10/18(水)
華子さま 明治記念館(第34回高松宮殿下記念世界文化賞授賞式典)
華子さま 明治記念館(第34回高松宮殿下記念世界文化賞授賞式典)
😇 youtubeに動画がアップされていないので、
FNNプライムオンラインのニュースの動画です。
1940年7月19日(昭和15年)華族としてお生まれになった華子さま。
ニュース記事内の動画では、授賞式典での生き生きとした華子さまのお姿を拝見できる。
海外からの御客様を交えた錚々たる人々が交流する会場は、華やかな雰囲気に包まれて、華子さまは我が庭のように動いていらっしゃいます。
華子さまの前には次々と人がやってきて、華子さまはフレンドリーに会話を楽しんでいらっしゃいますが、華族出身の宮妃らしい威厳と誇りの高さはさすがです。
紀子さまもいつか華子さまの域に到達されるのでしょうか。雅子さま?無い無い。
【速報】「世界文化賞」授賞式典始まる 華子さまご出席 クリントン元国務長官らがスピーチ2023年10月18日 水曜 午後4:51 FNNプライムオンライン優れた芸術家に贈られる日本美術協会が主催する「第34回高松宮殿下記念世界文化賞」の授賞式典が始まった。18日午後4時過ぎ、常陸宮妃華子さまが東京・港区の明治記念館に到着され、授賞式典が始まった。式典は、各界からの来賓などおよそ200人が出席し、4年ぶりにコロナ禍前の規模で行われている。アメリカのヒラリー・クリントン元国務長官をはじめとする国際顧問のスピーチに続き、日本美術協会総裁の常陸宮さまに代わり、華子さまから絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の各部門の受賞者5人に功績をたたえるメダルが贈られる。午後6時からの祝宴には、岸田首相もお祝いに駆けつける予定。
横文字はLe Bal dux Anjos
フランス語なのも、敗戦直後、まだアメリカナイズされていなかった時代の日本らしい。
1947年9月27日公開、5月3日に華族制度が廃された年に作られた没落していく華族の映画。監督が新藤兼人なので左翼風味ですが、それも当時の日本の雰囲気だったのでしょう。
左翼風味のストーリーはともかく、日本に、かって存在した華族の雰囲気をよく伝えているのではないかと思う。
セリフの日本語が美しい。
当時7歳の華子さまの周囲の人々も、このような日本語を話していたのでしょうね。
上記「世界文化賞」式典の雰囲気は、どこかこの映画の雰囲気に似ている。
世界文化賞式典、集う人々は定めし上流の人々ならん。
The Ball at the Anjo House 安城家の舞踏会 - Kōzaburō Yoshimura 吉村 公三郎 (1947) ENG SUB
世界文化賞 授賞式典 「心の支え、豊かさ必要」 限定公開
https://www.youtube.com/watch?v=WpSLW5gIR0o&t=2s
別アングル画像が共同通信画像にあります。
https://news.goo.ne.jp/picture/entertainment/kyodo_nor-2023101801001443.html
「芸術は人間をひとつに」 第34回世界文化賞授賞式 産経
https://www.sankei.com/article/20231018-Y4XQL6CX5BMOLLVSSDIJUGB3PA/
久々に拝見できた華子様の和装、春の園遊会のお召し物もじっくり
拝見できなかったような気がしました。以前のこの式典での装い、
和洋装どちらも目の保養になっていましたので、楽しみでした。
ネットで拾えた画像をお知らせ致しました。
皇族らしい華子さまの記事ありがとうございます。
一つ田葉子さん、華やかな雰囲気を伝える会場と華子さまのご様子、ありがとうございます。
やはり、このような栄誉は高貴な身分の方から頂きたいですよね。涙ぐむのもわかります。
ヒラリーが来日していたのは知りませんでした。
しかし、動画再生数の少ないこと。
華子さまの曾祖母は皆さま家女房なんですよね。
父系の伝統で家が続いてきたのにトップが母系(女系)に変えるのはおかしいです。
新年一般参賀で上皇ご夫妻と華子さまが愛子さまをご覧になって、驚愕?何か仰ってずっと視線を外されなかったので、あれは愛子さまの正しい位置だと認識されていなかったと思います。
如意さん、『安城家の舞踏会』いいですね。
あとでゆっくり観たいと思います。
私の世代は『華の嵐』『夏の嵐』w
一世を風靡しました。
雅子さまの東京サミット晩餐会、無駄に走り回り突撃粉砕を見てご優秀は嘘がわかります。
日米半導体会議もあそこから日本の凋落が始まっているので、大活躍というより、通訳されましたでやめとけ!ですw
華子様のお着物姿は素敵ですね。
常陸宮家にお子さまがいらしたら、また違ってきてたのかしら?
美智子さんも華子さまもお若い頃は昭和天皇とよく御一緒に写真などにも写っていましたが、それもいまはすっかりありませんね。
年をとってからのお二人を拝見するに、色々と違ってくるのだなぁと、つくづく思います。
https://dot.asahi.com/articles/photo/204443?pid=c4188dc76ecfae2ab327c33d2a901263366466
1度で2度どころか何度でも美味しく・・、たまに出てくる近場撮影チャンスを利用しまくって「愛子さま、可愛い~」宣伝に大わらわです😮そのためには父天皇の威厳など、完全に蹴っ飛ばしてしまって・・💦宮内庁広報室はこのためのものかっ!
