伊勢神宮大宮司に久邇氏 旧皇族出身の元商社マン2022/7/5 17:14 産経新聞
伊勢神宮(三重県伊勢市)は5日、大宮司の小松揮世久氏(72)の後任に、三菱商事などに勤務した久邇朝尊氏(62)が同日付で就任したと発表した。神宮職員のとりまとめ役として、上皇ご夫妻の長女で祭主を務める黒田清子さん(53)の下で神事をつかさどる。久邇家は旧皇族で、父邦昭氏(93)も大宮司を務めた。久邇氏は東京都出身で1983年に学習院大を卒業。三菱商事を経て、同社と双日が出資する鉄鋼商社で監査役を務め、昨年6月に退任した。就任後初の神事は、順調な天候と豊作を祈る8月4日の風日祈祭となる。
😊 大手メディアの報道はどこも、産経とほぼ全く同じ。共同通信配布の記事をそのまま使用しているからでしょう。
お伊勢さんの地元三重の報道は少々ちがう。どこか暖かみが感じられるし、きちんと「天皇陛下のご裁可により」と書いてあるところが好ましい。
パッと見読めない小松揮世久氏に(こまつきよひさ)、久邇朝尊氏に(くにあさたか)と かながふってあるのも地元ならではの心づかいでしょうか。
ドイツ勤務の元商社マン 旧皇族の久邇朝尊氏が伊勢神宮大宮司 次回の式年遷宮に向け準備7/6(水) 12:50 三重テレビ放送神宮司庁は、5日付で伊勢神宮の小松揮世久(こまつきよひさ)大宮司が退任し、後任として久邇朝尊(くにあさたか)氏が就任したと発表しました。退任した小松氏は、2017年に大宮司に就任し、平成から令和への御代替わりに伴う儀式に奉仕するなど大役を全うしました。天皇陛下の御裁可により、小松氏は5日付で退任し、新たに久邇氏が大宮司に就任しました。久邇大宮司は、旧皇族の久邇宮家出身の62歳。前々回の式年遷宮に関する神事を大宮司として取り仕切った久邇邦昭氏の長男で、1983年に学習院大学を卒業後、三菱商事に入社し、ドイツでの海外勤務などを経験しています。久邇大宮司は、2033年に予定される次回の式年遷宮に向け、準備にあたることになります。
久邇朝尊氏と皇室の関係が解る系図を探したのですが、このようなものしか見つけられなかった。
年齢は平成24年(2012年)作図当時の年齢なので、現在の年齢は+10歳。
久邇朝尊 氏の父邦昭氏は上皇の母方の従兄。久邇朝尊 は今上、秋篠宮殿下、清子さんの再従兄(はとこ)で合ってますか。
前任の小松揮世久氏の祖父は図中の小松輝久氏。
小松揮世久
小松 揮世久(こまつ きよひさ、1949年12月27日 - )は、日本の実業家、神職。霞会館理事を経て、伊勢神宮大宮司、神宮司庁代表役員、日本会議顧問。小松旧侯爵家当主。小松輝久(旧皇族北白川宮家輝久王)は祖父。小松宮の祭祀継承者である。
略歴
東京都生まれ。1974年一橋大学経済学部卒業、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。国際畑を歩み、カナダ駐在、マニラ駐在、バンクーバー支店長、中目黒支店長、金沢支店長、金沢支社長を歴任した。2002年から財団法人三菱財団に移り、同財団の助成事業部長や総務部長を務めた。2011年6月から2017年6月まで一般社団法人霞会館理事。2017年7月3日、黒田清子祭主の新体制の下、伊勢神宮大宮司、宗教法人神宮代表役員に就任。
久邇朝尊氏は三菱商事。小松揮世久氏は三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)。皇室・皇族と旧三菱財閥との長く深い関わりは途切れなく続いていることがうかがえます。
小室報道華やかなりしころ美智子さまが三菱UFJを退職した小室の就職先を霞会館に相談していると、関係者談として報道されたこともありましたね。😁
たとえ縁故入社としても、小松揮世久氏、久邇朝尊氏は仕事が出来るかただったのでしょう。元皇族という出自だけでは出来ない責任有る部署を遍歴されています。
