あの日も吉野山中・ラーメン“河”は大繁盛!
他府県ナンバーの車は,福岡,金沢,浜松・・・
受付に名前と人数を書いて呼ばれるのを待った。
その間約1時間,菜摘の河原へも降りた。
河原からお店へと上ってくると,お店の西隣りに桜並木???
前回はまだ花が咲いていなかったので気付かなかったらしい。
その桜並木に近づいてみると,奥に祠があって“花籠神社”と書かれているではないか!
以前どこかで聞いた名前・・・
たしか・・・静御前・・・
@花籠神社
この地の伝承では、義経は「後から必ず迎えに来るから」といって、菜摘の大庄屋である大谷家に、静御前を預けていった。大谷家では静を外から移住して来た者のように見せかけ、小屋を造って住まわせ、陰から世話をしていた。何もすることのない静は、慰めに大谷翁から教えられた花籠を作って遊んでいた。大谷翁は、その花籠を持って吉野山に登り、登山客に売ったところ客は喜んで買ったという。静の住んでいた屋敷跡に、大谷家が中心となって祠を建てられ、静御前を祀り花籠神社と名づけ奉祀されたという伝承も地元に残っている。
他府県ナンバーの車は,福岡,金沢,浜松・・・
受付に名前と人数を書いて呼ばれるのを待った。
その間約1時間,菜摘の河原へも降りた。
河原からお店へと上ってくると,お店の西隣りに桜並木???
前回はまだ花が咲いていなかったので気付かなかったらしい。
その桜並木に近づいてみると,奥に祠があって“花籠神社”と書かれているではないか!
以前どこかで聞いた名前・・・
たしか・・・静御前・・・
@花籠神社
この地の伝承では、義経は「後から必ず迎えに来るから」といって、菜摘の大庄屋である大谷家に、静御前を預けていった。大谷家では静を外から移住して来た者のように見せかけ、小屋を造って住まわせ、陰から世話をしていた。何もすることのない静は、慰めに大谷翁から教えられた花籠を作って遊んでいた。大谷翁は、その花籠を持って吉野山に登り、登山客に売ったところ客は喜んで買ったという。静の住んでいた屋敷跡に、大谷家が中心となって祠を建てられ、静御前を祀り花籠神社と名づけ奉祀されたという伝承も地元に残っている。
平安の香りを残す神社も
人の営みの中にある
営みの場を奪われた人たちに
命の営みができる場所が
一日も早く戻って欲しい
そんなことを思います
本当に大自然の力を見せ付けられたような感じがします。
それでも人は生きていかねばならないのです。
本当に偶然でした。
でも,それだからブラブラ歩きは楽しいのです。
歩けば何かに出会える奈良・大和路が好きなんです!