「ヒロくんいますか?」
砂の大陸の、とある小さな宿屋の一室。
ヒロとの二人部屋にミオが訪ねてきて、ミカは読んでいた本から目を上げる。
「いねえよ」
「あ、そ…う、です、か」
それっきり、会話が続かないのはいつもの事だ。
そもそもミカは、相手に気をまわして、ヒロの行く先や都合などを言付かっておくタイプではない。
ミオに与えられる情報は何もない上に、ミオからの情報も何もない。
そうか、ミオからの情報を引き出せばいいのか、と長い沈黙の間に気がついて本を閉じる。
が。
「なんだよ?」
と、これまた必要最低限の一言で全てを済ませようとするのはいかがなものか。
ウイとヒロがいれば即座に諌めるミカの言動は、ミオを窮地に追いやるだけだった。
「い、いえ、何でもないです、ごめんなさいっ」
ドアの陰から、飛び上がりそうなくらいビクついた声が返ってくる。
「…何でもないなら来ねえだろ」
しまった。まずい事になりそうだぞ、となるべく下手に出て、彼女の言葉を促したつもりが。
「は、はい、そうですね、ごめんなさいっ」
と、ミオはいつもどおりひたすら恐縮してドアの陰に小さく隠れてしまった。
どうして自分はこんなにミオに謝られなくてはならないのかが未だに謎なのだが、
このままでは埒が明かないので、ミカは席を立って傍による。ミオが緊張して背筋をただす。
「あいつは?」
「え?えっと、えーと、ですね、あのう…」
今ここにいるのはミオと自分の二人だけで、ヒロはいない、という情報を与えたのだから
残る「あいつ」は、ウイの事しかないだろう、とミカは思っている。
自分が解っていることは相手も解っている、という前提で会話をするのが、
一点集中型にあるコミュニケーション下手の典型的パターンが、ミカだった。
逆に、あいつ、と言われて、ヒロの事を聞かれているのかウイの事なのか、
それとも全く別の人物の事なのか、と、可能な限り推測範囲を膨大にするミオは
情報量過多で処理能力が追いつかない、広範囲拡散型のコミュニケーション下手だ。
二人の間の溝が埋まる日は遠い。
「…わかった」
「…はい」
お互いに何も分かっていないのだが、とりあえず今までの間を無かった事にしたい。
「お前がここに何をしに来たのかを言ってみろ」
「あ、はい。ヒロくんを探しに来ました」
「それはもう解ってるんだよ。あいつがいたらお前はどうしたんだ、ってのを聞いてるんだろ」
ミカは自覚がないようだが、傍から見れば、双方共に会話能力がおぼつかないことこの上ない。
しかし、委縮してしまうミオにはそれをミカに指摘する頭はない。素直に反省して、素直に白状してしまう。
「あ、それは、えっと、お買い物を手伝ってもらおうと思ってて…」
「買い物?」
と、ミカの眉間にしわが寄るのを察知して、「無駄な買い物」が鬼門のミカに対してつい
口が滑ったことに気付いたミオは、慌てて手を振った。
「いいえッ、いいんです!本当にいいんです!何でもないんです!!」
ミオにしてみれば、別に買い物嫌いのミカについてきてもらおうとは思っていない、
という必死のアピールだったが、そこは完全にミカには伝わらなかった。
いつでもミカに遠慮して「何でもない」を連発するミオに慣れているので、今回もそれだと思う。
放っておくと一人で買い物に出かけて、とんでもない目に合うような気がする。
そうなると、それは放っておいた自分の責任だろう。
このまま見過ごすわけにもいかないので食い下がる。
「良くねえだろ。手伝いって、なんだよ」
「いえ、ミカさんに手伝ってもらうようなことじゃないです、本当に違うんです」
「別に俺が手伝うとは言ってねえよ。いいから、言えって」
「だ、大丈夫です、あの、本当に、私、あの、大丈夫ですから、気にしないでくださ…」
この場を収めようと必死になるミオに、気にしないどころか、短気なミカ、あっさり切れる。
「手伝うかどうかは俺が決めるから何しに行くのかを言えー!!」
「きゃー!!ごめんなさいごめんなさい!!!」
宿屋に泊っていた客が、全員、ドアから顔を出したのは言うまでもない。
「航海用の買いだしなら、そう言えよ、初めから」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