実社会で責任ある仕事をされてきたかたが清子さんをお支えしてるのは実に頼もしくめでたい。伊勢神宮の弥栄は続くでしょう。
皇室が伝えて来た神聖が残っているのは、もう此処だけになってしまったようだ。
こういうことから、乱れきった体制が整ってくることを期待します。
このブログが皇室問題に限っているのでコメントできますが、世の中には嫌なことが山積みで、いろいろな説がありますので、多くの問題について書くことは難しいです。せめて「私たちのために祈ってくださっている方々」の夢を見たいと思って、書かせていただいています。
注目したニュースでした。記事にして下さり有難うございます。
三重テレビ放送の記事は「お伊勢さん」の地元らしく好感がもて
また、先頃の皇嗣同妃殿下の神宮へのご報告記事の扱いも
地元の他社でしたが、好感がもてました。
皇學館の学生や道端でのお出迎えの画像があったり、
見せて頂きたいものが見れました。
久邇氏との関係はご案内の通り、「はとこ」です。
系図の貼付も有難うございます。
産経の記事「両陛下ご動静(5日)(宮内庁発表分)から、
【午前】
陛下 新旧神宮大宮司が拝謁(御所)
皇后さま 新旧神宮大宮司が拝謁(御所)
両陛下 人事異動者が拝謁(御所)
【午後】
陛下 最高裁判事ら2人の認証官任命式(宮殿)
陛下 ご執務(御所)
雅子さん、会っていますね、午前中ですが…(笑)どうでしょう。
久邇氏、皇后が妹君なら、ご兄妹で皇室をお支えにと思える
風景でしたね。…詮無い事と思いつつ。
中段の画像の方は宮内庁章典次長の筑波和俊氏、山階宮で旧皇族。
逸れますが、佳子様総裁の日本工芸会会長は東久邇家ご次男で
壬生家に養子に行かれた壬生基博氏です。
神社本庁の統理は元伊勢大宮司の鷹司氏、今回の交代から
既に寄付も始まっている2033年の遷宮には悠仁親王が27歳?で、
皇族代表を務められるかもと早々と思ったりしました。
また前回の美智子様のお写真の話で申し訳ないのですが。あの時、清子さんもいらっしゃいましたよね。確かあの時の美智子様はピンクのスーツ?のようなものを御召しで、対して清子さんは本当~に地味~なジャケットとスカートでした。
いつもいつも、「なぜあんなに地味な格好をさせてあるんだろう?」と疑問でした。
今回の記事の清子さんの横顔が凛としていて素敵だなぁとしみじみ思います。
春日大社のことを以前、テレビで放送していまして宮司さんのことも少し触れられてちましたが、ものすごい家系でした。
対して、皇室は…。
皇室の改革って、なんだったのでしょうね。
単なるセレブになることだったのでしょうか。
久邇氏の就任、順当な人選ですね。
この方の妹さんが今上のお后候補として最後迄控えていらした晃子さんですね。
お兄様を見る限りスッとした美形でいらっしゃるので妹さんもそれなりなのでは?と思うのですが、今上の好みじゃなかったんですよね。
今上は帝王教育を受けていらっしゃるから秋篠宮とは違うとか云う輩がいますが、自分の立場に相応しい女性を選ばなかったのですから帝王教育も役立たずでした。
一つ葉田子さんコメントで神社庁統理なるものを初めて知りました。
そして写真の筑波氏、この方も旧皇族に繋がる方なのですね。
この方が何歳なのかは分かりませんが、次世代にも皇室関連の職に就かれる奇特な方はいらっしゃるのかしら?と疑問に思いました。
三菱・三井はこのようなやんごとないご身分の方が大勢いらっしゃるそうです。
期待されるのは実務の実力ではなく、偏に諸々の恩恵、もしくは名誉なようです。
1つ前の記事で、私は皇室と旧宮家・華族と親しくお付き合いされることは減ったようだとコメントしました。それが誤りであり或いは神事を通して繋がりがあるのであれば、めでたいことだと思います。
およそ20年後には御遷宮があり、清子祭主の年齢を考えると次期祭主のお名前も取り沙汰されるでしょう。その頃には皇室はどうなっているのでしょうね。
