憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

18日 華子さま・・「第34回世界文化賞」授賞式

2023-10-21 22:10:03 | 常陸宮
10/18(水)
華子さま 明治記念館(第34回高松宮殿下記念世界文化賞授賞式典)






😇 youtubeに動画がアップされていないので、
FNNプライムオンラインのニュースの動画です。
1940年7月19日(昭和15年)華族としてお生まれになった華子さま。
ニュース記事内の動画では、授賞式典での生き生きとした華子さまのお姿を拝見できる。
海外からの御客様を交えた錚々たる人々が交流する会場は、華やかな雰囲気に包まれて、華子さまは我が庭のように動いていらっしゃいます。
華子さまの前には次々と人がやってきて、華子さまはフレンドリーに会話を楽しんでいらっしゃいますが、華族出身の宮妃らしい威厳と誇りの高さはさすがです。
紀子さまもいつか華子さまの域に到達されるのでしょうか。雅子さま?無い無い。

【速報】「世界文化賞」授賞式典始まる 華子さまご出席 クリントン元国務長官らがスピーチ
2023年10月18日 水曜 午後4:51  FNNプライムオンライン
優れた芸術家に贈られる日本美術協会が主催する「第34回高松宮殿下記念世界文化賞」の授賞式典が始まった。
18日午後4時過ぎ、常陸宮妃華子さまが東京・港区の明治記念館に到着され、授賞式典が始まった。
式典は、各界からの来賓などおよそ200人が出席し、4年ぶりにコロナ禍前の規模で行われている。
アメリカのヒラリー・クリントン元国務長官をはじめとする国際顧問のスピーチに続き、日本美術協会総裁の常陸宮さまに代わり、華子さまから絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の各部門の受賞者5人に功績をたたえるメダルが贈られる。
午後6時からの祝宴には、岸田首相もお祝いに駆けつける予定。



横文字はLe Bal dux Anjos
フランス語なのも、敗戦直後、まだアメリカナイズされていなかった時代の日本らしい。

1947年9月27日公開、5月3日に華族制度が廃された年に作られた没落していく華族の映画。監督が新藤兼人なので左翼風味ですが、それも当時の日本の雰囲気だったのでしょう。
左翼風味のストーリーはともかく、日本に、かって存在した華族の雰囲気をよく伝えているのではないかと思う。
セリフの日本語が美しい。
当時7歳の華子さまの周囲の人々も、このような日本語を話していたのでしょうね。

