オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

マスコミは面白いことしか報道しない

2008年04月30日 | Weblog

過去にマスコミが面白がって飛びついた記事を見直してみると、

 いかにマスコミの報道が一過性のその場限りのものであるかが解る。私が思い出すだけでも、「花の女子大生」「ダメオヤジ」「濡れ落ち葉」「不倫」「イケイケギャル」「成田離婚」「DINKS」のような見出しやキャッチフレーズなどがある。いずれにしても、一部の人の特異な行動を取り上げて面白おかしく大袈裟に取り上げたものであり、今考えると何だったんだろうと狐につままれた感じである。

「花の女子大生」は楽天的で開放的な女子大生の生活ぶりを紹介し、

 少なくとも「大学生」という肩書きをこき下ろして面白がったもので、現在はこれが高校生まで低年齢化し「イケイケギャル」としてにぎわしている。「ダメオヤジ」は仕事に疲れきった世の男性を「役立たず」としてなぶりものにして面白がった。「濡れ落ち葉」は定年退職者を「廃棄物」として自虐的に表現して面白がった。「不倫」も破天荒な不倫を取り上げて井戸端会議の話題にした。「成田離婚」は安易に結婚し簡単に離婚する夫婦関係を面白おかしく表現したものである。「DINKS」は、「Double Income No Kids」の略で、共働きで高収入を得、子供を作らず贅沢な生活を満喫する夫婦の生活様式を表現したものである。

以上のような記事は、マスコミが「面白い」から取り上げたものであり、

 「面白い」とは、大多数の人の生活様式ではない。大多数の人の考えていることは「当たり前の常識」であり面白くも何ともない。このように考えると、マスコミが面白いと取り上げた記事は、ほんの一部の人達のことであり、大部分は当たり前の常識的な生活をしているのである。しかし、あまりにマスコミが仰々しく大々的に長期間継続して取り上げると、さも世の中全体がそのような生活様式になっているのではないかという錯覚に陥る。これに振り回された人達は災難であり、第3者から冷静に観察するとまるで太鼓の音に思わず踊ってしまう猿回しの猿に見えてくる。

世の中が安定していれば、

 このようなマスコミ報道があっても大多数の当たり前の常識的な生活をしている人達の冷静な判断が大きく振り回されることはないが、世の中が不安定なときは、マスコミの軽はずみで無責任な報道は予期しない事態を招く危険性を孕んでいる。世の中が不安定と言うことは、大多数の当たり前の常識的な考えが大きく揺らいでいると言うことでもある。

マスコミは一般大衆に対し警告を発するのも使命である。

 我々はマスコミの報道を根本的な問題点を見出すための事例研究の題材にはするが、マスコミが面白がって取り上げる事件はあくまでも一部の特異な事件であるという認識は忘れてはならない。マスコミの取り上げる事件の報道に日々接していると世の中全体がそのような事件に溢れている錯覚に陥るが、それは特異な事件の集大成であることを考え直さなければならない。確かに用心するに越したことはないが、世の中に対する不信感や不安感、疎外感、虚無感をいたずらに増長するようなことに陥ってはならない。

「当たり前の常識」を体感できるのは、

 テレビやラジオや活字や通信のメディアではなく、家族や友人や地域社会や職場における人間関係である。この人と人のつきあいの中に当たり前の常識的な考えが芽生えてくる。そこには、マスコミで取り上げるような特異な面白い人達はいないかも知れないが、それが本当の実体である。もし、マスコミで報道するような人が実在したにしても、よく観察するとマスコミの報道に振り回された結果の人がほとんどである。身近で信念を貫き通すような「特異な人」にお目にかかることもあるが、それはマスコミのネタになるような人ではなく、もっと立派な尊敬すべき人である(マスコミにとっては面白くも何ともないであろうが・・・)。

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