朝早く目が覚めたマシロは、ひとまず、兄の姿を探すことにした。
午前中に済ませるはずの仕事が始まってしまうとなかなか二人きりにはなれないし、
午後からはチビたちがまとわりついて離れないからもっと無理だし、
夜になると男性陣は別の棟に引き上げてしまうので、完全に機会が失われる。
そう考えたから、素早く行動を起こしたはずなのに、兄はもう友人と何やら話しこんでいた。
ここ数日、午前いっぱい、兄はこの金髪の友人とつれだって村を歩きまわっている。
時には村を離れ、その下の畑から、もっとくだったふもとの村の方にまで足を伸ばしているらしい。
それだけ動き回って、午後からはチビたちの相手で暴れまくっているのだから、
体力が有り余って仕方ないのかしら、なんて母と姉は感心しているくらいだ。
けれど、マシロにはそんなことはどうでもいい。
兄が連れてきた村の外の人間を、邪魔だな、と思うくらいで、特に関心はない。
こっちは数年ぶりに兄に会ったのだから、少しは気を利かせてくれたっていいじゃない、と思う。
そんなマシロの内心が伝わったわけでもないだろうが、友人の方が先にマシロに気づいた。
地面になにやら絵をかいているらしい兄に声をかけ、それを受けて兄がこちらを見る。
「おー、マシロか早いな、おはよう」
マシロの葛藤など露知らず、屈託なくヒイロが笑顔を見せる。
マシロの態度がどうあれ、いつもだいたい機嫌よく相手をしてくれるのは母とヒイロくらいだ。
父や弟には気まずい顔をされ、姉妹たちには適当に放っておかれることに慣れている。
「ん、どうした?」
おいで、と手招きされたので近くまで歩いていく。
歩いて行って、話をしたいんだけど、とだけ言ってみた。
それ以上は口をつぐんでいると、兄と友人が顔を見合わせる。
そうして友人の方が先に、行ってこいよ、と告げる。そのことになぜか、ヒイロの方が困っている。
「…ミカ…一人で大丈夫か?」
なんてわざわざ訪ねている様子に、バッカみたい、と思う。
こんな小さな村で何があるっていうの。イイ大人のくせに、ずっと兄ちゃんに面倒見てもらっちゃってさ。
そんな、妬む思いを抱えながら背を向けて、速足でその場を離れる。
わずかもたたないうちに、ヒイロがおいかけてきた。
おいかけてきて、くれた。
「なんだなんだ、母ちゃんたちにも秘密の話か?」
のんきそうな声に足を止めると、ちょっとした胸の痛みを覚えた。
だから、聞いてみる。
「何してたの?」
「ん?兄ちゃんか?下水道と上水道の仕組みとか、技術量とか、投資金とか、そういう話な」
「とーしきん?」
「お幾ら万ゴールドで、この村に上下水道をひけるかっていう…」
「どうでもいい」
「…そうだな」
なんだ、別にどうでもいい事だったじゃん。
強引に連れ出したことを、ちょっとは悪かったな、って思ったのに。
と、再び苛立ち始める気持ちを抑えるために、マシロはその辺りの岩を適当に指さしてみた。
「あそこ、見える?」
「ん?」
ただの岩だ。そんなことはわかっている。だから、ヒイロの返答は至極、的を射ていた。
「いや、なにも、いないな」
見える見えない、ではなく、いない、と言えるのはヒイロだからだ。
そのことに、忘れていた胸騒ぎがよみがえった。
そうか。見えないんじゃなくて、あの不思議なものたちが、いなくなっちゃったんだとしたら。
アタシが見えなくなったわけじゃない。
そのわずかな希望。まだ、どこか期待している自分を抑えきれなくて、マシロはヒイロを見上げた。
「村の、どこにもいない?」
「村の?…あ、そうだ、赤い首巻のじいちゃん、段々岩のとこじゃなくて、草だまりのとこに立ってたぞ」