上記「世界文化賞」式典の雰囲気は、どこかこの映画の雰囲気に似ている。
世界文化賞式典、集う人々は定めし上流の人々ならん。

The Ball at the Anjo House 安城家の舞踏会 - Kōzaburō Yoshimura 吉村 公三郎 (1947) ENG SUB



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24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (みどりの風)
2023-12-06 03:34:16
しつこくて、すみません。もう一本です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
■■常陸宮さま米寿 がん研究半世紀以上 ウナギの異変見抜いたことも
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%B8%B8%E9%99%B8%E5%AE%AE%E3%81%95%E3%81%BE%E7%B1%B3%E5%AF%BF-%E3%81%8C%E3%82%93%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%8D%8A%E4%B8%96%E7%B4%80%E4%BB%A5%E4%B8%8A-%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%81%AE%E7%95%B0%E5%A4%89%E8%A6%8B%E6%8A%9C%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82/ar-AA1kCCeQ
28日に88歳の米寿を迎えた常陸宮さまは、がんの研究をライフワークとして来た。静岡・浜名湖のウナギに異変が見つかった時に、腎臓がんを見抜くなど、スペシャリストとして知られる。がん研究会がん研究所の客員研究員となったのが1969年。東京大学理学部動物学教室で細胞生物学の研究もしていたが、大学紛争の影響で続けられなくなり、拠点を移したと言う。同研究会がん研究所名誉所長の北川知行さんはその翌年に同研究所研究員となり、常陸宮さまとの交流は半世紀以上に及ぶ。
北川さんによると、常陸宮さまの研究は、当初はラットの肝臓発がん過程を調べるものだったが、次第に魚類などの下等動物に興味がうつり、コイや金魚などの腫瘍を研究するようになった。動物の腫瘍を調査することは、人間のがんについての理解にもつながるという。2004年、常陸宮さまは共同研究で、日本と中国のカエルを掛け合わせた結果「交配種にがんが出来やすい」という研究結果をまとめた。こうした研究は「比較腫瘍学」とよばれ、人間のがん克服に生かされている。
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Unknown (みどりの風)
2023-12-06 03:31:07
■■常陸宮家のご活動
https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/04/activity04.html
平成28年2月に、フランス国(パリ憲章大賞式典において大賞受賞)
殿下は、学習院大学理学部をご卒業後、東京大学理学部で細胞分裂の生物学のご研究をされました。その後、(公財)がん研究会がん研究所に客員研究員として所属され、40年間に亘るご研究を通じ、発癌及び癌生物学に関する多数の論文を国際誌に発表されました。それらのご研究は世界的に高く評価されています。
平成9年に、米国のジョージ・ワシントン大学、平成13年4月には、ミネソタ大学から名誉学位をお受けになり、平成11年3月には、これまでのがん研究やがん研究に対する国際的ご貢献が高く評価された結果、ドイツがん学会の名誉会員に推薦され、外国人として初めて同がん学会の名誉会員に就任されました。(後略)
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Unknown (みどりの風)
2023-12-06 03:27:52
>小児麻痺
[おたふく]と思い込んでいましたが「[小児麻痺で多少不自由なお身体]ということを理解したうえで嫁いでほしい」と言うことだったのですね!!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■■正仁親王同妃両殿下ご結婚満50年に際してのご感想
https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/04/press04-2.html
■正仁親王殿下
私は,小さい時に身体が弱く色々な病気をしましたが,小児麻痺を見つけて下さったのは,母君香淳皇后でした。この治療に当たり多くの先生方の大変なご努力により,
今の元気な私がおります(後略)
■正仁親王妃華子殿下
昭和39年10月の東京オリンピックの開会式に揃って出られますようにと,9月30日にお式が決まったと記憶しています。その年,新幹線も開通し,伊勢神宮(三重県),神武天皇山陵(奈良県)へのお参りにも参りました。
突然のご縁でまだ学生気分が抜けない私には,宮家に上がり毎日が初めての事ばかりで,宮様から「昨日は寝言で御所に上がった時のご挨拶を言っていたよ」と何度か伺ったことがございました(後略)
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Unknown (みどりの風)
2023-12-06 03:25:26
>兄は頭が悪い。が弟と来たら口で言うのが憚られるほど頭が悪い。」(意訳)
兄の頭の悪さは、同意いたしますw が、
宮さまは、どうでしょうか? 明仁さまはブラックバスを放流してしまいましたが、火星ちゃんは、ひたすら地道に研究続けて来られた。こういうタイプの方は、一心不乱だったりして世間知に欠けがちでしょうから、お若い頃は見下されがちなんですよね。わたしは、浅く広いタイプの方よりも、深く追求するタイプの方が、好きです。
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Unknown (みどりの風)
2023-12-06 02:56:07
如意さま、詳しく教えてくださいまして、ありがとうございます。お礼、遅くなり、申し訳ありません。
華子さまの件は、当時、新聞で読んだ記憶があります。子どもでしたので意味わからぬ部分もありましたが、皇室側が常陸宮様の事情を説明し、華子さまが一定期間の熟考後「華子がおまもり致します」とご返事なさったのです。「事情の中身はわからないけれど、生易しい内容では無いのだな」と、こちらまで凄く緊張いたしました。「おたふくかぜ」は、後年ネットで読み「ああ、そういうことだったのか」と納得したのでした。
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Unknown (如意)
2023-10-29 11:06:41
みどりの風さん
常陸宮さまと華子さまがご結婚後2年経ってもご懐妊の発表が無いので、巷には二つの噂が流れていました。
〇宮さまはオタフク風邪で子種がない。
〇戦後19年。華族でなくなった津軽伯爵家の親族・親戚にはよからぬ縁組をしたものがいる。そのような者に皇位継承者の親族・親戚を名乗らせぬよう「子供を作らない」と釘を刺されて結婚した。

