1月に行った四国遍路・6番札所安楽寺で見た「太子駒つなぎの石」。
聖徳太子が駒を繋いだ石がなぜ四国にあったのか?その謎は,未解決のまま。
「面塚」の近くには,斑鳩宮と飛鳥の小墾田宮を結ぶ最短ルート「筋違い道」が通っているという。
「筋違い道」とは,全長約24km,聖徳太子が通った官道と いわれ、東西南北にまっすぐにつくられた古代の道の中で、北西に約20度の傾斜をもって大和平野を斜めに横切る道は珍しいとのこと。
現在でも、北は磯城郡三宅町伴堂・屏風付近から南は同郡田原本町宮古・黒田付近に、当時の道筋を見ることができるというので,少し歩い てみることにした。
途中にあった白山神社には,「太子腰掛石」と伝えられる石が残り、「太子駒つなぎの柳」の伝説も残っていた。
聖徳太子は昔,この道をほんまに馬に乗って通ってはったんやろか?
※その昔,ミヤケ⇒屯倉(天皇家の倉)が有った所が現在の三宅町。
「写真;白山神社の太子腰掛石」
聖徳太子が駒を繋いだ石がなぜ四国にあったのか?その謎は,未解決のまま。
「面塚」の近くには,斑鳩宮と飛鳥の小墾田宮を結ぶ最短ルート「筋違い道」が通っているという。
「筋違い道」とは,全長約24km,聖徳太子が通った官道と いわれ、東西南北にまっすぐにつくられた古代の道の中で、北西に約20度の傾斜をもって大和平野を斜めに横切る道は珍しいとのこと。
現在でも、北は磯城郡三宅町伴堂・屏風付近から南は同郡田原本町宮古・黒田付近に、当時の道筋を見ることができるというので,少し歩い てみることにした。
途中にあった白山神社には,「太子腰掛石」と伝えられる石が残り、「太子駒つなぎの柳」の伝説も残っていた。
聖徳太子は昔,この道をほんまに馬に乗って通ってはったんやろか?
※その昔,ミヤケ⇒屯倉(天皇家の倉)が有った所が現在の三宅町。
「写真;白山神社の太子腰掛石」
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