
東大阪・司馬遼太郎記念館に『二十一世紀に生きる君たちへ』を買いにでかけた。
前回(数年前)訪ねたとき,悩んだ末に買いそびれたもの。
帰宅してからその本が司馬遼太郎記念館でしか購入できないことを知った。

訪ねたのは,前回も今回も冬。
司馬遼太郎が座っていたというソファー前の庭には冬戯れたクヌギの木立。
それに菜の花。
“菜の花忌”は2月12日か・・・
“坂の上の雲”のストラップ,正岡子規を2種類買って帰った。
帰宅して『二十一世紀に生きる君たちへ』をゆっくり眺めた。
巻頭には原稿用紙に書かれた司馬遼太郎の自筆の文字,
その文を校正・推敲するのに塗られた色鉛筆の色が綺麗やった。

@『二十一世紀に生きる君たちへ』
司馬遼太郎が初めて子供向けに書いた随筆。
大阪書籍「小学国語」に書き下ろしたもの。「一編の小説を書くより苦労した」と語っている。
短いエッセイではあるが、これまで大人向けで歯ごたえのある小説・エッセイを書いてきた司馬だけに、初めて子供向けに書いたという話題性と、その無駄のない文章から、多くの人に読まれた文章である。
文を読む限り、司馬自身、自分が生きたまま21世紀を迎えられないことを予期していたと見られ、それを前提に、やがて21世紀を担っていくであろう子供たちに向けての力強いメッセージと羨望の念が込められているこの文章は、まさしく司馬が残した遺書とも言うべきものであるといえる。
東大阪市の河内小阪駅から司馬遼太郎記念館へ至る途中の公園に文学碑が設置されている。

君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向へ持っていってほしいのである。
前回(数年前)訪ねたとき,悩んだ末に買いそびれたもの。
帰宅してからその本が司馬遼太郎記念館でしか購入できないことを知った。

訪ねたのは,前回も今回も冬。
司馬遼太郎が座っていたというソファー前の庭には冬戯れたクヌギの木立。
それに菜の花。
“菜の花忌”は2月12日か・・・
“坂の上の雲”のストラップ,正岡子規を2種類買って帰った。
帰宅して『二十一世紀に生きる君たちへ』をゆっくり眺めた。
巻頭には原稿用紙に書かれた司馬遼太郎の自筆の文字,
その文を校正・推敲するのに塗られた色鉛筆の色が綺麗やった。

@『二十一世紀に生きる君たちへ』
司馬遼太郎が初めて子供向けに書いた随筆。
大阪書籍「小学国語」に書き下ろしたもの。「一編の小説を書くより苦労した」と語っている。
短いエッセイではあるが、これまで大人向けで歯ごたえのある小説・エッセイを書いてきた司馬だけに、初めて子供向けに書いたという話題性と、その無駄のない文章から、多くの人に読まれた文章である。
文を読む限り、司馬自身、自分が生きたまま21世紀を迎えられないことを予期していたと見られ、それを前提に、やがて21世紀を担っていくであろう子供たちに向けての力強いメッセージと羨望の念が込められているこの文章は、まさしく司馬が残した遺書とも言うべきものであるといえる。
東大阪市の河内小阪駅から司馬遼太郎記念館へ至る途中の公園に文学碑が設置されている。

君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向へ持っていってほしいのである。
>21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向へ持っていってほしいのである。
この文章,3.11があった後だから,意味深に感じます。
司馬遼太郎は予言者???
>凄い本棚が吹き抜けになっているんでしょう???
館内は写真撮影禁止なので紹介できませんでした。
http://blog.goo.ne.jp/e411y/e/07d7da58756d9b952148fbce4fe2399e
昨夜,「梟の城」を読み終えました。
伊賀や名張に行きたくなりました。
伊賀盆地から北へ,多羅尾カントリークラブへ行く時通った峠が“おとぎ峠”って書いてあったと思うのです。
この本に何度も登場してきました。