“高砂”と云えば“にくてん”!
その“にくてん”をビール飲みながら食べ,
やっぱり“高砂”と云えば・・・って考えた。
そりゃやっぱり・・・“高砂の松”や!
高砂神社にある「相生(あいおい)の松」は,根がひとつで幹が2つに分かれていることから、夫婦の情を示す霊松として神木として崇められているという。
ほろ酔い気分で“高砂の松”を観に出かけることにした。
たしか中学生の頃?百人一首を覚えたよなぁ~
「誰をかも しる人にせむ 高砂の
松もむかしの 友ならなくに」
誰の歌やったっけ???
藤原興風?
もっと“高砂”で有名なのは,結婚披露宴でよく登場する
「高砂や この浦舟に 帆を上げて・・・」
ん~~ その続き分からへん・・・
それに最近聞いてへんしなぁ~
高砂や この浦舟に 帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに 出汐(いでしお)の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はやすみのえに 着きにけり はやすみのえに 着きにけり
四海(しかい)波静かにて 国も治まる時つ風 枝を鳴らさぬ 御代(みよ)なれや
あひに相生の松こそ めでたかれ げにや仰ぎても 事も疎(おろ)かや かかる代(よ)に住める 民とて豊かなる 君の恵みぞ ありがたき 君の恵みぞ ありがたき
『高砂』は能の作品の一つ。
相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能。
九州阿蘇宮の神官(ワキ)が播磨の国、高砂の浦にやってきた。春風駘蕩とする浦には松が美しい。遠く鐘の音も聞こえる。そこに老夫婦(シテとツレ)が来て、木陰を掃き清める。老人は古今和歌集の仮名序を引用して、高砂の松と住吉の松とは相生の松、離れていても夫婦であるとの伝説を説き、松の永遠、夫婦相老(相生にかけている)の仲睦まじさを述べる。命あるものは全て、いや自然の全ては和歌の道に心を寄せるという。ここで老夫婦は自分達は高砂・住吉の松の精である事を打ち明け、小舟に乗り追風をはらんで消えて行く。
神官もまた満潮に乗って舟を出し(ここで『高砂や…』となる)、松の精を追って住吉に辿り着く。
『われ見ても 久しくなりぬ住吉の、岸の姫松いく代経ぬらん』(伊勢物語)
の歌に返して、なんと住吉明神の御本体が影向(ようごう)され、美しい月光の下、颯爽と神舞を舞う。
『千秋楽は民を撫で、萬歳楽には命を延ぶ、相生の松風、颯々の聲ぞ楽しむ、颯々の聲ぞ楽しむ』(トメ拍子)。
その“にくてん”をビール飲みながら食べ,
やっぱり“高砂”と云えば・・・って考えた。
そりゃやっぱり・・・“高砂の松”や!
高砂神社にある「相生(あいおい)の松」は,根がひとつで幹が2つに分かれていることから、夫婦の情を示す霊松として神木として崇められているという。
ほろ酔い気分で“高砂の松”を観に出かけることにした。
たしか中学生の頃?百人一首を覚えたよなぁ~
「誰をかも しる人にせむ 高砂の
松もむかしの 友ならなくに」
誰の歌やったっけ???
藤原興風?
もっと“高砂”で有名なのは,結婚披露宴でよく登場する
「高砂や この浦舟に 帆を上げて・・・」
ん~~ その続き分からへん・・・
それに最近聞いてへんしなぁ~
高砂や この浦舟に 帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに 出汐(いでしお)の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はやすみのえに 着きにけり はやすみのえに 着きにけり
四海(しかい)波静かにて 国も治まる時つ風 枝を鳴らさぬ 御代(みよ)なれや
あひに相生の松こそ めでたかれ げにや仰ぎても 事も疎(おろ)かや かかる代(よ)に住める 民とて豊かなる 君の恵みぞ ありがたき 君の恵みぞ ありがたき
『高砂』は能の作品の一つ。
相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能。
九州阿蘇宮の神官(ワキ)が播磨の国、高砂の浦にやってきた。春風駘蕩とする浦には松が美しい。遠く鐘の音も聞こえる。そこに老夫婦(シテとツレ)が来て、木陰を掃き清める。老人は古今和歌集の仮名序を引用して、高砂の松と住吉の松とは相生の松、離れていても夫婦であるとの伝説を説き、松の永遠、夫婦相老(相生にかけている)の仲睦まじさを述べる。命あるものは全て、いや自然の全ては和歌の道に心を寄せるという。ここで老夫婦は自分達は高砂・住吉の松の精である事を打ち明け、小舟に乗り追風をはらんで消えて行く。
神官もまた満潮に乗って舟を出し(ここで『高砂や…』となる)、松の精を追って住吉に辿り着く。
『われ見ても 久しくなりぬ住吉の、岸の姫松いく代経ぬらん』(伊勢物語)
の歌に返して、なんと住吉明神の御本体が影向(ようごう)され、美しい月光の下、颯爽と神舞を舞う。
『千秋楽は民を撫で、萬歳楽には命を延ぶ、相生の松風、颯々の聲ぞ楽しむ、颯々の聲ぞ楽しむ』(トメ拍子)。
いよう~~っの掛け声で鼓を打つあれで、最後までしつこく笑っていました。
ひんしゅくをかいましたが・・・><
上からおっ被せられる全てに反抗していた頃の事でした。
まさしく長寿を感じます。
ここまでするにはお手入れも大変でしょうし、立派なものだと感心しました。
都内葛飾区にも”高砂”という地名があります、昔は其処に住んでいました。
能やったか狂言やったかを,高校生のとき,高校の体育館で観たことがあります。
私の席は一番うしろ。
見えても小さい。
声は聞こえない。
意味不明???
結果は隣と喋るだけ・・・
>最後までしつこく笑っていました。
皆さん,能を観ているんですねぇ~
意味不明はねぇ~
きっと箸がこけてもおもしろいお年頃やったんでしょう。
最初と最後の写真は現在の“高砂の松”。
昭和になってからのもので,5代目だそうです。
6枚目の写真は先代の“高砂の松”。
今の松の横の立派な社の中でまつられていました。
こちらの方が大きく太くて立派でした。