バザールの人ごみを避けて進みながら、ミカはげんなりと肩を落とす。
宿屋中の人間に、脅してるわけじゃない、身内だ、恐喝じゃないんだ、と説明するのに疲れ
その説明に理解を得られた途端、痴話げんかじゃない、若い身空の逃避行でもない、
揉めてるわけでも心中するわけでもない、と、好奇心旺盛な野次馬の周囲網を突破するのに疲れた。
仕方なく宿屋を出て、このバザールまで、二人出てきたのだが。
後ろをついてくるミオがすっかりしょげてしまった。
可愛そうなことをした、という罪悪感はある。
しかし、こうなるなら初めから関わらなければ良かった、という後味の悪さではなかった。
宿屋の人間に説明したように、ミオは「身内」なのだ。
ミカの中では、「関心がない大勢の知人」とは、はるかに格が違う。
ウイや、ヒロに対しても同じだ。
ただ、あの二人に何かやらかしても(やらかされても)、ここまで途方に暮れることはない。
これまで人付き合いを遠ざけてきたミカにとって、一人ひとりに対して付き合い方は違うのだ、という事を
身をもって教えられる相手だった。そういう意味では、特別な存在だ。
「なあ」
「は、はいッ」
またミオの声が裏返っている。困ったな、というのが正直なところだが。
「別に怒ってねえから、謝らなくてもいい」
「は、はい、ご…」
「ごめんなさい、ってのはアレか?なんかの呪いか?呪いを俺にかけてんのか」
「ええええっ、ち、ち、ち、違いますっぜんぜんぜんぜん違いますっ」
「解ってるから。呪いじゃねえならそんなにいつまでも唱えんのはやめろ」
「は、はい…」
突拍子もないミカの申し出に、さすがの「ごめんなさい」も砂漠の風にかき消えた。
バザールのいくつもの店先では明るく賑わう人々が行き交う。
その中に、目当ての店を見つけて、ミカはミオを伴って天幕の中へ入った。
「部屋に書き置きをしてきたから、戻ったらすぐくるだろ」
と、賑やかな通りから少し離して作られた休憩所の一角へ落ち着く。
ミオの判断で揃えられる小さい買い物は手伝えるが、そして実際何件か回ったが、
清水などの樽単位での大きな貯蔵物はさすがにミカではお手上げだった。
ヒロの知識と経験が必要だ、そう即座に分析したミカは、そこで自分の出番を降りる。
つまり。
人ごみに疲れたこともあって、天幕の日陰の中で、午後のお茶にする事にしたのだった。
宿屋で無駄に揉めたことへの謝意もこめて、お茶とケーキを奢ってやったがミオはかえって居心地が悪そうだ。
ウイならこれであっさり片がつくというのに。何が違うんだ、あいつとこいつ。
そんな事で、テーブルに前のめりになって弱り果てていると、ミオが、一大決心!という面持ちで話しかけてきた。
「あ、あのッ、ミカさんッ」
「な、なんだよ」
「あ、暑いですね」
「はあ?」
決死の覚悟で何を言うかと思えば、と、やや身構えていたミカが拍子抜けするのも気にとめない必死さで
ミオが続けた。
「暑いときに熱いお茶って、とてもいいんですねっ」
「…ああ」
「お、おいしいです」
「うん」
「ケーキも、なんだか、珍しい焼き方で…」
「……」
「勉強になるなあ、なんて…」
「……」
「え、と…」
ミオの意図するところがさっぱりわからなくて、ただ黙って見ていると
真っ赤になったミオが、ありがとうございます、と小さく消え入るように言った。
なんだったんだ?
と、ひたすら困惑していると、再びミオが顔を上げた。
「あ、あの」
「うん」
「明日、出航するんですよね」
「そうだな」
「え、えっと、…またしばらくは海なんですね」
「まあな」
「…あの、えっと、ええっと、あ、お天気良いといいですよね」
「…ああ」
会話を、しようとしているのか。しばらく観察していて、そう気付いた時には、再びミオが黙り込んでいた。
また何かを考えているようでもあるので、ミカも黙って様子を見ていたのだが、
小さな溜息がこぼれるのを聞きつけて、思わず口を開いていた。
「お前な」
「あ、ハッ、ハイっ?」
「無理に会話するんだったら、黙ってりゃいいだろ」
それはミカなりに親切な助け船のつもりだったのだが、ハイ、と小さく返事したそばから
みるみるミオの目が潤んでいく。
なんでだ!なんで泣く!?なんなんだ!意味がわからねえ!!
