「よく泣けるね」
そう言われていたたまれないやら、情けないやら、むなしいやら…
ミオは好奇の目にさらされながら存分に泣いて、泣きつかれた自分を恥じる。
「ごめんなさい」
橋の欄干に二人背をもたせかけたまま、目の前に沈んでいく夕日を見ている。
「…何が悲しかったの」
そう訊ねられても、今の複雑な心境をうまく言葉にすることができない。
それでも、レンにはちゃんと言っておかなくてはならなかった。
「私、強くなってなくて、昔と変わらなくて、成長してなくて、全然だめでして…」
違う。言いたいことは、そんなことじゃない。そうじゃないのだが。
「それ、悲しいことなの?」
と、意外そうに問われて、ミオは驚いて顔を上げる。
「は、はい、弱いままでなんにもできなくて、だから、弱い自分が」
嫌いです。
とは、言えなくて口をつぐむ。
なぜか、レンにはそれを言えないような気がした。それは、敗者を意味する。
(負ける?なにに?)
ミオの自問、それを考えるより先に、レンがぽつりと言った。
「ミオはすごく強くなった」
え?と、レンを見れば、レンは、「それ」とミオの手の中を指す。
「これ?」
涙を吸収して、不必要に重くなったハンカチを見て。
「あ、ごめんなさい!洗って返しますから…」
と、あわてたミオは、その布地にある刺繍に気づいて、目をとめる。
その刺繍には、覚えがあった。
村の花だ。
4枚の花弁から、しまい(四枚)の花と呼ばれ、終わりを意味するという言われのある花。
だがこの花は、まれに5枚の花弁をつけることでも知られていた。
それは終いを覆す奇跡の証として、守りの象徴でもあった。
だから、あの日、自分はこの花を刺繍したのだ。初めて村を旅立つレンのために。
…レンを終いから遠ざけるお守りとして。
「昔、ミオがくれた花は布だったけど、今は鉄だ」
と、レンが自分の髪留めを指さす。
夕日に輝く小さな飾りの花は、勿論、5枚のものを選んだ。無意識に、けれど確実に。
「布より、鉄の方が強い」
そんなことを言われて、ただ呆ける。
それが、ミオが強くなった証になるだろうか?
「これだと武器になるし」
などと物騒なことを言われ、ミオは我に返る。
「そんなものを武器にしちゃいけません!!」
レンなら本当にこのピンで急所を突いて戦況を有利に導いてしまえるのだろう画が、
難なく描けてしまうのも問題じゃないのか。
「…はい、すみません」
問答無用で叱りつけられたレンは、子供のように謝る。
その姿があまりにもちぐはぐで、こんなときだというのに、ミオは笑い出してしまった。
「なに?」
「レンちゃんは時々、子供のままみたいです」
先ほどの涙の名残と相まって、泣き笑いのようになってしまうミオに。
「…子供のままだよ。体は、大きくなったけど」
何も変わってないよ、とレンは両腕を広げて見せる。
「そんなこと」
「変わったのは、ミオの方だよ」
そう言ったレンは、最初会った時誰だか全然わからなかった、と続けた。
「会ってからも、一緒に行動していても、時々、これ誰だろうって思ってた」
レンはミオのことがわからなかった。
ミオはレンのことがすぐわかった。
「これって、ミオが変わったってことでしょ」
「でも、レンちゃんだってすごく、強くなってます」
そうだ。
昔と違って、確実にミオを守れる、と言い切れるほどに力と自信をつけたレン。
きっと村に戻れば、同年代の誰をも凌ぐだろうと思える。
そして、そんなレンと比べて自分は…、と、どうしても思ってしまうミオの弱さ。
ミオのその告白をじっと聞いていたレンは、少し考えて、口を開く。
「…昔でも、同世代の子は相手じゃなかったけどね」
「え?」
「けがさせても面倒だから適当に相手してただけだし」
「えっ」
「それに昔と違って今は確実に守れる、っていうのは、ただの実体験」
「ええ?」
「昔は村の外がどんなだか解らなかったから多分守れる、って思ってただけ」
「……」
「実際村の外に出たら案外なんでもなかったから、絶対守れる、って言っただけ」
だから成長したっていうのとは違う、と言い聞かせられて、言葉を失う。
これは、ミオの想定の範囲外過ぎて太刀打ちできない、というところだろうか。
レンと比べて何もできない自分、というより、比べることそのものが愚かだったのか。
おこがましいことで煩わせちゃったりしてスミマセン、と謝るべきか。
自分の気持ちのおきどころが解らなくて放心しているミオに構わず、それより、と
レンが向き直る。
「ミオは、すごく強くなったって、わかる」
村に帰ったら姉さんたちびっくりするよ、と当然のように言いきるレンの、