宮内庁が「宮様はおたふく風邪に掛かられたのでお子様を望めない」と正式発表したわけではないので、おたふく風邪説は週刊誌情報、皇室にふさわしくない親族・親戚が居る説は今でいえばネット掲示板情報でしょう。
ふさわしくない親族・親類説が消えて、おたふく風邪説が残ったのは、そちらのほうが「本当らしい」と多くの人々が受け止めたからでしょうね。

津軽家が経済的に困窮していなかったと判断する材料はもう一つあります。
戦後のNHKに元殿様が多数いたことはご存じでしょうか。花形アナウンサーばかりでなく、職員には華族がゴロゴロ。つまり、NHKは華族の身分を失った方々の受け皿になっていました。そのように元華族の就職先は意外にあり、ご本人たちに真面目に生きる意欲さえあれば、何んとかなったのです。
昭和天皇の侍従だった津軽義孝氏の兄は能力があるかたでしたが、義孝氏も破綻のないかたです。生活に困窮して娘を差し出したというのは悪意ある想像でしょうね。
人間関係からも解るように、正田美智子さんに皇太子妃の座をさらわれた旧勢力が万を持して選んだのが華子さまだった。というのが事実でしょう。私はそう思います。
旧勢力は華子さまのお子様を望んだでしょうから、変な親族・親戚説は怪しい。
おたふく風邪説も真相は解りません。
お子様に恵まれなかった。という事実だけは紛れもない。



宮内庁が正式に「原因はおたふく風」と発表したわけではないので、
返信する
Unknown (如意)
2023-10-28 12:06:28
みどりの風さん
こんにちは。
>>貧困に陥った大名津軽家を救うため犠牲になられた
>この部分、当時を知っている方のようでしたので「事実はそうだったのかな」

ハーイ!当時を知っている人でーす!笑
新聞の一面にのった華子さまの大きな写真を見ていますから。
記事は読めない漢字があって、よく理解できませんでしたが、大人たちが大騒ぎで、話していた内容は覚えています。
カネ目当てに娘を差し出さねばならないほど生活に困窮はされていなかったでしょうね。華族という身分を失い財産を失っても、元領主家で伯爵ともなれば、余程無謀な事業や投機に手を出さなければ、体面を保っての生活は成り立っていたと断言できます。
地元の元殿様もそのようで、戦後も格式を保ったお暮しを続けられ、地元のこれまた戦前から続く上流社会との交流は変わることがありませし、皇族、元皇族とのご交際も続いています。
華子さまの父、津軽義孝元伯爵の実兄徳川 義寛(尾張分家男爵)は昭和天皇の侍従長、実妹北白川祥子(北白川宮妃)は香淳皇后の女官長という関係からみても、津軽家がカネ目立てで結婚を決めるほど困窮していたとは考えづらいです。
書き込まれたかたは結婚当初から「ご実家は貧乏華族」と庶民からも馬鹿にされていた三笠宮百合子さまと混同されたか、百合子さま父高木子爵が戦後経済的に困窮されたので、津軽家も困窮されていたのだろうと邪推されたのではないでしょうか。

ネットでは、何とでも名乗れますので、名乗りは当てになりません。
書いている嘘に信ぴょう性を持たせるために、それらしい名乗りをするかたは珍しくありません。

>上海夫人の「夫人」には、売はる婦の意味がある

フランス語のマダム、英語のミセスと同じ意味で「夫人」です。ミスは「嬢」。
首相夫人、社長夫人、は今でもたまに使われていますね。「嬢」は死語なりましたが、良家のお嬢さんを「るり子嬢」のように表記していました。紀子さまが結婚されるころには使われていませんでしたが、少し前なら川嶋紀子嬢と表記されたはずです。
「受付嬢」は長く残っていましたが、ジェンダー思想が広まると共に死語になりました。
「白薔薇夫人」が出て来る少女小説もありました。白薔薇のように美しいので、そのように呼ばれている奥様です。
そのように既婚女性を〇〇夫人というあだ名で呼ぶことはごく普通でした。
あだ名ですから良い意味でも悪い意味でも〇〇夫人は使われていました。
上海夫人もあだ名ですよ。