どんなに心中では絶叫していても、そこは声に出してはいけない、と先ほど学習した。
「いや、だから」
「ご、ごめんなさい。あ、ごめんなさいって言ったら駄目でしたッ、ごめんなさ…」
「うん、まあ、…言いたきゃ言えよ」
それくらいしか慰めの言葉が出てこない。何がミオを泣かせているのかが解らない。
そう言えば家にいたチワワはいつも大きな目が潤んで震えている犬だった。
それだけでかい目玉がむき出しなんだからそりゃ乾いて涙も出るだろう、 と思えばいいが
さすがにミオにそれはない。ついチワワを思い出してしまった自分を諌めるように溜息を一つ。
溜息。そうか、何かが悲しかったのか。
このバザールの片隅で、ミオのかすかな溜息が聞こえてしまうくらいの沈黙があった。
その沈黙が物語っている。ミオはいつも「できない」ということに落ち込む。
ミカにしてみれば、とても取るに足りないことだと思うのに。
「おい、ミオ」
「はい」
「お前が何か聞いてほしいことがあるなら話せばいいんだよ」
「え?」
「時間がかかっても、めちゃくちゃでも、どーでも良いことでも、ちゃんと聞くから」
そうだ、自分は、ウイとヒロの怒涛の言葉攻めの会話に慣れているからな、と自省する。
ミオとの対話には、まずミオのペースに合わせてやらなくては会話は成り立たないと気づいた。
そして、ミカの言葉の真意を、ミオが正しく理解しなければ会話の意味がないのだ。
「そうじゃなくて、何も話したい事がないなら、無理して喋ることもねえだろ、って話だ」
精一杯ミオのペースに合わせて、一言一言、言い聞かせるように言葉を繋げたミカを
ミオが、呆気にとられたように見ていた。
そうやって呆気にとられたまま、魂を抜かれたように、思わず、といった感じで口を開く。
「ミカさんは」
「あ?」
「退屈じゃないですか」
何をいうかと思えば。
「退屈?!俺が!?お前と二人で、会話もなくて、ただ無言でいるのが、かよ?」
「は、はいっ」
「お前、退屈なのか」
「そんなっ、いえ、退屈なんかじゃ…、ただ、その」
「お前は、俺といると緊張するんだろ」
「そ、そ、それは…あの」
「俺だって、俺の何かがお前を泣かせるんじゃねえかって、気が気じゃねえよ」
すげえ緊張しどおしで退屈する暇なんかあるかよ、そうミカがたたみかけると
おどおどしていた大きな目が、また泣きそうになっていて、「だから」と頭を抱える。
「そこはお互い同じ具合でいいじゃねーか。俺はそれを、嫌だのなんだのって、思ってねえから…」
今、こうしてお前と一緒にいるんだろ。
「あ…」
その一言で、ミオの緊張が解けたのが、今、ハッキリとミカにはわかった。
なんだ、そうだったのか。そんな疲労感と共に、ミオへ伝えるべき言葉が、今、解った。
「お前の事が煩わしいなら、こうして心配して買い物に付いてなんかこねえよ」
買い物も、雑多な人ごみも、面倒くさい事はこのさい二の次で、ミオを案じた。だから付いてきた。
自分の言動がミオを傷つけたと思った。だからこうして、気晴らしができるような店を探した。
そうした心情と、一緒にいる行動と、どこに相違があるというのか。直情型のミカには解らない。
解らなかったから、ミオを不安にさせていたのか。
「そもそも煩わしいヤツと一緒に旅をするほど、できた人間じゃねえよ俺は」
そうだ。こんなことも、言わないと伝わらないのだ。
言わなくても伝わるウイやヒロは、いい。あの二人は、無条件で懐いてくる。
だが、ミオがこんなことで悩んでいるなら、それを口にするだけで伝わるというなら、
言葉を惜しんでいる場合ではなかった。
ただ発して消えていくだけの言葉。
自分にとって言うまでもない事でも、それが他人にとって重要な意味を持つからこそ
<言葉>は在るのだ。
「…俺の言う事、わかるか?」
「は、い、わかります」
ミカの言葉を真剣に聞いていたミオが、しっかりと頷き、その瞳が強い光を取り戻したことに安心する。
「うん、ならいい」
そう言っておいて、この際だからもう一つ言っておくが、と付け加える。
「俺に、ウイやヒロみたいな反応を要求するなよ」
「え?」
「俺はあいつらみたいにいちいち単なる会話を大騒ぎにする技量はない」
「…え、と?」
