奮闘すべきであろう。選挙がどうだとか、党の信用がどうだとか、国民の信頼がどうだとか、経済がどうだとか外交がどうだとか等は直接関係ない。自分が辞めればどうにかなると思うのは早計である。最高地位の総理大臣にありながら実現できなかったことを反省すべきであるし、実現できたことは堂々と表明すればいい。岸田さんが諸悪の根源ではないはずである。
下の孫娘がただいまイヤイヤ期である。何でもかんでも「イヤだ」「いらない」「やりたくない」「ほっといて」の連発である。最初はかまってみるが、最後はめんどくさいので、「あ、そう、わかった」と受け流すのであるが、母親にするとこれが冷たいと反対に怒られる。その受け答えに本人は傷ついているんだそうである。困ったものであるが、そう言われればそうかもしれないと反省しきりである。
イヤイヤ期の本人は周囲から注目され、かまってもらいたいのである。
その一手段としてイヤイヤを繰り返しているのである。それを無視して、スルーされると本人は落ち込んでしまうことになる。ますますどうしていいかわからなくなり、為すすべもなくなり機嫌が悪くなり、最後は大声で泣き出してしまうことになる。母親はそれを十分わかっていてその都度いちいちご機嫌取りをしている。私としては、それもどうかと思うが、孫の教育に口出しはできない。黙って見守るだけである。
イヤイヤ期も成長の一段階であろう。
自己主張が始まったのである。周囲の言うことを否定するのも立派な自己主張である。これまでは生存本能として生きるための自己主張に過ぎなかったが、人間として社会生活をするにあったっての自己主張なのである。これも成長の過程であり、望ましいことである。ただし、ただ単に全否定するだけでは本来の自己主張にはならない。相手の意見に反対しているだけで、結局は自分の意見としては相手の意見の補集合になってしまい、その境界は何も変わらない。
自己主張するのなら、相手の意見の領域に踏み込んで意見しなければならない。
その時に必要なのが自分の意見である。これがしっかりしていないと相手を説得し納得させることはできない。自分の意見と同じなら何も反対することはない。これほどただ単なる一方的な反対だけでは中身が何もないことを証明している。政治の場で何でもかんでも反対という場面を多々見るが、この議論は不毛である。まずは自分たちのしっかりした意見があって、その意見の相違点について相手を説得し納得させなければならないのである。
幼子のイヤイヤ期でもあるまいし、
日本国を代表する国会で、こんな議論が繰り返されていることに落胆の意を表さざるを得ない。早急に考え直してもらいたいものである。相手の非を追求するだけでなく、どうしたらその非が根本から改善されるのかを考えなければならないし、よりよくするための議論が必要である。相手をこき下ろして自分の地位を向上させようとするのは、下衆の考えであり、何の問題解決にもなっていない。
イヤイヤ期も周囲の注目を集めるのには有効である。
岸田さんが引退表明をしたが、自分自身を否定したに等しい。自分自身に信念があるなら結果はどうであれ最後まで奮闘すべきであろう。選挙がどうだとか、党の信用がどうだとか、国民の信頼がどうだとか、経済がどうだとか外交がどうだとか等は直接関係ない。自分が辞めればどうにかなると思うのは早計である。最高地位の総理大臣にありながら実現できなかったことを反省すべきであるし、実現できたことは堂々と表明すればいい。岸田さんが諸悪の根源ではないはずである。
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