私は九州男児で、厨房に入る習慣がなかった。
私の生い立った周辺では男が厨房をうろうろすることは恥ずかしいこととして育った。現に家庭内でも親戚でも隣近所でも男が厨房で腕を振るう姿は日常生活ではあまり目にしなかったし、食事時にはそこの主人は床の間を背にゆったり座って酒でも飲んでいた。子供であろうとも男が厨房をうろうろしてると逆に怒られたものである。男は猟や釣りに行って大物が獲れた時にこれをさばいたり、正月や盆でどうしても男手がいる時に手を出すくらいで、それ以外は厨房は女の天下であった。現在では男が厨房に入らないと言うと身勝手だとか我が儘だと言われるが、昔は反対に厨房は全て女に任されていたのである。女の特権であったとも言えるし、女は男にこの権利を侵されるのを反対に嫌っていたのである。
18歳で親元を離れ、独身生活が始まると最初に困ったのは食事である。
料理ができない。しょうがないからすべて外食である。しかし、外食はすぐに飽きてしまう。ずっと家庭料理で育ってきたのでことさら外食は口に合わない。仕方ないので一計を案じた。町の食堂のオヤジと仲良くなって、オヤジの食っている食事をそのまま一食分多めに作ってもらってこれを食べさしてもらうのである。当然、金は払う。これは大成功であった。予約さえしておけばいつでも家庭料理が食べられるのである。昼の弁当は、所帯持ちの先輩の奥さんに頼み込んで旦那さんと自分の分の弁当を二つ作ってもらう。これも当然金は払うが、先輩が遠慮して安い値段をつけたので、あとから奥さんに聞いた話ではいつも持ち出しで採算が全く合っていなかったそうである。
家庭料理は高級な贅沢な料理ではない。
普通のみそ汁であり、お新香であり、焼き物であり、揚げ物であり、煮物であり、和え物であり、炒め物である。夏は冷や麦が食べたいが、食堂のメニューには冷や麦がない。冬は私は熱々の鶏麺が大好きだが、これもいくら捜しても食堂のメニューにない。食堂にわざわざ来て金を出して食べるからには「高級料理」でなければならないと言う思い込みがあるのであろうか・・・。家庭料理をそのまま出す店もあって良いと思う。学生街の食堂にはこのような店をちらほら見かけるようだ。
結婚してからも、「男子厨房に入らず」を通している。
女房は、たまにはニューファミリー気取りで夫婦共同で料理したり片づけを手伝ってもらうのを夢見ているようだが、私は男の出番がない限り手を出すことはない。味にもいちいち細かいことは言わない。おいしいかおいしくないかだけであり、おいしくなければ必然的に料理が残る。それを見て女房の料理の仕方が変わってゆく。こうして我が家なりの家庭料理が築き上げられている。時たま家庭料理でお客をもてなすが好評である。女房の料理の腕も大したものである。半分冗談であるが料理屋を開いても商売になるのではないかと家族で話し合ったりしている。これは売れるこれは売れないと献立の品評会である。最近これに娘達の手料理も入りつつある。
そして、こんな状態から中年になって単身赴任することになった。さあ大変だ。
当座は外食オンリーであった。しばらく経って顔なじみになった近所の食堂のオヤジに訳を話して独身の頃の感覚でメニューとは別の家庭料理を頼んでみたが、「ここではそういう料理は出してない」の一点張りでとりつく島もない。ただし、単身赴任で可哀想だという心情からか定食のご飯もおかずも大盛りにしてくれる。この年になって量を多くしてもらっても食べきれない。別の店でこの件を頼んだら、オヤジがつむじを曲げて奥に引っ込んでしまった。代わりに奥さんが出てきて注文に応じてくれたが、奥さん手製の特別料理が出てきてしまった。これを毎回やるわけには行かないし、商売をじゃましてもいけない(食堂のオヤジごめんなさい)。
どうやら、外食で家庭料理を望むのはあきらめざるを得ないようだ。