> 東久邇家ご次男で壬生家に養子に行かれた壬生基博氏
記事内でアップされています系図をご覧になればお判りと思いますが
系図に書かれた(壬生秀彦氏)の事で、御養子前は「東久邇秀彦」と
名乗られてました。
ダブルワイさん、はじめまして。
筑波和俊氏について、お生まれは1949年と判り、ご夫人が2015年に
他界されている事はわかったのですが、お子様の事は確認できず、
少々残念な思いでおります。
筑波氏が章典次長なのですが、章典長は2014年外務からの
楠本祐一氏(wikiより)となっていますので大丈夫な人事?かと…。
天皇家の新旧神宮大宮司が拝謁の記載がされてましたが、
宮内庁HP秋篠宮家のご日程から確認できましたが、
令和4年7月5日(火)
秋篠宮皇嗣同妃両殿下 新旧神宮大宮司ご挨拶
(神宮大宮司交代にあたり) (赤坂東邸)と記載でした。
こんばんは。
皇室の祖神がその末裔の皇室の方々によって守られて行く・・めでたいです。(^^)
清子さんの跡は眞子さんが継がれるに違いないと信じて疑わなかった日々が遠い遠い昔のようです。
あかりさん
こんばんは。
皇族の方々には、どこかにこのような清浄さを留めて置いて頂きたいと思うのですが…。(-_-)
清子さまは祭主になられてからグングン清浄さを増して行かれたように感じます。
明治大正昭和平成と浄く流れた皇統を悠仁殿下につなげてこそ皇統は浄いですわね。
浄くサラサラと流れる皇統の流れがあるのに、涸れ沢に遠くから水を引いて流すような無理算段は必要無いです。
今上家は流れが消えた涸れ沢!涸れ沢です。歴史を見れば涸れ沢天皇は今上に限ったことではない。何をジタバタしているのか、と思いますよ。
一つ葉田子さん
こんばんは。
やはり御伊勢さんの地元の方々は違いますね。変わることのない伊勢神宮と皇室への崇敬の姿を知ると心が安らぎます。
そのような方々の思いを今上御一家はきちんと受け止めていらっしゃるのでしょうか。(どうも怪しいなぁ。と不信感)
>中段の画像の方は宮内庁章典次長の筑波和俊氏
実はwikiの小松揮世久氏の項目この画像がありました。眼鏡は掛けているけれど顔が小松氏とは違うような気がして首を捻っていたのです。
違う筈ですね。別人ですから。笑。
説明文を付けなくて良かった!大恥書くところでしたわ。
2033年の遷宮、悠仁殿下が皇族代表を務められる御姿を是非とも拝見したいものです。
かえでさん
こんばんは。
清子さまは装いも存在も目立たないかただったと記憶しています。でも今当時の写真を見ると結構良い物を身に着けていらっしゃるし、お小さい頃からお着物も帯も心を込めて選んだ高級品ばかりだったと解ります。美智子さまは清子さんのことを一体化するほど愛おしんでいらっしゃったけれど、清子さんは案外クールにお母さまを見ていらっしゃったのかも?
平成の天皇皇后の皇室改革は美智子さまがそこで育った正田家風になることだったのかも?正田家は単なるセレブでしたから、皇室も単なるセレブになったのでしょう。
令和の皇室は雅子さまが育った小和田家風。通俗的な成金一家?
ダブルワイさん
こんばんは。
久邇晃子さんが皇太子妃になっていたら・・そりゃ今とは全く違っていたでしょう。詮なきことですね。
帝王教育ねー。平成の天皇の帝王教育は、「共に暮らしていることで徐々に吸収させる。」のようですからね。それなら秋篠宮殿下もそう変わらない。
牡丹さん
こんばんは。
清子さんは53歳。あと30年くらいは祭主のお務めは出来るのではないでしょうか。
池田厚子さんは86歳まで務められました。清子さんが補佐役の臨時祭主になられたのは厚子さんが81歳の時です。
30年後の皇室はどうなっているでしょうね。眞子さんが苦労するうちに眼が覚めて小室と離婚。一皮も二皮も剥けてご帰国。祭主見習いから清子さまの跡を継いで伊勢の祭主になる。という筋書きはいかがでしょうか。(^^)