「何でも知っている」と名乗る人が、何でも知っているわけでもありませんから。

>「みんなが知ってる情報だから、貼る必要無いのよ」

「間違っている」と言われなかったのは、みどりの風さんを否定したくなかったからでしょう。
書いたことを否定されたら、大抵のものは全人格を否定されたような嫌な気持ちになる。みどりの風さんを嫌な気持ちにさせたくないから、誰も否定しなかったのでしょうね。
もちろん、私も日常生活では他人の間違いを指摘することはありませんので、せめてネットでは「それ、違っている」と書きたくてブログを開きました。
私自身は、間違っていることを指摘されるのは自分の思い込みを正すチャンスと捉えていますのでイヤではないのです。
間違いの指摘、大歓迎です。でも、その指摘が間違っていたら、反論はしますよ。

お母さまは大変な思いをされたのですね。
子供としてそれを見るみどりの風さんもお辛かったでしょうね。
紀子さまは、メンタル強いかたですから、きっと乗り越えられると見ていました。
お母さまは大丈夫でしたか?
パソコンのトラブル収まると良いですね。
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Unknown (みどりの風)
2023-10-28 03:37:32
当時のお局さんたちなのか代替わりしたのか不明ですが、以来ずーーーーーっとパソコンに侵入してマウスを操作されたり、ネットから強制遮断されたりの被害が続いています。買ったばかりの新品のマザーボードを壊されて修理に出したり、中古でしたが何台も破壊されたり。今回のようにミチコさん関連で書き込むと、特にそれが激しくなります。
それにもめげずに書き込み続けて来たわたしもアホですが、こんな万年新米に執着し24時間監視して妨害して来る方たちに、同情してしまいます。もっと時間を有益に使ってほしいです。長文、更に無関係な書き込みまで、すみません。ごめんなさい。
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Unknown (みどりの風)
2023-10-28 03:33:22
わたしが皇室ウオッチャーになった理由は、「紀子さまイビリの鬼姑め」との怒りからでしたので、堤関連については、関心が無く、ぼんやりとしか知りませんでした。西武線沿線で暮らしていた頃、無骨だが仕事熱心な長男さんはわたしも含め、フアンが多かったです。毎朝、始発電車に乗り込んで電車の状態をチェックなさっていたということでした。そのおかげで長らく無事故で頼もしかったです。
話があちこちしますが、わたしの母親が、近所に住む小姑らにネチネチされて居て、幼児期から見ていて辛かったので、紀子さまに投影してしまった次第です。執拗にいびられていらっしゃるように見えて、痛ましかったです。ナルさん夫婦が長男として機能していたら、紀子さまは華子さまと同じ立場でゆったり暮らせたのに、と、ゆるい長男夫婦にはベタ甘な義両親に、怒りを感じました。自分への批判は一切許さぬくせに、しわ寄せで苦しめている次男夫妻には、知らんぷりの非情。好感を抱けません
返信する
Unknown (みどりの風)
2023-10-28 03:27:27
なお、今回引用したのは全部ユーチューブで、掲示板からではありません。当時のご一行様は、美智子さま聖女伝説発信元のお局様方が君臨なさっていたエリートスレでしたひよこのわたしが、あちこちから記事拾って来て、ベタベタ貼りまくりましたら「みんなが知ってる情報だから、貼る必要無いのよ」と、その都度、皆さんからやんわり叱られましたが「それ、間違ってるわよ」とは一度も言われませんでした。今回のYouTubeコメと、わたしの知識の基本は同じだったので、安心して貼ったのです。明仁氏の件も、妄想と書きましたが当時読んだ内容です。情報源は、さすがに出ていませんでしたが。以前は内部情報をそっと書き込む人も居ましたので、そういう筋から出たのかなと、思いました。
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Unknown (みどりの風)
2023-10-28 03:25:46
例えばお子様がいらっしゃらない件についてYouTubeも他のブログコメ欄でも「お子がお生まれになって居ないのが残念」と書かれて居て、時間の経過で消える情報もあるのだなあと感じたものですから、残しました。華子さまもご家族も聡明活発ですばらしいご家族だと言う印象は、変わりません。悪口のつもりではありませんでした。
上海夫人の「夫人」には、売はる婦の意味があると、2ちゃん時代の皇室御一行様に書かれていました。同スレで彼女が蔑まれたのは、そちらの理由からでした。ミチコさんにも、同じ疑惑がありました。
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Unknown (みどりの風)
2023-10-28 03:24:09
如意さま、おはようございます。
今回も大量に持ち込みまして、すみません。
>貧困に陥った大名津軽家を救うため犠牲になられた
この部分、当時を知っている方のようでしたので「事実はそうだったのかな」と思ったのです。事実だったとしても、公的には伏せられる部分でしょうから。
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Unknown (如意)
2023-10-27 01:24:39
あかりさん
こんばんは。
常陸宮邸が赤坂御用地の外にあるというところも意味深いですね。
華子さまは同じ徳川系列の妃である勢津子さまや喜久子さまに可愛がられ、昭和天皇香淳皇后からも可愛がられ、ご実家のつながりから徳川の方々と深い交流を重ねられ、常陸宮殿下とともに香り高い世界を築い来られたのでしょうね。
これみよがしになさる事はなくても、仲睦まじさは伝わります。皇室の秩序について物申すことがお出来になるのは、華子さまくらいでしょう。長くお元気でいていただきたいですね。

