オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

衆議院選挙の体たらく

2021年10月26日 | Weblog
衆議院選挙の真っただ中である。

 あちこちで選挙活動がなされている。しかしながら、その活動の内容はがっかりすることばかりである。選挙運動の目的が有権者票を稼ぐことばかりを狙っているからである。確かに、票を稼ぐことに専念すれば手っ取り早く即効の効果もあるかもしれないが、あまりに露骨になると国民を馬鹿にするなと思ってしまう。票を得るための候補者や政党の有効な政策を打ち出す努力が見えないのである。

票を稼ぐためには、

 相手の票を奪えばいい。そのためにお互いの中傷合戦に陥っている。与党は野党に政権を渡してはならないと言い、野党は与党に政権を渡していてろくなことはないと言う。結局はお互いが喧嘩しているだけで、中身は何もない。最初に立派な政策があって初めて国民はその個人にまた政党に投票するのである、まずはその立派な政策を国民の前に提示してもらいたい。ところが、与党も野党も似たり寄ったりの政策しかない。

なんで似たり寄ったりかというと、

 国民に迎合しているからである。国民の都合のいいことしか提示しないから内容は似通ったものにしかならない。そして、国民に都合の悪いことはあえて口にしないのである。良いことがあれば悪いこともあるのが普通であり、良いことばかりしか口にしない人の発言は眉唾で聞かなければならない。下手をすると巷で暗躍している詐欺グループの手法に近い。警戒して騙されないよう聞き置かなければならない。

そして、選挙の手法はまるで宣伝広告である。

 宣伝広告のためのキャッチフレーズばかりが飛び交っている。コマーシャルと同じような宣伝広告が流れている。中には通信販売の手法みたいな政党の放送がある。当然ながらその中身は何もない。選挙の演説なんてそんなもんじゃないと思う。地道に自己の考えや具体的な政策を打ち出して国民を説得するものだと思う。選挙のやり方が悪いからと言ってコマーシャルの宣伝広告手法を真似ても中身が何もないのであれば意味がない。

まともな政策を訴えても国民に聞く耳がないと思っているのだろうか、

 それはあまりにも国民を馬鹿にしている。国民が聞いてくれないなら聞いてくれるように工夫しなければならないし、まずは国民が理解し納得できる理念や考え方や具体的な政策を訴えなければならない。その努力なしに、どうせ聞いてもらえないと諦めて、手っ取り早い広告宣伝に安易に走っている、最初から本末転倒のような気がする。これまでもそうだったが、この頃はますますひどくなっている気がする。

公職選挙法に基づく選挙放送を聞いていると、

 「是非投票用紙に〇〇☓☓とお書きください」「ピンクの用紙に△△党とお書きください」と叫んでいる。これは選挙違反ではないか。いくら選挙演説とはいえ、投票内容を強制してはいけないだろう。選挙は個人の自由のはずである。たぶん、浮動票や棄権者を狙った票稼ぎの魂胆であろうが、何も考えないで言われたように適当な候補者や支持政党を書かれたんでは選挙の意味がない。

何も考えないで面白半分で投票するくらいなら棄権した方がいい。

 得体のしれない票が得体のしれない候補者や政党に流れてとんでもないことになる。それも本人の自由だろうが、国民としてより良い政治を目指すつもりなら、せめて自分でよく考えて、自分なりに判断して投票してもらいたい。風評に流されたり、興味半分、面白半分でいい加減な投票はしないで欲しいと思う。汚いデータには正当な結果はおぼつかない。かえってない方がいい。是非真面目に選挙に取り組んでほしいと切に望むものである。

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