規則には必ず例外がある。
例外のない規則はない。反対に例外のない規則はおかしい。全て例外を認めないような規則は原則に反している。そして例外については個別に対応すべきなのである。規則はあくまで標準となる規範であって、標準でないものまでを規則化することは許されない。それは一部の人の横暴であり、規則は全ての人が了解した上で成り立っている。
ところが、全ての例外をなくそうという雰囲気がある。
規則で厳格に全てを規制してしまおうという流れがある。規則は厳格にすればするほど有効に機能すると思い込んでいる人達がいる。そんな人達が細かい細部にまで及ぶ規則を作り上げている。そして規則だけでは足りずさらに解説書やマニュアルを整備して全ての行動を規制しようと躍起になっている。何かおかしいのではないか。
全ての行動を規制することは不可能である。
それほどそれぞれの人間の思考と行動は複雑怪奇で多種多様である。だからこそ個性であり、最初から個性的に生まれついているのである。そのような人間を一律に細部まで厳格に統制することは無理なのである。それができるというのは妄想であり幻想である。規則で細部まで定めたほうが業務がやり易いし管理し易いというのは個人を馬鹿にした考え方である。
規則に反することは不法行為である。
規則で規則に反する不法行為を救済し保護することは規則そのものに齟齬があることを認めることである。そんな規則は作ってはいけない。もしそんなことがあったにしても、それを最初から規則化するのは根本からおかしい。せいぜいその時の処理上の手続きを定めるくらいであろう。規則そのものがおかしいという事も含めて個人は意見し訴えることが可能なのである。
何を言いたいんだろう。
要は、細かい細部までを規則で定めることをやめなさいと言いたいのである。細部まで規則化するから実状に合わなくなり、救済措置を規則で定める馬鹿なことをする。細部決められないことは個別に裁判で争うのである。個人はそのくらいの社会性の自覚を持つ必要がある。その自覚がないから細かいことまで規則化することを熱望するんだろう。反対に「細かいことは個別に対応させろ」と要求するくらい市民が社会的であることを望むものである。
規則は自立した個人を前提に作られる。
自立した個人が信じられなければ細かいことまで規制しなければならない。細かいことまで規制しようとしている人達は自立した個人を信用していないことになる。規則は破られるリスクを前提に作られている。破られないように最初から規則でがんじがらめにすることは破られるリスクを回避していることになる。そんな規則は最初から規則ではないし、決められた規則を厳格に運用して行く努力を怠る考え方は規則を形骸化させるだけである。
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