それは、村の者だけが使う地形の名称。
そして、『赤い首巻のじいちゃん』は、ずうっと昔から段々岩にしゃがんで空を見ていた不思議なモノ。
ヒイロとマシロだけが、そう呼んでいた小さなお爺さんだった。
「段々岩も崩れてたなー、あれって、どうかした?」
「…段々岩は、ずっと前の地震で崩れちゃったんだよ」
「あー、地震かあ」
けが人が出たくらいで済んだって聞いたけど、とヒイロは、草だまりがある方角を振り返った。
「そっか、お気に入りの段々がくずれたからあっちに移動したのか」
草だまりの方にも、小さい岩が重なった段がある。
よっぽど段々好きなんだな、なんてことを何気なく口にするヒイロに、たまらなくなって、
マシロはそれをさえぎるように声をあげた。
「どうして、どうして、兄ちゃんは今も見えるの?どうしてアタシは見えないの?」
驚いたようにマシロを見たヒイロに、もう一度、どうして?!と叫んだ。
八つ当たりだ。そんなことはヒイロにも答えられないし、ヒイロのせいでもない。
ヒイロでも、どうしようもないことなのだ。解っている。だから。
「そうか、マシロは見えないのか」
そう言ったヒイロの言葉が、マシロを責めているように聞こえるのも、八つ当たりの、お返しだ。
多分。
多分、それはマシロのおろかな思い込みの末の、被害意識。
そうであるように、ヒイロはマシロを責めたりしないで、そっとその手で頭を撫でてくれた。
「そうだよな、大人になるにつれてそういう感性はなくなっていく、っていうもんな」
マシロが悪いんじゃない、だいたいの人がそういうもんだ、と諭されて、マシロは両手を握りしめた。
「アタシだいたいの人なの?特別な人にはなれないの?兄ちゃんだけ、特別な人なの?」
「いや、兄ちゃんも別に特別な人じゃないけどな」
「だって見えるんでしょ?今も、村の中に見えるんじゃない」
「うん、だから、特別な人じゃなくて、兄ちゃんは『見える人』、なんだよ」
「なにそれ、わかんない」
「うーんー、そうだなあ…、マシロはこの村から出たことないからなあ…」
村の外なんて、今、関係ない。興味もない。そんなことはどうだっていい。
マシロが欲しかったものは。
「アタシも、特別な人が良かった」
アサ姉みたいに仕事ができたり、セイみたいに頭がよかったり、コズミみたいに誰とでも仲良くなれたり。
皆がそんな風に当たり前みたいに出来ることよりもずっと、特別なこと。
村の誰もがなれない、特別に、なりたかった。
そうでないと、アタシ、何をして生きたらいいのかわからない。
マシロの思いを、切なる願いを、ただじっと聞いていてくれたヒイロは、解るよ、といった。
「…そんなわけない」
嘘だ。解るはずない。ヒイロは、だってずっと特別な人で、今も特別を持っているのだ。
無くしてしまったアタシのことなんて、解るはずない。
「解るんだって。…マシロ、俺が村を出たのは、特別な人になりたかったからなんだから」
その言葉に驚いて顔を上げると、ヒイロはいつになく神妙な面持ちでマシロを見ていた。
その真剣さにも驚く。
なんだか、ヒイロがマシロの知っている兄ではないように思える。
「あー、俺が神隠しにあったの、覚えてるか?」
「…覚えてない…けど、知ってる」
「うん、マシロはまだ小さかったからな、あんまり解ってなかったかな」
村では有名な話だ。小さい子がひとりふもとの村で行方不明になって、探しても探しても見つからない。
もう神隠しにあったと思って諦めよう。そう村長が捜索を打ち切ったあと、何百日も経って子供は帰ってきた。
村人の捜索範囲の何倍もの距離を超えた見知らぬ村で。嗚呼これぞ、神隠しの真骨頂!
…そうしていながら、真実は、旅の商隊に拾われて面倒を見てもらっていただけだ、という話も有名だ。
「その時、俺、なんかもう村の英雄みたいに騒がれちゃってさ」
実際、英雄のようなことは何もしてなく、ただ商隊で下働きをしていただけなのにな、と気まずそうに言う。
「そんな話は、世界中ごまんとあるんだよ」
だが、この小さな村では、世界と隔絶されたような場所にあるこの村では、語り継がれるほどの大事だ。
「しばらく村は大騒ぎだったし、父ちゃんと母ちゃんも、ものすごく俺に過保護になってさ」
家をちょっと離れるだけで母が探しにきたり、友人の家に行くだけなのに父がついてきたり。
「だけど、そういう特別なことって、ずっと続かないんだよ」
すぐに日常は戻ってくる。普段通りの生活が始まる。なぜなら、そちらの方がずっと重要だから。
人は、特別なことも、慣れてしまえば特別だと思えなくなる生き物だ。
「丁度、セイが歩き出して目が離せない時だったし、コズミも生まれたばっかで手がかかったしな」
ヒイロはこの辺りでは、早くから下の子の面倒を見るよう頼られる存在だった。
それに元々の性分からも、頼られることに不満を感じず、事実そのように育ったうえに、
商隊の下働きをして世間からも鍛えられて戻ってきたヒイロは、ほぼ、大人並みに手がかからなくなった。
「それに俺がいない間に、アサギとマシロもしっかり手伝いとかできる子になってたし」
俺の居場所、ないな、って思ったんだよ。
その告白は、マシロにとってこれ以上はない衝撃だった。
「居場所、なかったの!?アタシたちのせいで?!」
あまり人と一緒にいることが好きではないマシロも、時々そう思うことはある。
それでも自分は個室にこもってても誰にも怒られなかったし、母を独占することもできる。
だが、それさえもなく、ヒイロは一人、家族の外に出て行ったというのなら、あまりにも可哀想過ぎる。
「兄ちゃん、可哀想…」
「いやいやいや!別に可哀想じゃないから!単に俺がそう思ってただけな」
悲しいとか寂しいとか、全然そういうのとは違う、と言って、違うから、と大仰に手を振る。
「村の中でも、外でも、子供のやる仕事は一緒なんだよ」
大人の手伝い、お使いや、小さい子の面倒を見たり、掃除洗濯炊事、そういう雑用。
「ニオのおしめ洗ってもただそれだけのことだけど、商隊の赤ん坊のおしめ洗うと、給金もらえるんだぜ?」
やってることは同じなのに、すごくねえ?と、やけに熱っぽく語られては、そうだね、と頷くしかない。
「な?だったら、どうせ同じことなら、外に出て金稼いだ方がみんなのためになるって思ったわけよ」
俺がいないことを寂しがってもらえるし、たまに金持って帰って有難がられるし、一石二鳥。
万事丸く収まってイイことづくめ。
そうして、特別になりたかったんだろうな、とヒイロが照れくさそうに笑った。
「まあ今思えば、考えかたが子供だから。なんだそれ、って感じだけど…」
でも、その時は、それが特別に思えた。
特別、とマシロも口に出す。
「な、マシロと同じだろ」
これスゲー恥ずかしいから、皆に言うなよ?マシロにしか言わないからな、と勿体ぶって言われたけど。
特別な存在になりたかった子供。今のマシロと同じ。
ただ、マシロは何も行動することなく内にこもり、兄は外の世界へと飛び出した。
「でも、そうやって思い切って出ていっても、すぐにそれも特別じゃなくなる」
そもそも出稼ぎ自体がこの村じゃ特別なことでもなんでもないしな、とヒイロが笑った。
まあ子供の浅知恵だな、と付け加えて。
村の大人が普通にやっていることを、子供がちょっと早めにやっただけの、実に短い『特別』。
「特別なんて、そんなもんだよ。大してありがたいもんじゃないし、素敵なことでもない」
そう言われてしまっては。
「…夢も希望もないね…」
「そうか?」
「だって…、だって、変だよ…、兄ちゃんは特別になりたくて村の外に出たんでしょ」
それなのにいないことに慣れてしまう。それが日常になってしまう。
特別なんてあってないようなものだ。
なら初めから、全くなければいいのに。変に自惚れたりせず、打ちのめされたりしないのに。
「良いんだよマシロ。それで、良いんだ」
特別になりたくて村の外に出た。それも本当だけど。
「俺はさ、自分が特別になれない、って解った。その代わり、とっておきの特別を手に入れた」
なんだと思う?と、悪だくみでもするような調子で問いかけられ、でもそれに乗る気分でもなかったので、
マシロは黙って首をふった。
とっておき?