今上夫妻の愛子さまアピールが狂奔めいて来ました。狂奔の果てに自滅するのか、周りを巻き込んだ一大事になるのか。
秋篠宮ご夫妻が冷静沈着でいらっしゃるので、まあ、何んとかなるでしょう!

一ッ葉田子さん
こんばんは。
いつも目配りのきいた画像のご教示ありがとうございます。
次回、使わせていただきますね。
普段は杖を使用されている華子さまですが、式典には杖無しで臨まれていらっしゃるのはさすが、です。

千種さん
こんばんは。
一般参賀、華子さまは明らかに驚き、呆れていらっしゃいましたね。
その後には雨の中グダグダの園遊会、お怒りになる気力があったのは幸いでした。
雅子さまの東京サミット晩餐会・・悲惨でした。
日米半導体会議・・通訳として居並んだ雅子さまの実態は知らなくても、日頃の様子から、「ご活躍された」がご祝儀言葉だと解りますよ。笑。

かえでさん
こんばんは。
美智子さまと華子さまは、大人の付き合い。で、ご本心がどうであったかはわかりません。
ただ昭和天皇と香淳皇后は常陸宮ご夫妻が来られるのを本当に楽しみにしていらしたが、皇太子夫妻(現上皇上皇后)が来られると連絡が入ると緊張して身構えていらした(入江相政)ようですね。
常陸宮に男子がいたら、、、どうでしょう。
その男子に男子が生まれていたら、愛子天皇論は苦戦を強いられたでしょうね。
常陸宮殿下の孫が男子でなく女子ばかりなら、今と状況はそう違わなかったでしょうね。

みどりの風さん
こんばんは。
たくさんのご紹介ありがとうございます。

>学研肌で温厚な常陸宮様の支持者は多く「次期天皇に」と推す動きもあったそうです。

機密の期限が満了して公開されたバイニング夫人手紙には、
「私の二人の生徒のうち兄は頭が悪い。が弟ときたら口でいうのが憚られるほど頭が悪い。しかし、次期天皇である兄の頭が悪いということは両国にとって良いことだ。」(意訳)
と書かれていたように、国民たちも早くから義宮殿下がお察しに近いかただと知っていて、その人柄を愛する者は多かったですが、天皇となると話はまた別ですから、明仁殿下も全く警戒していなかったと思いますよ。万が一おっしゃるような動きがあったとしても昭和天皇がそのようなことをお許しになるわけがない。
明仁殿下が警戒したというのは、嘘でしょうね。

>「華が、宮様をおまもりいたします」
>貧困に陥った大名津軽家を救うため犠牲になられた

辻褄があっていませんね。(^^)

照宮さまについての部分、「入江相政日記」の内容に一致している部分があるので、元ネタは「入江相政日記」でしょうね。

上海生まれ上海育ちの正田富美子さんが上流社会の夫人達から「上海夫人」と蔑まれたことは事実でしょうが、その他の部分は汚い誹謗中傷と私は判断します。
戦前戦中、日本本土(内地)と外地との間には歴然とした差があり、内地の人々は外地の人々を下に見ていたという歴史があります。
驚いたことに、沖縄、北海道も外地扱いで、役人、教師の等級と俸給にも差があったのですね。
外地の人々は、外地に居るというだけで、内地に居る人々から馬鹿にされ、蔑まれた。
そうした歴史的背景を知らないひとには、富美子夫人が「上海夫人」と蔑まれた意味も理解できないのでは?