そこで、この年になって「男子厨房に入る」である。やってみると面白い。自分の好きな物を好きなように料理し味付けもその日の気分次第である。やってみるとコロンブスの卵でどうってことない。しばらくの間は図書館通いが始まり、単身赴任料理の研究が始まった。手間暇がかからないで簡単に美味しくできる男の料理である。困るのは買い物で、食料品売場は基本的には4~5人家族が基準で、独り者用になっていない。ばら売りしているところも少ない。特売で安くしているのは決まってどーんと大量のパックになっている。従って、どうしても余らして腐らしてしまう。これは冷蔵庫による冷凍保存で解決した。
スーパーで売っている惣菜を活用する手もある。
しかし、どういう訳か私の体に合わない。油か調味料か添加物か防腐剤かは知らないが、これらの出来合の惣菜を食べると必ず胸焼けがする。惣菜売場の酸化した油の臭いをかいだだけで気分が悪くなる。市販の折り詰め弁当や缶詰もそうである。これは私の固有の体質なのでスーパーの惣菜や市販の折り詰め弁当や缶詰が悪いと言っているつもりはさらさらない。不思議なことにもう一度調理し直す(再加熱し味付けを直す)と胸焼けがなくなるので、ほんのちょっとしたことであろうと思う。インスタント食品も特定の銘柄を選び調理の仕方も工夫しないと胸焼けを起こしてしまう。どうやら私の消化器は丈夫ではなさそうであるが、無理して胸焼けする物を食べる気にはならない。身体の自然の防御本能であろうと思っている。
買い物の時は、常に少量パックやばら売りに目がいく。
単身生活での手料理は少量の料理を色とりどりに盛りつけたメニューは夢のまた夢である。現実は2品か3品がどーんと2人前くらいずつ食卓に並ぶことになる。しかも、肉、野菜、魚介類、穀類等が一緒になったような料理である。これを平らげる。残せばゴミである。しかし、工夫すれば余り物も有効に活用できる。余り物のご飯に牛乳を入れて、ベーコンを入れ鶏ガラだしでぐつぐつと煮込んで、汁気がなくなったくらいで最後に青物野菜(チンゲン菜や小松菜など)を入れて塩こしょうで味付けし、グラタン皿に入れて上にチーズをたっぷり乗せてオーブンで焼くと立派なドリアができあがる。是非お試しあれ。
新兵器は電子レンジである。
単身赴任者には重宝なものである。冷蔵庫に残った余りものも簡単に温め直すことができるし、冷凍食品の扱いも簡単になる。何よりも、煮物が簡単にできることである。通常のやり方で煮物をしようとすると長時間鍋でぐつぐつと煮込まなければならない。電子レンジではただのポリ袋を使って魔法のように一挙に煮物ができる。あとはこれに調味料を入れて味付けし、なじませるために再度温め直すだけである。当然鍋なんか使わないでポリ袋だけで短時間に調理できる。これまではどうしてもフライパンでの炒め物や焼き物が多かったが、電子レンジのおかげでこれに煮物が加わることになった。ほかにも便利な使い方がたくさんあって、それを開発するのも楽しい。
電子レンジの調理で重要なことは正確な計量と時間管理である。
味付けは基本的には一発勝負である。通常の調理法は途中で何度も手直しができるが、電子レンジでの料理は短時間でできる反面、間違ったら悲惨である。また、火加減の調整も加熱時間の設定だけに左右される。設定を間違ったら悲惨である。ただし、電子レンジの前面の窓から調理状況を確認できるのでこれで調整している。ド素人としては、調理にしても味付けにしても正確な計量が欠かせないし、材料の重さに合わせた加熱時間の設定にも気を使う。
ちなみに、
ド素人にはキッチンバサミもお薦めである。包丁を使わずに何でもハサミでチョッキンチョッキンである。華麗な包丁さばきもまな板も必要ない。刺身でさえハサミで切ってしまう。一般の主婦が見たら目をむくような包丁もまな板も鍋もガスコンロも使わない台所作業が展開され、厨房はまるで化学の実験室か工作室のような様相を呈している。食べるのは自分だし誰も文句を言う人は居ない。
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