その目に映るミオは。
「初対面で喧嘩腰のコーラルから、ミカヅキをかばったり」
「あ、あれは」
「状況を把握して宿まで案内して、ちゃんと仲をとりもったり」
「え、だって」
「試練に行ったときも、誰も孤立しないように気を配ったり、自分から提案したり」
「……」
「人の輪の中にいても物おじせずに自分の役割を果たしてた」
言葉にされると、ごくごく当たり前のことだと思える。
だがレンに指摘されるということは、それさえも出来なかったというのが昔の自分。
その情けなさと、多分、
「それは、私が強くなったんじゃなくて…」
ウイたちがいなければ、当然、というそのレベルにさえも到達できなかっただろう自分を恥じる。
その言葉を、レンは最後まで言わせない。
「ミオが自分で自分をどう思っているかはわからないけど」
そう前置いて。
「他人からの評価を、違う、っていうのは、…この場合、おかしい」
「え?」
少し低いレンの声、強くも弱くもなく、穏やかに息をするように、ゆっくりと喋る。
すぐ泣きだすミオに配慮してか、もともとのレンの性格からくるものなのか、
ミオには解らなかったが、それでもレンのこの話し方は昔からずっと変わらない。
だからこそ、大事なことに耳を傾けることができる。
「あなたは出来る人だ、って言われて、私は本当は出来る人じゃないんです、って」
ミオが言いたいのなら、それを証明するために。
「ミオは、また一人でメソメソして部屋に閉じこもって、昔みたいに人から逃げ回るの?」
「……」
「なんのためにわざわざそんな後ろ向きなことするの。…おかしいでしょ」
今、そんなミオはいないのに。
ちゃんと出来ていることを、出来ないと否定する意味がない。
「…はい」
半ば強引なレンの説得に、勢いで押されたように頷いたミオは、以前にも同じようなことを、
言われたことがあった、と、不意に閃いた。
「あ」
「なに」
「ずっと前、ミカさんに言われたことがあって…」
できないと思うことをやめれば、元々ちゃんとできている。
それは、それを言われた当時のミオには理解しがたい言葉だった。
だが今のミオには確信がある。レンとミカが自分に向けてくれた言葉の真意は、同じだ。
当時のその状況を説明すれば、黙って聞いていたレンが、ふうん、と頷く。
そして。
「それが今解るようになった、ってことは、ミオが成長したってことじゃないの」
そうなのだろうか?
自分はあの日からミカの言葉を理解しようと努めていたのだろうか?
必死に、ただ誰の足手まといにもならないようにと、ただそれだけに必死だった日々が。
「ミカヅキはイイ人だね」
その言葉に集約されていく気がして、ミオはただ素直に頷いた。
「はい!」
「私は、ミオのイイ人になれなかったからね」
「え?」
唐突なレンの言葉に驚くミオ、その様子を見て、レンが困ったように笑う。
「村を出た日、どうして姉さんたちがミオを連れていくことを許してくれなかったのか」
今ならわかるよ、と空を見上げる。
大人びたレンの横顔には、甘えや優柔さはない。レンもまた、過去と決別しようとしている。
(決別?)
ミオが自分の思考に胸騒ぎを感じ始めていることを知る由もなく、ただレンはひとり言のように話す。
「ただ単純に、ミオの弱いところを守ればいいと思ってた。それはすごく簡単なことだったし」
ミオは好きなことをしていられるし、そうしてくれるだけでいいと思っていた。
二人でいれば旅は困難ではなく、むしろ自由と希望に満ちるのだと思っていた。
「だけど、そんなものは姉さんたちは望んでなかった」
「そんな、もの?」
「そう、そんなもの、ただのおままごとだよ」
それは、村にいることと変わらない。
独り立ちの儀式として、村を出る意味がない。
手を取り合っていくというのなら、互いに研磨し、時には違え、本意なく傷つけあったとしても、
それでもその手を離さない、という覚悟が必要だった。
「…そうすることを、いつも、逃げていた気がする」
そう告白されて、それはそのまま、自分にも突きつけられた言葉だと思った。
相手を傷つけないように、自分が傷つかないように、それが二人の関係。
安寧と平穏と、静けさの中で何も動かない。だから。
「私が、レンちゃんにとってイイ人じゃなかったから、一緒にいられなかったんですね」
真実を口に出すことには、心が震えた。
「今、コーラルさんが、レンちゃんにとってイイ人なんですね」
自分には出来なかったこと、足りなかったこと。
レンを動かすのは今、旅路を共にするコーラルだ。
「え?コーラル?」
やや意外そうにミオをみるレンに、ミオは笑顔を見せることができた。