「この辺りで赤い首巻のじいちゃんが見えるのは俺だけだ」
だけど。
「俺と一緒にきた友達は、全員、見えてる」
「えっ?」
「それだけじゃない、世界中さがせば、見える人はまだまだいっぱいいるよ」
そんな人たちがたくさん集まったらどうだ?自分一人の存在なんて、特別でもなんでもない。
ただ単に、見える人たちの中の一人にしか過ぎない、とヒイロが言う。
そんな風に、世界には『特別』がいっぱいある。自分たちが勝手に『特別』だと思っていることが。
「そして、それを、一つ一つ、手に入れることができるんだよ」
たくさんの特別を集めて集めて、集まったものは『特別』なんかじゃなく、
当たり前、になる。
当たり前のこととして、自分のものになる。
「特別なものに囲まれている当たり前の日常、ってなんか最強、って感じじゃね?」
そう、言われても。
「よくわかんないよ。アタシ、なんにも特別なもの持ってないもん」
うん、だからさ、マシロ、とヒイロは幼い子に言い聞かせるように少し身をかがめてマシロと目線を合わせた。
「兄ちゃんと一緒に、村を出てみないか」
それは。
それは、マシロにとって一度たりとも望んだことのない『特別』。
アサ姉や、セイは時々、買い物や仕事の算段でふもとに降りる父について行く。
コズミだって、母と一緒に畑や水汲みに山を降りる。
それらを楽しい事のように行う彼らが理解できなかった。
「無理だよ、無理。アタシなんにもできない、何もしたくない」
「別になんにもしなくていいけどな」
「え?」
ただ、ちょっと外に出てみるだけでいい、と言い。
「安心しろ、マシロ一人くらい守ってやるし、簡単に養ってやれるから」
個室がいいんだろ?任せとけ、と付け加えられて、瞬く。
「マシロの望む場所に、個室を用意してやるよ」
個室が欲しいなら兄ちゃんがなんとかしてやるから、と帰ったばかりのヒイロが言っていた。
あれは、ヒイロの本心だった?
「テキトー言ってるのかと思ってた」
「おいおい、兄ちゃんが嘘言ったことあったか?」
そう言われてもよく解らない。
だって兄ちゃんなんて、ずっと村にいないんじゃない。いない方が多いじゃないか。
気にかけてもらえることが嬉しいのか、それがいつもそばにないことが寂しいのか。
マシロにもよくわからない感情が渦巻く。
「わかんない。アタシ、ここでいいもん」
「そりゃマシロがいいなら、俺だって全然イイよ。でもマシロが」
なんでアタシは特別じゃないの?って聞いたからさ、とヒイロが腕を組む。
「悩んでるなら力になりたいし、困ってるなら助けてやりたいだろ。でも兄ちゃんは神様じゃないから」
何が正しいことなのかは解らない。マシロに一番間違いのない、正解を答えられないから。
「兄ちゃんができることをやってるだけだ」
「できること…」
「兄ちゃんは世界中ぐるぐる回って旅することしかできねーだろ」
そうして、どんな答えを出すのかはマシロ次第だ。
「どんな答えでも、マシロが納得してそうしたんだったら、それでいいって思うけどな」
別に村から出ることを強要しているわけではない、ということをマシロに解らせておいてから
「まあつまり、兄ちゃんをお得に利用しろってことだ!」
それが、下に生れた者の特権だ、とヒイロは笑った。
「アサギはここがいいんだってさ。何でもある外より、何もないこの村の方が生きがい感じるらしい」
「アサ姉が?」
「セイにもな、行きたいなら学校に入れてやる、って言ってある。だから今、猛勉強してるだろ」
もう十分だと思うんだけどな、と言い、コズミはまだちょっと早いかな、なんて呟く。
だからマシロも考えてみな、とヒイロが姿勢を戻した。それを目で追って、見上げる。
「外の世界を見てみたいって思ったら、いつでも連れてってやるから」
そうして外を見て、視界を広げて、心を自由にすればいい。
自分で自分を縛っていることに気づけば、居場所なんてどこでも良い。
世界に出て行こうと、村の中へ戻ろうと、絶対に失わない物があるだけで生きていける。
特別と扱われることに酔わなくても、ただ一人の自分として生きていけるから。
「今すぐじゃなくてもいい」
ちゃんと考えてみな、とマシロの頭に手が置かれ、そうだな、とヒイロの声が降る。
「まだ、マシロが直接行くのが怖いなら、兄ちゃんがマシロの代わりを出してもいいな」
「アタシの、代わり?」
「トイレにさ、へんちくりんな飾りいっぱいぶら下げてたじゃん。あーゆーの、得意なんだろ」
本気で作って出来がいいやつ送ってくれたら、売りに出してやるよ?
