今日はまいすの命日。
まいすの旅立ちは、私の中では未だに消化できていない部分がある。
ひとりで逝かせてしまいお別れを言えなかったこと。
回復に向かっていたから、まさかの出来事だったこと。
そして原因がわからないこと。
これらのことから、う~に~のときと違い、受け入れにくくなっているのだろう。
でもまあ冷静に考えてみれば、4時間以上お腹を開けられていた、
BUNもクレアチニンもとんでもない数値だった老猫なのだから、
何が起きてもおかしくなかった。
手術が成功して、もうすっかり元気になると思い込んでいた自分が浅はかだったのだ。
だけど手術後は、ごはんも食べて爪とぎもして、コタツでヘソ天で寝ていて、
確かに元気になった。
手術中に逝ってしまったり、手術せずに尿毒症で苦しませてしまうよりはよかったと思う。
それが救いでもある。
これがばまちゃんだったら、どうするだろう。
ストレスに弱いばまちゃんに、入院や手術をさせられるだろうか。
或いは苦しいとわかっていて、そのまま見過ごすことができるだろうか。
どちらにしても、厳しい選択になるなあ。
まいすと出会えたから、今のばまちゃんとの生活がある。
うちを選んで来てくれたまいちゃん、ありがとう。
大好きだよ
コタツ大好きだったまいす。
ばまちゃんは使いません