悠仁殿下の動向が定例記者会見で発表されることは珍しい。
高校生活の中で、修学旅行は特別に意義深い学校行事だからでしょう。
悠仁さま、修学旅行で沖縄をご訪問 平和祈念資料館などご見学2023/12/1 19:40 産経新聞宮内庁の加地隆治皇嗣職大夫は1日の記者会見で、秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが11月下旬、筑波大付属高2年の修学旅行で沖縄県を訪問されたと明らかにした。糸満市の沖縄県平和祈念資料館や、住民の避難壕で、旧日本軍の陸軍病院分室にもなった南城市の自然洞窟「糸数アブチラガマ」などを巡り、平和について学ばれたという。修学旅行は11月20日から4泊5日の日程で、ほかに今帰仁(なきじん)村の世界遺産「今帰仁城跡」や、恩納村の観光名所「万座毛」を見て回られた。悠仁さまは平成25年12月、秋篠宮ご夫妻と私的旅行で初めて沖縄をご訪問。糸満市の平和祈念公園で、沖縄戦の戦没者の名前が刻まれた石碑「平和の礎(いしじ)」を見学された。
愛子さまの小中高時代に比べると、格段に報道が少ない悠仁殿下ですが要所要所では必ず動向が発表されて来ました。これも秋篠宮殿下と紀子さまの方針なのでしょう。
お小さいころから愛子さまの露出が多いのは「天皇というもの常に顔を出していないと国民から忘れられてしまう。」と危惧された平成の天皇皇后のような思いを今上ご夫妻ご一統も抱いているからかしら。
「量的変化は質的変化をもたらす」マルクス
てね。笑
そういえば愛子派にはサヨクが多いらしい。だから凄まじいまでの秋篠宮ご一家誹謗中傷、怒涛の如き愛子さま賞賛記事?
2013年12月、7歳の悠仁殿下はご両親と共に私的旅行で初めて沖縄を訪れている。
露出が少ない悠仁殿下の貴重な報道。
秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまが初めて沖縄県を訪問されました。[2013/12/10 17:57] 日テレNEWS
悠仁さまは、ご夫妻とともに糸満市の平和祈念公園を訪問されました。平和の礎には、沖縄戦で亡くなった24万人余りの名前が出身地別に刻まれています。悠仁さまは、ご夫妻に「東京都はどこ?」と尋ね、一緒に探すなど熱心にご覧になっていました。戦死者のうち子どもを含む329人については、戸籍が焼失したことから名前が分からず、秋篠宮さまはそのことも悠仁さまに説明されました。
ご両親が将来の天皇として帝王教育に心を尽くしていらっしゃったことが伺えます。
7歳で訪れた時にはお判りにならなかったこと、見えなかったものを多数ご覧になったのではないでしょうか。
今回の発表には画像が無いが、高校の修学旅行には撮影係も同行しているはず。いずれ写真やエピソードも出て来るのではないか。
出て来たら、私達はまた悠仁殿下のご成長ぶりに驚くのでしょうね。
昨年の丁度同じころに訪れた今帰仁城跡が目に浮かびます。
風に揺れるフウリンブッソウゲの赤い花を悠仁殿下もご覧になったでしょうか。城跡を覆って響き渡る工事をしているようなオオシマゼミの鳴き声も聞かれたでしょうか。
オオシマゼミ
・・・つい、あかり説を喚いて、失礼しました<(_ _)>でも、あかりなんて見当違いっ!と嗤って貰える日が来て欲しいのです。皇室の美、国民の賢、国の誇りを感じたいだけです💧
いつもブログを楽しみに拝見させていただいております。
皇室の報道は何やら誰だかの怪し気な意図を感じるような、ほの暗い空気を感じるようなものが多くてウンザリさせられますが、
ごくたまに報じられる悠仁さまの現況はそこに光を差してくれるようで嬉しくなります。
悠仁さまの論文が発表されているようです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bnmnszool/49/4/49_129/_article/-char/ja/
赤坂御用地の環境について詳細に述べられています。
その丁寧で誠実な筆致、生真面目なお人柄が透けて見えるようです。
写真も美しくいつまでも眺めていたくなります。
自分の経験からも、若い頃から打ち込めることがあることは生きる力に繋がります。
以前悠仁さまが2歳位の頃だったか、秋篠宮殿下が「虫が好きなようです」と語っておられたのを思い出します。
一生を皇室の中で生きねばならない息子に力を与えるために誘導されたのかも知れないと思います。
また市井の研究者達にとっても、希有な自然を守る赤坂御用地は研究対象にしたくても容易に入れる場所ではありませんが、親王殿下がお望みとなれば可能です。ウィンウィンの関係性です。
そして秋篠宮殿下はそういったことも織り込み済みでおられただろうと。
置かれた場所から地に足を着けて歩き生き抜く術を教える、まさに正しい父親の姿です。
そして悠仁さまも年齢的にそういった父殿下の意図を理解するようになられているのではないかと。
変な報道に流されてこの素晴らしさに大半の国民が気付いていない現状が残念でなりません。