「わかるだろ?ちゃらちゃらした会話はできねえんだよ、おれは!」
堂々と胸を張って言うことがそれか。と突っ込む二人はここにいない。
その迫力に圧倒されたミオが、はあ…、と力ない相槌を打っただけだ。だから、そのかわり、と続ける。
「俺も、お前に、あいつらの様なお祭り騒ぎは要求しない」
「…あ」
ミカが退屈するだろう、という思い込みで、苦手な会話に果敢に挑んできたミオは称賛ものだが、
自分たちの間に沈黙が続いたからといって焦る必要も、動揺する必要もないのだ、と言うと。
「私、ウイちゃんとかヒロくんが羨ましくて…」
そうミオに呟かれて、思わず身を乗り出していた。
「はあ?あいつらの何が?!」
「あ、あの、私、人とおしゃべりするのが、苦手です…から」
「そんなもの、俺だって苦手だ。そんなことでお前の価値が決まるわけじゃねえだろ」
「価値、ですか?」
「何もわざわざ、人一倍口の達者なあいつらに張り合わなくてもいいじゃねーか」
ウイは喋りたいからひっきりなしに喋ってるだけだ。単に黙っていられないのだ。
「お前が喋れないのと同じだろ。方向性が違うだけで、お前より偉いわけじゃねえよ」
「え、っと」
逆にヒロは人を楽しませるために喋ってるようなものだ。喋りたいんじゃない、単なる芸の一種だ。
「お前が、沈黙を気にするからそれを埋め合わせてるだけだ」
「え、そ、そうだったん、ですか?」
「あいつ、宿で俺と二人きりになると、ほぼ喋らねえぞ」
「えええ?!」
意外か。意外だろうな。普段のヒロはサービス精神旺盛の大盤振る舞いだからな。
「まあそういうわけだから、あいつらはほっとけ」
そういうとミオは複雑そうに黙り込んでしまった。
何故かあの二人に憧れているらしいミオには悪いが、偽らざるミカの本心だ。
このパーティで、賑やかしの担当はあの二人だけで十二分だ。お釣りがきそうなくらいだと言っても良い。
だから、というわけではないが、ミオには、別の分野で勝負できることを喜べばいいのに、と思う。
あの二人にあってミオにはないように、あの二人にないものがミオにはある。
だからこそ、ミオの存在価値が決まる。それでこそ、人間一人ひとりの存在意義がある。
この旅で、この仲間に恵まれたからこそ、ミカが自力で得た、自分なりの確証だった。
ミオも、そこにたどり着けばいい。
そうすればきっと、こんな何気ない午後に、ただの沈黙がもたらす休息があることも知れるだろう。
その休息を知ったミオの成長に、自分もまた、何かを学び変わることができるだろう。
言葉は、星の数ほどある。
その言葉を生み出す心はさらに多く、
砂粒のようにありふれ、ともすれば、風にのり、嵐に舞い上がり、道行きさえかき消してしまう。
それでも、その一つ一つの砂の粒を拾い集め、形を確かめ、天に返す。
満天の星空で、誰の目にも届く光になる。
そんな風に、心を言葉にすることは、
祈りに似ている。
「砂の景色って、真っ白ですね」
彼女の声に目を上げれば、背中越しに空と砂のコントラストが見える。
出航の日の朝は、彼女が、天幕の下で願っていた晴天だ。船を背に、そんなことを思った。
「ああ、雪の景色もこんなもんだろ」
何気なくつぶやけば、振り向いた赤毛が視界の端に揺れた。
「すごい!私、雪国に行ったことないんです。雪も見たことなくて」
真っ白なんですか?と問いかけてくる声は、もう震えることも、戸惑いをにじませることもない。
「ああ。俺も、絵で見ただけだけどな」
そう答えた時、清水の大樽を運んできた荷車の先頭で、大きく手を振る人影に気づいた。
隣には、自分たちを導く存在を連れてこちらへと走ってくる。
合図のため、軽くあげた手を翻して彼に応えながら、立ち上がる。
「見たいなら、付き合ってやるよ」
世界中のどこへでも。
ウイが望むなら、どこへでも行くだろうと思っていた。それが自分のためになるなら、と。
今では、それを望むのが、ヒロでも、ミオでも、同じだ。
なぜなら。
「ハイ」
彼女の声が自分と同じ熱を持っていることに、安心するからだと思おう。
全てはめぐり、めぐる。旅から旅へ、仲間から自分へ。自分から、世界へ。
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