美智子さんが女優指向だったとしても、これほどのことは無かったですねぇ💦
老いてなお皇族の矜持を見せて下さる華子さまを思うと、この一家は天皇家にあるまじき見苦しさですわ🎃
「華が、宮様をおまもりいたします」とおっしゃったのをニュースで読んだ気がします。
以前も書き込ませていただいて否定されたのでしたが、学研肌で温厚な常陸宮様の支持者は多く「次期天皇に」と推す動きもあったそうです。
当然、明仁さま陣営は警戒し、恐らくはその影響で、近年まで常陸宮様に脚光あたらなかったのだろうと、これは、わたしの愚考です。
■■国民が愛した常陸宮殿下と華子妃殿下の生涯を振り返る【皇室】32万 回視聴 2 か月前
https://www.youtube.com/watch?v=V26-LhiGQ3w
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♠貧困に陥った大名津軽家を救うため犠牲になられたお気の毒な女性でした。「お子さんは諦めてください」とあらかじめ釘を刺されて、家の為に嫁がれました。当時ひそかに世の中の女性たちの同情を集めました。
♠理由は分かりませんが、私も親世代からお子様は…と。それを承諾してお嫁ぎになったと、お聞きしました。
♠常陸宮様はおたふく風邪で種が無かったんですよ
♠“火星ちゃん”。昭和40年ごろわたしが大学院生だった医学部2号館の裏側に理学部生物学教室があり、常陸宮はそこの研究生でした。お昼になると赤門の前に宮内庁の車が止まり、重箱3重にしたようなお昼ご飯が届けられました。
当時わたしはある私立女子校の時間講師をしていましたが、そこの校長が事業熱心でいろんな事業に手を出し失敗したので給料が支払えないことがよくあった。わたしのようにアルバイトで教えている者はいいけど、家族持ちの正規の教員は大変だったようです。
理学部からもその女子校に2人教えていた学生がいて、わたしは理学部の教室で「どうやって給料を受け取るか」よく議論したのです。宮様に社会教育をしたというわけです。宮様は黙って聞いておられたが、話が一段落つくと「華子の作ったランチ食べない?」と言って重箱をこっちへ押して下さった。エビの天ぷらとか入っていて華子様がお作りになったとは思えなかったけどわれわれはそれを頂いたのです。ときどき新しく出来た医学図書館の大きな食堂へぞろぞろ歩いて行って、コーヒーを飲みました。宮様はちゃんと現金を持っておられました。(コメントから、一部抜粋)
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■■【皇室News】昭和天皇の第一皇女 東久邇成子さん2,333,667 回視聴 2018/11/21 363 件のコメ
https://www.youtube.com/watch?v=6YQ9SwaqhfY
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♠17歳でこの文才とは、脱帽だわ。若い頃から「天皇家の自分は周りから注目されやすい」と自覚して行動していらっしゃったのだと思うと、芯の強い方だと思う。
天皇である前に親である、その点も考えると昭和天皇、香淳皇后の両陛下の悲しみはいかばかりかと思う。
♠亡くなられた後 香淳皇后が哀しみにくれられて別荘に籠もられた時 皇太子夫婦が 態々香淳皇后のところに押しかけ 長時間文句を言いに行ったそうです❗ミテコは 成子様に庇って頂いたのに。「ミテコは思い遣りの欠片も無い自己中👩だ」と 入江相政侍従長が 腹を立てられたそうです。
♠成子様が亡くなられた直後「御用地で静養されていた昭和天皇ご夫妻に不平不満をぶちまけに行ったお方が居た」と、聞いたことがありました。お気の毒にと思ったものでした(注;昭和天皇ご夫妻がまだ被災後のボロ家お住まいだったのに、東宮御所の新造を要求するため執拗に押しかけた)
♠東久邇信彦氏が先日亡くなられたそうで御冥福をお祈りいたします。
♠茂子さまのご長男。
♠内親王が4人続いてお生まれになったので昭和天皇は成子さまを皇太子にとお考えになった時期がおありだったそうです。
♠「還暦の祝ひのをりも病あつく成子のすがた見えずかなしも」昭和天皇の還暦の60歳の賀の時の御製です。この年の七月に成子さんは、亡くなられました。
♠涙が…
♠東久邇のお姫様に、予定通り皇太子妃になっていただきたかった
♠ そしたら御用邸のはしごご静養一ヶ月、何億もかけたオランダ海外静養二週間、デイズニーランド貸切り、スキー三昧、高級レストランの豪遊、ご体調の波でドタキャンなんて無かったね。聡明でお若く健康で美しい優しい方です。親王様を三人ぐらい産んでいただけたですね。皇統の危機なんて無かったね。
♠そうです、今上陛下のお話です。
上皇様ですか、あの時代に、例の軽井沢のテニスで他にも令嬢がたがおられたのですが、(当時の)皇太子様(=上皇様)に皆様わきまえて遠慮なさり、距離を取っておられたそうです。一人だけ美智子さんが飛び出してベタベタと皇太子にまとわりつき付きまとって離れず、「非常にはしたなく見苦しいと驚いた」と明治生まれの祖父母が申しておりました。。マスコミは美談にしておりますがw(注;当時の国会で何度も痛烈に批判されたのが、議事録に残っています。当時、飛ぶ鳥の勢いの社会党が応援演説。雅子妃の時は、部落解放同盟が宮内庁を脅迫したそうです)
♠佳子様がそっくりなので驚きました。
♠私も驚きました。
♠愛子様に似てますね。
♠似ていないと思います。
♠似ている所が全く無いですよ。面影もありません!! 佳子内親王殿下に本当に良く似ておられます。
https://www.youtube.com/watch?v=VQK3iika5Ho
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♠1964年に山本薩夫監督の「傷だらけの山河」は、この人のストーリーです。正0家に子持ちで入った上海のマダムは「愛人」と言われてますね。息子の作家、詩人の方の晩年と養女はそっくり。。。