それは大人しく聞き入れられる類の話ではない。
「あんなへんちくりんなの売れるの!」
「だって、ウイがめっちゃ可愛いって絶賛してたじゃん」
「あ、ああ…、あれ可愛いっていう…あの子、おかしいよね」
「おかしいよな、わかるわかる」
「アタシ、すっごい悪趣味だって思うけど」
「俺もだ、呪術の道具かと思った」
「そうだよ、すっごい恨み妬みこめて作ったんだもん」
変わってるよな、どういう趣味なんだろうね、なんて交わして、二人同時に笑いだす。
「一生懸命作ったのに、そんなヒドイこといわなくたっていーじゃん!」
「マシロだって自分で悪趣味だって思いながら作ってんだろ!」
マシロも十分おかしい、いや、兄ちゃんの方がおかしい、とやりあって、なんだか疲労感に包まれる。
久しぶりに、声をだして笑ったからかもしれない。
そんなことに驚きを感じているマシロを知るはずもなく、だからな、とヒイロが話を戻した。
「世界は広い。あれを可愛いとか言っちゃう変な人はまだまだいっぱいいるはずだ」
それこそ、すばらしい芸術だ!とかいって村まで訪ねてくる奇特な人もいるかもしれない。
そうなったら売れる!とヒイロは確信ありげだが。
「アタシ、そんな一攫千金の夢物語信じてないよ」
「でもなー、あのモエが今、おとぎ話の王子様みたいに晩餐会でお嬢様と踊ったりしてるぞ」
そう言われて、昔大事にしていた絵本の一場面を思い出す。
きらきら場所できらきらした服を着た男女が手を取り合って踊っている。
それを現実に叶えた村の人がいる。
「それはモエちゃんが特別なんだよ」
言って、特別、という響きに口をつぐむ。
特別は、世界中にいっぱいある。その話をしてくれたのが、ヒイロだ、と気づいてヒイロを見れば、
マシロが気づいたことを確かめて、ヒイロも頷いた。
「マシロがどんな特別なものを手に入れるかなんて、兄ちゃんにもわからないけどな」
でも兄ちゃんが持ってる特別は、全部マシロのものだ。マシロが好きにしていいんだ、と言う。
それが、マシロより先に生れて、兄と呼ばれる存在である自分の役目だ。
「世界中どこにでも行ける。なんでもできる。マシロが望むなら、いつだって手助けするよ」
だから、一人きりで閉じこもるな。心配になるだろ、と言われて、素直にごめんなさい、と口にした。
「いや、あれは母ちゃんもヒドイ。怒っといてやったから、安心しろ」
「え?母ちゃんを?怒った、って?」
「マシロは俺に似て寂しんぼうだから、あんましほっとくな、って言っといた」
それはなんだか、不思議な気持ち。
「アタシ、兄ちゃんに似てる?」
「似てる。すっげー俺みたい、って思う」
「アタシは、兄ちゃんに似てるって思ったことないよ」
「そりゃ俺が先に生まれたんだから、しょうがねえ」
兄の特権だ、と言われて首をかしげる。よくわからないけど。
「アタシ、兄ちゃんの特別なの」
「そうだな、家族の中ではマシロのことが一番心配だし一番気にかかるし一番面倒だな」
ちょっと最後の一言は余計だな、と気を悪くして
「あんまり、嬉しくないね」
と憎まれ口をたたけば。
「特別ってそんなもんだ」
と、ヒイロが返す。
それは、ヒイロが『特別』ということを軽んじているわけではなく、とても大切にしているのが解った。
大事、大事に抱え込むことだけが、大切に思うことではないということ。
自分はこれから知っていくのだろう。
外に出ることはまだ怖い。まだ踏み出せない。でも、そこに外の世界があることは、忘れない。
マシロと外の世界をつなぐために、兄が手を伸ばしてくれていることを忘れない。
今日、手に入れた『特別』を、きっとずっと忘れない。
ヒイロと一緒に、金髪の友人を待たせている場所に戻る。
そういえば、村の女性たちが集まって、この人のことを「ひよこちゃん」とか言ってたな、と
その金色の髪を見たときには思ったのだが。
「遅い!!」
と、妙なポーズで身動きしないまま怒鳴られ、きょとんとした瞬間に忘れてしまった。
「え、どうした?何やってんの」
小走りに寄っていくヒイロのあとを、ゆっくりとついていけば。
背中に変なものが入ったから取ってくれ、と、やはり身動きしないままで訴えている。
変なもの?
