オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

大航海時代

2007年04月12日 | Weblog

人はなぜ旅をするんだろう。

 旅なんかせずに、同じ場所に留まって居ればいいではないか。その方が変化がなくて安全だし無駄もなく効率的である。それでも人は旅をする。旅をすることを夢見るし、新天地に思いを馳せて憧れる。人類発祥の時から、いや生物発祥の時点から旅は続けられている。

植物だって旅をする。

 枝を張って根を張って伸びて行くし、種を飛ばすし、風にまかせて飛んで行くし、動物に運んでもらう。動物は当然のごとく旅をする。生きとし生けるものは一カ所でじっとしていることはできないようである。それぞれに自分の生き方に応じて可能な範囲を移動しつつ生を謳歌している。可哀想なのは動物園の動物と、牢獄に閉じ込められた囚人と、環境破壊で住む場所を制限された動植物であろうか。

神代の時代から旅をした。

 ノアの箱舟は洪水を逃れて海へ、イカロスの翼は幽閉された塔から空へ向かって飛び出した。旅の原点ではなかろうか。いずれも絶望の淵から自殺を試みるのでなく、新天地への可能性に向かって冒険を試みている。人間の生きる根源でもあるし、生を賭しても挑戦する心意気を現代に伝えている。どんな中にあっても夢と希望をもって生き抜く勇気を教えている。

日本にも航海時代があった。

 教科書に出て来る遣唐使や遣隨使である。昔の日本人も西洋に劣らず勇気ある人達がたくさんいて活躍していたし世界にはばたいていた。その志は今の日本人にも息づいているはずである。大いに勇気をもって世界に羽ばたくことに挑戦しなければならない。

西洋にも航海時代があった。

 中東地域がイスラムに占領され、拡大する場を失った西洋は新天地を求めて東洋やアメリカ大陸を目指して冒険航海を試みた。マゼランやコロンブスである。そして次々に新大陸を発見していった。このころにも勇気ある人達が新天地を求めて冒険の旅に出掛けたのである。何が彼らをそうさせたか、生きるものとしての天命なのだろう。たぶん神の啓示があったんだろうし、必然的に生かされて行かされたのだろう。

旅は現状に満足せず外に向かって飛び出すところから始まる。

 もし、旅をしたいと感じたら、たぶんあなたは現状に満足していなくて全く違った新天地に夢を馳せているんだろう。本当に現在の自分を捨てて冒険に旅立つことは普通の人達には不可能に近い。だから、旅気分を味わう小旅行くらいで満足している。でも、現状に絶望し死にたくなった時は、全てを捨て去って生き残りを賭けて夢と冒険の旅に出掛けることが可能だということは我々を大いに勇気づけてくれる。


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