大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

杵築神社の絵馬

2010年03月08日 | 磯城郡(田原本・三宅・川西町)
昨日ブログに書いた「白山神社」があったのは,川西町。
そして,聖徳太子が開いた「太子道(筋ちがえ道)」をはさんで「白山神社」の反対側に鎮座している「杵築神社」は,三宅町屏風。
「太子道」が町と町の境? それとも,道に沿ってある小さな川が境なんやろか?
「屏風」という地名は,村人が太子を持てなすとき,屏風を立てて風を防いだことから名付けられたと伝えられている。
この「杵築神社」の拝殿には,県指定有形民俗文化財で慶応4年(1868年)に奉納された「おかげ踊り」の絵馬がある。
太神宮の幟を立て、太鼓と三味線に合わせ、30人ばかりの人が整然と踊っている様子を描いており,江戸時代の末に行われた伊勢神宮への「 おかげ参り」は、狂騒的な「ええじゃないか」騒動と云われている。
慶安・安永・明和・文政・慶応など、ほぼ60年目に熱狂的に踊りながらお伊勢まいりをするものだったらしい。
この神社の拝殿の建具の格子には,「糸井神社」と違ってガラスが入って無い。
上手く絵馬の写真が撮れるかも?
建具の格子の中にデジカメを持ったまま手を入れ,シャッターを押そうとした。
それがなかなか格子か小さくて難しい・・・
もしデジカメを拝殿の中に落としたら,鍵かかって るし,どうしたらええんやろか?という心配しながら何度かシャッターを切った。
「聖徳太子接待」の絵馬も奉納されていると云うけど,誰が聖徳太子か分からへんかった。
境内には「屏風の清水」があった。
その昔、聖徳太子が愛馬「黒駒」に乗馬して「太子道」を通り、斑鳩の「法隆寺」から「飛鳥の宮」まで通っておられた時、この地で黒駒を止めて休息され、従者の調子丸が持っていた弓をとって地を打ち、穿(うが)かれると、冷水がこんこんと湧き出たという。
以降、太子はこの地をお通りになる時、何時もここで冷水を愛飲されたと言い伝えられている。
太子の伝説を辿りながら,このまま家の近くまで歩いて帰りたかったけど,車を糸井神社の横に停めたままやから,「太子道(筋ちがえ道)」を糸井神社へと歩いて戻ることにした。
「写真;県指定有形民俗文化財「おかげ踊り」の絵馬」

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