マシロが首をかしげている間に、ヒイロは友人の襟ぐりをちょいとつまんで、覗き込む。
「ああ」
その正体見たり、といった感じで裾をまくりあげて片手を突っ込むと、何かをつまみだした。
もしかして、赤い首巻のおじいちゃん?とかその類?と思って、マシロはヒイロに駆けよる。
「何?見せて」
アタシにも見える?と、期待を込めてヒイロの手をつかめば。
「蜘蛛?」
なんだ蜘蛛か、とがっかりしたマシロの声に、ぎゃー!という悲鳴が重なる。
なんだ、なんなんだ。
「大丈夫、大丈夫、刺さないやつだから」
「刺すかどうかじゃねーよ!それが存在することが許しがたい冒涜じゃねーか!」
お前この辺に蜘蛛はいねえって言ったよな!と、何やらヒドイ剣幕だ。
ええ?何この人。
「蜘蛛怖いの?」
「あー、うーん」
ヒイロが困ったようにそれを地面に逃がそうとしてるのを止めて、指でつまんで見せる。
「こんなちっこいのが怖いの?なんで?どうして?大人しいのに」
「持ってくんじゃねえ!!!!」
ほら、と見せようとすれば、ヒイロを盾にして隠れる。
おっかしい、この人。なげつけちゃおっかな、と思っていると、ヒイロにたしなめられる。
「マシロ、世の中にはどうしてもそれを受け入れられないって人もいるから」
「だって何もしないのに」
「何もしなくても」
「気色悪いんだよ!」
「ひどーい、気色悪いってなに?どこが?こんな綺麗なのに」
「マシロ、解ってやって」
ヒイロの困ったような声に、自棄になったような声が重なる。
「足が8本も蠢いてんだろうが!」
何言っちゃってんの、ほんと。
「足は12本だよ」
それを言った瞬間、ヒイロが「あ、それを言う…」とこぼし、その背中で硬直していた彼が。
地面に膝をついた。
顔面蒼白。
「じゅ…、じゅう…、……」
「あー、気を確かに!川で洗ってやるから」
「川にもいただろうが!8本のが!!」
「ミカって、怖がる割にめっちゃ探すよな」
「怖がってねえ!」
「あー、気色悪いんだよな、知ってる知ってる」
ちょっと川寄って帰るな、とヒイロがマシロに、先に戻ってるように言う。
その背中の向こうから、テメーそれ捨てろよ!といきがってる声がする。
ばっかみたい。自分の弱みを最大に披露しちゃって、捨てろとか言われたって。
「捨てるわけないじゃんね」
と、マシロの手のひらで大人しく脚を閉じて丸まっている小さなものを見る。
華奢な作り、七色に光る体躯、規則正しい動き、こんなにも素晴らしい生き物なのに。
なるほど、世界には特別変なこともいっぱいあるらしい。
「まあでもつぶされちゃったら可哀想だから、どこかに行ってなさいね」
と、帰り道の草の茂みに放してやる。
その向こうに見え隠れしていた、誰にも見えない羽はもう見えない。
見えないことが、当たり前になる。
「ああ、そうか…」
マシロは、この目に映る風景に、特別なものを思う。
不思議な存在たち。
あれは、アタシだ。
いつもいつもそこにいることが当然になって、それがどれだけ特別なことかを忘れられて。
「寂しかったの?」
見えていた子供が大きくなっていくにしたがって見えなくなる。
だいたいそうだ、とヒイロは言った。
自ら村を出ていくことで、家族の特別になりたかった兄の話。
特別になりたくて嘘をついたマシロの願い。
大人の目の前から見えなくなる不思議なものたちの声なき声。
それらが全部、寂しいよ、と訴えているようだ。
「大丈夫、アタシ、忘れないよ。…忘れらないと思うよ」
不思議なものたちがいたこと。それらが見えていたこと。
彼らも、マシロの日常の風景でいることに我慢できなくて、ただマシロの特別になりたくて、
この目に映らなくなったというのなら、その気持ちが解るから。
「大丈夫、特別な日になったよ」
草むらに声をかける。
返事はない。
それでいい。それが当たり前だから。当たり前だから、とても大切に思える。
大切に、なっていく。
特別な日。
↓脱中二病、のわりに根っこはやっぱり思い込み激しい夢子ちゃんなのがマシロのいいところ、のぽちっと♪
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