山崎豊子の『華麗なる一族』も堤氏がモデルでしたね。猪瀬直樹の『ミカドの肖像』も堤についてかなりの部分を費やして書いています。
沢口靖子ちゃんが堤の愛人だったとか。
堤は長い間軽井沢のプリンスホテルを無償で皇太子夫妻(現上皇上皇后)に提供していたが、堤が清子さんを息子の嫁に狙っていると知って、ピタリとプリンスホテルへ行かなくなったとか、面白かったです。
堤は清子さんが誕生した時から、将来のご降嫁を狙って、三笠宮容子さまのパリ生活を丸抱えで面倒みたとか、島津貴子さんに職を与えたとか、、読まれましたか?

前に書きましたが、ご紹介いただいたような玉石混交でも石ころが多い掲示板は興味が無いので、なるべく貼らないでね。なるべくね。
返信する
Unknown (みどりの風)
2023-10-26 04:21:45
追記
東久邇のお姫様は、お道具も全部揃え、徳さんの状態を知りつつも覚悟されて、入内をお待ちになって居た。
そこへミチコさんが押しかけ「お道具が貧乏たらしい」等々ひどく辱めて、断った。
お姫様は文系卒だったのだが受験し、東大医学部にストレートで合格、精神科医になられたと言う。この件で、ミチコさんは旧宮家全部の怒りを買った。
返信する
Unknown (みどりの風)
2023-10-25 05:10:25
■■西武王国を作り上げた男のせい欲が異常!子供は100人!?女好きが高じて大事件に発展した堤康次郎の半生とは38万 回視聴 1 年前121 件のコメ
https://www.youtube.com/watch?v=VQK3iika5Ho
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♠1964年に山本薩夫監督の「傷だらけの山河」は、この人のストーリーです。正0家に子持ちで入った上海のマダムは「愛人」と言われてますね。息子の作家、詩人の方の晩年と養女はそっくり。。。
返信する
Unknown (みどりの風)
2023-10-25 05:01:20
つづき
♠東久邇のお姫様に、予定通り皇太子妃になっていただきたかった
♠ そしたら御用邸のはしごご静養一ヶ月、何億もかけたオランダ海外静養二週間、デイズニーランド貸切り、スキー三昧、高級レストランの豪遊、ご体調の波でドタキャンなんて無かったね。聡明でお若く健康で美しい優しい方です。親王様を三人ぐらい産んでいただけたですね。皇統の危機なんて無かったね。
♠そうです、今上陛下のお話です。
上皇様ですか、あの時代に、例の軽井沢のテニスで他にも令嬢がたがおられたのですが、(当時の)皇太子様(=上皇様)に皆様わきまえて遠慮なさり、距離を取っておられたそうです。一人だけ美智子さんが飛び出してベタベタと皇太子にまとわりつき付きまとって離れず、「非常にはしたなく見苦しいと驚いた」と明治生まれの祖父母が申しておりました。。マスコミは美談にしておりますがw(注;当時の国会で何度も痛烈に批判されたのが、議事録に残っています。当時、飛ぶ鳥の勢いの社会党が応援演説。雅子妃の時は、部落解放同盟が宮内庁を脅迫したそうです)
♠佳子様がそっくりなので驚きました。
♠私も驚きました。
♠愛子様に似てますね。
♠似ていないと思います。
♠似ている所が全く無いですよ。面影もありません!! 佳子内親王殿下に本当に良く似ておられます。
返信する
Unknown (みどりの風)
2023-10-25 04:56:29
つぎに、当時の皇太子夫妻が周囲の不興を買っていた件です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■■【皇室News】昭和天皇の第一皇女 東久邇成子さん2,333,667 回視聴 2018/11/21 363 件のコメ
https://www.youtube.com/watch?v=6YQ9SwaqhfY
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♠17歳でこの文才とは、脱帽だわ。若い頃から「天皇家の自分は周りから注目されやすい」と自覚して行動していらっしゃったのだと思うと、芯の強い方だと思う。
天皇である前に親である、その点も考えると昭和天皇、香淳皇后の両陛下の悲しみはいかばかりかと思う。
♠亡くなられた後 香淳皇后が哀しみにくれられて別荘に籠もられた時 皇太子夫婦が 態々香淳皇后のところに押しかけ 長時間文句を言いに行ったそうです❗ミテコは 成子様に庇って頂いたのに。「ミテコは思い遣りの欠片も無い自己中👩だ」と 入江相政侍従長が 腹を立てられたそうです。
♠成子様が亡くなられた直後「御用地で静養されていた昭和天皇ご夫妻に不平不満をぶちまけに行ったお方が居た」と、聞いたことがありました。お気の毒にと思ったものでした(注;昭和天皇ご夫妻がまだ被災後のボロ家お住まいだったのに、東宮御所の新造を要求するため執拗に押しかけた)