「だって、お姉さんのこと、今なら解る、って言ったでしょ。じゃあ、レンちゃんも成長したってことですよ」
先に、ミカの話をしたときにレンが言った言葉だ。
真実と向き合い、自省し、それを糧に高みへと上る。そうできるように成長していくことを促す存在。
レンが言いたい、「イイ人」とは、そういう存在のことをいうのだろう。
だったら。
「うん、そう…、かな」
ミオの言葉に、とても自信がなさそうに頷くレンの姿に、一抹の寂しさはあった。
出来れば、もっと早く、そのことに気づいていれば、ミオも、レンも、一緒に村を出られたのだろう。
そうして、それが叶わなかったとしても、再会した今、互いに「イイ人」であれば、迷うことなく、
ミオはレンの申し出を受けられたのかもしれない。
果たせたかもしれない、あの日の約束。
(まだ、足りない)
自分の力は足りない。何が足りないか、レンに教えられたからこそ、余計に足りないと思う。
だが、そのミオの悲愴を、レンは否定した。
「それは、違うかな」
「違う?」
「確かに、コーラルには鍛えられたし、姉さんたちのことも理解出来たけど」
と、レンはまっすぐミオをみた。
「今のイイ人はミオだよ」
偽らない言葉、疑う隙もない視線、レンの言葉だからそれはきっと真実。
それでも、今のミオには受け入れがたい言葉。
「私、ですか?どうして?だって、一緒に行けないのに」
「うん、それは、私の方がミオのイイ人じゃないから」
「そんなの、ずるいです、よ」
また甘やかされて、自分は守られるばかりで、と底に留まるばかりのミオの傷を、断ち切るのは。
「そうじゃないんだよ」
ミオは力をつけた、って言ったでしょ、とレンが、ミオの手をとる。
確かに触れ合うぬくもりが、ミオの意識を上向かせる。
「ミオが成長したと思った。成長させたのは、ミカヅキたちで、私じゃなかった」
「…レン…ちゃん」
レンの口から語られる心情は、まさに、つい先ほどの自分の心情と同じだ。その不思議な感覚。
あのレンが、嫉妬している?
そしてそれは、ミオも嫉妬という感情を覚えていたということ。
「それがすごく悔しくて、ミオを連れて行こうと思った。…本当は解っていたのに」
自分はミオのイイ人ではいられない事。
再会する前から、一緒に旅はできないと解っていたけれど。
「悔しくて、ちょっと意地悪したんだ。ごめんね、泣かせて」
一緒に行こうと言われ、それをミオが受け入れられないこと、優しいミオを板挟みにすること。
全部わかっていて、意地悪をしたのだ、とレンが言う。
「そんなこと…」
謝らないで、と言いたかったのか。あるはずない、と否定したかったのか。
震える心に、レンの言葉は熱い。
こんな熱は知らない。
あの日の自分たちは、もういない。
「意地悪してやろうって思うくらい、ミオが、強くなってたから、焦った」
ずっとこの街にいる間中、焦っていた。
あの村での「弱い者同士」だったはずのミオはどんどん先に進んで、力をつけていく。
きっと、このままでは、自分は置いていかれるのだ、ということに気づかされた。
ミオに対して、初めて、そんな意識が芽生えた。
「だから、ミオはイイ人だけど」
と、言葉をとぎらせたレンに応えるために、ミオもその手を握り返した。
解る。
誰よりも、自分が一番、レンの気持ちが解るのだと思った。
だから。
「…イイ人だから、一緒に行けないんですね」
そう、とレンが笑った。意地、と付け足した。
宿に戻るまでの道を、二人、子供のように手をつないで歩く。
ミオにとってずっと憧れていた強さを持つレンが、ミオに負けたくない、と言った。
正直、まだミオ自身、それを信じられずにいるけれど。
それを否定すれば、またレンに呆れられるのだろう。
「出来ていることをわざわざ否定する意味って、なんなの」、とミオを諭したレンは、
子供の頃から独特の感性を持っている。
自身の強さを誇示することも武器にすることもなく、ありのまま生きてたらそうなった、という。
だから、ずっとミオを悩ませ悲しませてきたこの弱さのことも、責めることも見限ることもせず、
ありのままで何がいけないの、と不思議そうに聞く。
レンにとってそんなことは問題ではなく。
変わっていくミオにどうやったら追いつけるのか、ということが当座の大問題らしかった。
「でもレンちゃんも変わりましたよ」
「どこ?」
「泣いてたら、ハンカチ貸してくれました」
「…あ、あー、うん」
「でも今度あったら、なるべくレンちゃんの前では泣かないようにしますね」
「…うん、そうして」
明日別れを告げる人に対する再会の約束にしてはひどすぎないか、とミオ自身思ったものの、
