大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

花の吉野へは右折

2011年04月10日 | 吉野町・東吉野村
昨日は雨降りやったので“晴耕雨読”の予定やったけど,
突然,お昼前に予定変更,
皆でお昼を吉野町菜摘にあるラーメン“河”(3月17日の記事)に食べに行くことになった。
http://blog.goo.ne.jp/urikame2007/e/9eaf94360bbe89e0bae147092b0e3fd7
我が家から談山神社のある多武峰の山を越え,鹿路トンネルを抜けて吉野へ。
吉野川に出る交差点辺りから交通規制。
この桜の季節,吉野山はマイカーでの侵入を止めている。
この交差点,吉野山へは右折。
我々の目指すは“菜摘”は,宮滝・大台ケ原方面なので左折。
それがなかなか渋滞で曲がれない・・・
やっと交差点を左折して,ラーメン“河”に到着したけど,行列が出来ていて
1時間以上も待つことになった。
私は店の前から“菜摘”の河原に降りて,霧雨に煙る吉野の山々を眺めながら“二人静”の伝説を思い出していた。

@菜摘川“二人静”の伝説
「吉野山の勝手神社の神職は、正月七日の神事に供える若菜を摘むために、女を菜摘川へつかわす。菜摘み女は帰ってくると神職に、一人の女から一日写経をして自分を供養して欲しいと頼まれたと伝えた。すると、たちまち先刻の女の霊が菜摘み女にのり移り、女の様子がガラリと変わる。
 神職が霊に名を尋ねると、静御前であることをほのめかす。女は宝物蔵に納められた昔の舞衣装を取り出させ、それをつけて舞い始める。すると、静の亡霊も同じ装束で現れる。
 そして、二人一体のように舞を舞い、後の回向[弔い]を頼んで、静の霊は去っていった。」
この村に伝わる静井戸は、菜摘の西生寺にある。静御前は、長らく村国民氏の家に逗留していたが、義経奥州落ちのあと、井戸にはまって死んだ。その妄念のためか、夜々火玉となって井戸からでること300年に及んだ。飯貝村で諸人を化益していた蓮如上人に頼んだら、静の振り袖に南無阿弥陀仏と書いて、七日の間追福の法会があり、七日目に静は村人の夢枕に立ち、迷いの門出をしたという。



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2 コメント

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宮滝・・・・いいなあ (山口ももり)
2012-01-24 18:57:31
宮滝・・・あこがれの地です。前行ったんですけど、結局わからなかった・・・そのままです。悔しいじゃありませんか。
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Unknown (瓜亀仙人)
2012-01-25 17:44:22
ももりさんへ
>宮滝・・・あこがれの地です。
機会あれば(雪のない季節に)
案内しましょう!

返信する

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