♠東久邇信彦氏が先日亡くなられたそうで御冥福をお祈りいたします。
♠茂子さまのご長男。
♠内親王が4人続いてお生まれになったので昭和天皇は成子さまを皇太子にとお考えになった時期がおありだったそうです。
♠「還暦の祝ひのをりも病あつく成子のすがた見えずかなしも」昭和天皇の還暦の60歳の賀の時の御製です。この年の七月に成子さんは、亡くなられました。
♠涙が…
返信する
Unknown (みどりの風)
2023-10-24 06:05:06
動画がありました。
■■国民が愛した常陸宮殿下と華子妃殿下の生涯を振り返る【皇室】32万 回視聴 2 か月前
https://www.youtube.com/watch?v=V26-LhiGQ3w
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♠貧困に陥った大名津軽家を救うため犠牲になられたお気の毒な女性でした。「お子さんは諦めてください」とあらかじめ釘を刺されて、家の為に嫁がれました。当時ひそかに世の中の女性たちの同情を集めました。
♠理由は分かりませんが、私も親世代からお子様は…と。それを承諾してお嫁ぎになったと、お聞きしました。
♠常陸宮様はおたふく風邪で種が無かったんですよ
♠“火星ちゃん”。昭和40年ごろわたしが大学院生だった医学部2号館の裏側に理学部生物学教室があり、常陸宮はそこの研究生でした。お昼になると赤門の前に宮内庁の車が止まり、重箱3重にしたようなお昼ご飯が届けられました。
当時わたしはある私立女子校の時間講師をしていましたが、そこの校長が事業熱心でいろんな事業に手を出し失敗したので給料が支払えないことがよくあった。わたしのようにアルバイトで教えている者はいいけど、家族持ちの正規の教員は大変だったようです。
理学部からもその女子校に2人教えていた学生がいて、わたしは理学部の教室で「どうやって給料を受け取るか」よく議論したのです。宮様に社会教育をしたというわけです。宮様は黙って聞いておられたが、話が一段落つくと「華子の作ったランチ食べない?」と言って重箱をこっちへ押して下さった。エビの天ぷらとか入っていて華子様がお作りになったとは思えなかったけどわれわれはそれを頂いたのです。ときどき新しく出来た医学図書館の大きな食堂へぞろぞろ歩いて行って、コーヒーを飲みました。宮様はちゃんと現金を持っておられました。(コメントから、一部抜粋)
返信する
Unknown (みどりの風)
2023-10-23 10:16:31
常陸の宮さまは、幼児期のご病気がもとでお種が無いことは、早くからわかって居たようです。華子さまは、それを告げられ一旦話を引き取って熟考なさった後、納得の上で嫁がれたのだったと、記憶しています。
「華が、宮様をおまもりいたします」とおっしゃったのをニュースで読んだ気がします。
以前も書き込ませていただいて否定されたのでしたが、学研肌で温厚な常陸宮様の支持者は多く「次期天皇に」と推す動きもあったそうです。
当然、明仁さま陣営は警戒し、恐らくはその影響で、近年まで常陸宮様に脚光あたらなかったのだろうと、これは、わたしの愚考です。
返信する
追記:こんな皇族初めて! (あかり)
2023-10-22 21:26:49
 上皇后のお祝いに駆けつける愛子さん、ではなく、車止めてゆっくり撮影させ、社によっては修正写真を載せたようですね!最終的に下記のお直し途中の写真を見て、一応納得!
https://dot.asahi.com/articles/photo/204443?pid=c4188dc76ecfae2ab327c33d2a901263366466
1度で2度どころか何度でも美味しく・・、たまに出てくる近場撮影チャンスを利用しまくって「愛子さま、可愛い~」宣伝に大わらわです😮そのためには父天皇の威厳など、完全に蹴っ飛ばしてしまって・・💦宮内庁広報室はこのためのものかっ!
 美智子さんが女優指向だったとしても、これほどのことは無かったですねぇ💦
老いてなお皇族の矜持を見せて下さる華子さまを思うと、この一家は天皇家にあるまじき見苦しさですわ🎃
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Unknown (かえで)
2023-10-22 19:57:48
如意さま、こんばんは。
華子様のお着物姿は素敵ですね。
常陸宮家にお子さまがいらしたら、また違ってきてたのかしら?
美智子さんも華子さまもお若い頃は昭和天皇とよく御一緒に写真などにも写っていましたが、それもいまはすっかりありませんね。
年をとってからのお二人を拝見するに、色々と違ってくるのだなぁと、つくづく思います。
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Unknown (千種)
2023-10-22 11:09:46
如意さん、おはようございます。
皇族らしい華子さまの記事ありがとうございます。

一つ田葉子さん、華やかな雰囲気を伝える会場と華子さまのご様子、ありがとうございます。

やはり、このような栄誉は高貴な身分の方から頂きたいですよね。涙ぐむのもわかります。
ヒラリーが来日していたのは知りませんでした。
しかし、動画再生数の少ないこと。

華子さまの曾祖母は皆さま家女房なんですよね。
父系の伝統で家が続いてきたのにトップが母系(女系)に変えるのはおかしいです。
新年一般参賀で上皇ご夫妻と華子さまが愛子さまをご覧になって、驚愕?何か仰ってずっと視線を外されなかったので、あれは愛子さまの正しい位置だと認識されていなかったと思います。

如意さん、『安城家の舞踏会』いいですね。
あとでゆっくり観たいと思います。
私の世代は『華の嵐』『夏の嵐』w
一世を風靡しました。

雅子さまの東京サミット晩餐会、無駄に走り回り突撃粉砕を見てご優秀は嘘がわかります。
日米半導体会議もあそこから日本の凋落が始まっているので、大活躍というより、通訳されましたでやめとけ!ですw
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Unknown (一つ田葉子)
2023-10-22 01:35:23
TUBEupされております。
世界文化賞 授賞式典 「心の支え、豊かさ必要」 限定公開
https://www.youtube.com/watch?v=WpSLW5gIR0o&t=2s
別アングル画像が共同通信画像にあります。
https://news.goo.ne.jp/picture/entertainment/kyodo_nor-2023101801001443.html

「芸術は人間をひとつに」 第34回世界文化賞授賞式  産経
https://www.sankei.com/article/20231018-Y4XQL6CX5BMOLLVSSDIJUGB3PA/

久々に拝見できた華子様の和装、春の園遊会のお召し物もじっくり
拝見できなかったような気がしました。以前のこの式典での装い、
和洋装どちらも目の保養になっていましたので、楽しみでした。
ネットで拾えた画像をお知らせ致しました。
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宮妃の矜持 (あかり)
2023-10-22 00:46:14
 華子さまは、お子さまがおできならず、兄天皇に蔑ろにされがちなご夫君を、大切な宮様と思い、またその妃としてのご自分を誇り高い存在と自認して堂々と歩まれてきたようにお見上げします。「華ちゃま」と叔母の妃殿下方に可愛がられ、大切にされ、またご自分もよく学ばれ、皇族妃らしい矜持と御名の通りの華やぎ、豪華さを見せられて、昭和の皇室を偲ばせる最後の方となられました。煌びやかで国際的で万事につけて華々しかった美智子さんの影にいらしたようですが、お二人の最近の姿を比べると、人は最後まで分からないものだと思います。三笠宮大妃は父君の不幸に会い、近衛寧子さんはともかく千容子さんのスキャンダルや3親王に先立たれたこと、親王家の未亡人達や女王たちの所業はやはり品下れる感があり、ご苦労が絶えずお気の毒です。お子の無い華子さまはかえって気が楽ではないかとお慰めしたいほどです。華子さまにはまだまだ頑張っていただきたいものです。
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