レンの返答は、至極真剣だったので相当困らせてるんだなあ、と反省する。
と。
「武器にしたらいい」
「…武器?」
「涙は女の武器だ、って、コーラルが言ってた」
「え?それってどういう…」
「村の外では、涙は武器になるらしい」
「…へえ」
意外なことを聞いた、と呟けば、そうだよね、とレンも同意する。
世界は広い、と呟かれ、そうですね、とミオも同意した。
世界は広く、村の常識が非常識だったり、価値観はてんでバラバラだったりする。
あの場所を出てこなければきっと一生解らなかったことを、これからも学習していくのだ。
そう思いを馳せれば。
「どうして村に帰らないの」
不意に、レンにそう問われて、ミオは答えられなかった。
まだ自分の中で、村に戻れる合格点には達していないと、どこかで思っている。
そのことを以前ヒロたちには「男気だなあ」、と感心され、数日前にはコーラルに「頑固ね」、と笑われた。
「成人の儀式には、絶対、帰ります、けど」
そう返せば、
「…ああ、あったね、そういうの」
と、まるで他人事のように、呟く。
「あったね、って、…レンちゃんもまだなんでしょう?」
「うん、面倒くさくて」
ある意味、村に縛られない自由さを持ち合わせているレンだが、儀式は大事ではないだろうか。
そう指摘すれば、
「でも儀式で過去最高の成績を残したって、喜ぶのは母さんと父さんくらいだし」
と、相変わらず自分の強さを疑ってもいない発言をする。
昔ならただ憧れていただけの、レンの言葉だが。
(私はレンちゃんの、イイ人、なんだから)
奮い立つ。
村から遠く離れたこの街で、相手の変貌に嫉妬した間柄になれた。
負けられない、と同じ思いを抱いた。
まだどこか、恐れ多い、と思っている自分はいる。だけど。
できない、と思うことさえやめれば。
(ちゃんと、できる)
いつまでも一緒にいられるように。
もう引き裂かれる痛みに悲しみがあふれないように。
互いにその手を離さない覚悟。
「じゃあ、私が先に記録をぬりかえちゃってもいいんですね」
その言葉にレンが驚いたように、立ち止まる。
「レンちゃんがのんびりしてたら、私が抜いちゃいますよ」
おままごとのように、仲良く、つねに並んで立っている過去ではなく。
どちらかが不意打ちのように疾走しても、決して離さない。離れない。
追いついて、追い越す。
「…へえ、今の記録、ミオの姉さんだけど、それ塗り替えちゃうんだ」
それって姉さんにボッコボコにされない?と言われて、そうだその問題があった、と
及び腰になるのは、まだいたしかたない。
偉大なる姉を超える覚悟は、まだ村に帰れない自分にはない。
「ええっと、それはそのー、抜くか抜かないかのところくらいであやふやに…」
何言ってんだろ、と立ち止まるミオを、歩きだしたレンがひっぱる。
「仕方ないな、姉さんからミオを守るために、ぶっちぎりで塗り替えておいてあげるよ」
そう言われては、引くに引けず、あわててレンの後を追う。
「ええ?もう村に戻るんですか?いつ?次の儀式ですか?」
その言葉に再び、レンが立ち止まり、勢い、ミオはその背中にぶつかった。
「あ、痛い」
「うん、次の儀式は、むり、かな、…あばら痛いし」
その言葉に驚いて傷を心配したミオが具合を確かめようとすると、レンが目をそらす。
それでわかった。
レンもまだ結構、姉さんにトラウマがあるらしい。
無理もない。昔からずっと、自分たちの身近な脅威は、あの、姉だった。
「ふーん」
「いや、ほら、負傷しながら記録だしてもカッコ悪いでしょ」
「わかりました」
ミオはもう一度、レンの手をひく。
こうして、小さい頃はずっと後をついてまわっていた幼馴染の。
「村に帰る日、決めました」
「え?いつ?」
「レンちゃんが帰る日です」
夕日に、レンが首をかしげるのが影になる。
「一緒に帰る?」
「ハイ」
あの日に、果たせなかった約束。
一緒に村を出ていけなかったこと。ずっと、謝りたいと思っていたこと。
やり直せないなら、新しく始めよう。
今度はきっと、一緒に、村に帰ろう。
「それで、私がレンちゃんのアバラの仇をとります」
その言葉を、新たな約束にして。
「だから、レンちゃんが、お姉さんの記録を破ってください」
「いいの?」
「いいですよ」
だって、と続けた言葉にレンは笑っただろうか。
「すぐに私が破りますから」
それは、果たせない約束ではない。
遠くない未来。
今やっと、自分たちの未来は、理想と創造に満ちている。
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