ここのところ関西でも,東京スカイツリーの高さが東京タワーと並んだとか,超したとかいうニュースが流れている。
残念ながら,奈良にはそんな高い建物はない。
先日訪ねた大安寺,現在の境内の南には、東塔と西塔の塔跡が残っており、昔日の威容を偲ぶことができた。
史跡大安寺旧境内保存整備事業の一環として西塔跡を発掘していた奈良市教育委員会は、2003年2月、21m四方の基壇と 、基壇に登る階段、礎石の抜き取り穴などを発掘したと発表した。
東の塔に関しては、平安時代末の文献から7重の塔であっ たことが判明している。
また、西の塔は平安時代に二度の火災で燃えたことが知られている。
(天暦3年(949)に西塔が落雷で消失、寛仁元年(1017)には大安寺の伽藍が東塔を除いて焼亡したことが文献に記されている。)
今まで両塔の創建時期や規模は不明だった。
しかし、今回の発掘調査で出土した瓦などから、西塔の創建時期を奈良時代末から平安時代初めごろに限定できたという。
また、発掘された基壇の大きさから、60mを越える巨大な塔であったと推測された。
平安時代に燃えた東大寺の七重塔は、実に100mの高さだったとされているが、それに次ぐ規模の塔がここにそびえていたことになる。
現存する塔で最も高いのは、東寺の五重塔の55m、次いで興福寺の五重塔の50.8m。したがって、大安寺の塔はこれらをはるかに越える高さを誇っていたのだろう。
この塔は,1000年前の奈良スカイツリーやったんやろなぁ~
「写真;大安寺塔跡」
残念ながら,奈良にはそんな高い建物はない。
先日訪ねた大安寺,現在の境内の南には、東塔と西塔の塔跡が残っており、昔日の威容を偲ぶことができた。
史跡大安寺旧境内保存整備事業の一環として西塔跡を発掘していた奈良市教育委員会は、2003年2月、21m四方の基壇と 、基壇に登る階段、礎石の抜き取り穴などを発掘したと発表した。
東の塔に関しては、平安時代末の文献から7重の塔であっ たことが判明している。
また、西の塔は平安時代に二度の火災で燃えたことが知られている。
(天暦3年(949)に西塔が落雷で消失、寛仁元年(1017)には大安寺の伽藍が東塔を除いて焼亡したことが文献に記されている。)
今まで両塔の創建時期や規模は不明だった。
しかし、今回の発掘調査で出土した瓦などから、西塔の創建時期を奈良時代末から平安時代初めごろに限定できたという。
また、発掘された基壇の大きさから、60mを越える巨大な塔であったと推測された。
平安時代に燃えた東大寺の七重塔は、実に100mの高さだったとされているが、それに次ぐ規模の塔がここにそびえていたことになる。
現存する塔で最も高いのは、東寺の五重塔の55m、次いで興福寺の五重塔の50.8m。したがって、大安寺の塔はこれらをはるかに越える高さを誇っていたのだろう。
この塔は,1000年前の奈良スカイツリーやったんやろなぁ~
「写真;大安寺塔跡」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます