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今日の趣味の園芸は,田んぼをトラクターで起す作業の予定やった。
起きてTVで天気予報を見ると,西日本は午後からまとまった雨とのこと。
作業途中で雨に降られるのは嫌やから,作業を中止にしてぼんやりと朝食&TV。
チャンネルを変えると奈良の墨つくりの光景が・・・
神田さんが喋っているから「旅サラダ」やろなぁ~と思って家人と二人ぼんやり眺めた。
やがて吉野の和紙漉きになり,春日山の月日亭での食事,長谷寺の観音さま,新薬師寺へと移っていった。
「月日亭で食事をしたことあるけど,奈良か西大寺だけで,この春日山の本店では戴いたことないわ・・・」と家人が独り言。
もうすぐ家人の誕生日,私は「連れて行って!」と云われたらどうしようかと答えを探した。
長谷の観音さんは,現在,特別拝観中の様子。
レポーターの佐久間さんが,身の丈11mの観音さんの足を摩っていた。
家人が「いつまで特別拝観で中に入れるって言ってた?」と聞く。
私は「しっかり聞いてなかった。」とだけ・・・
続いて家人が「新薬師寺に行ったことないねん。」と言う。
私は「そうか~知らんのんか・・・」とだけ答えた。
※吉野町は古くから「和紙の里」としてその名を知られている。いつごろから吉野の地で紙漉きが行われるようになったかは定かではないが、7世紀の初め、大陸から伝えられた製紙技術は、朝廷や寺院に納めるのに都合のよい土地で行われたのであろうという説もある。平安遷都後、紙の生産は吉野山間で盛んになり、広くその名が知られるようになった。そして明治中期までは、国栖地区を中心に和紙の原料である楮が栽培され、国栖村の約半数にあたる300戸で和紙作りを行っていた。このような状況を谷崎潤一郎は『吉野葛』の中で「・・・・あたかも、漁師町で海苔を乾かすような具合に長方形の紙が行儀よく板に並べてたてかけてあるのだが、その真白な色紙を散らしたやうなのが街道の両側や丘の段々の上などに高く低く寒さうな日に・・・・・・」と表現している。
「写真;紙漉き」
起きてTVで天気予報を見ると,西日本は午後からまとまった雨とのこと。
作業途中で雨に降られるのは嫌やから,作業を中止にしてぼんやりと朝食&TV。
チャンネルを変えると奈良の墨つくりの光景が・・・
神田さんが喋っているから「旅サラダ」やろなぁ~と思って家人と二人ぼんやり眺めた。
やがて吉野の和紙漉きになり,春日山の月日亭での食事,長谷寺の観音さま,新薬師寺へと移っていった。
「月日亭で食事をしたことあるけど,奈良か西大寺だけで,この春日山の本店では戴いたことないわ・・・」と家人が独り言。
もうすぐ家人の誕生日,私は「連れて行って!」と云われたらどうしようかと答えを探した。
長谷の観音さんは,現在,特別拝観中の様子。
レポーターの佐久間さんが,身の丈11mの観音さんの足を摩っていた。
家人が「いつまで特別拝観で中に入れるって言ってた?」と聞く。
私は「しっかり聞いてなかった。」とだけ・・・
続いて家人が「新薬師寺に行ったことないねん。」と言う。
私は「そうか~知らんのんか・・・」とだけ答えた。
※吉野町は古くから「和紙の里」としてその名を知られている。いつごろから吉野の地で紙漉きが行われるようになったかは定かではないが、7世紀の初め、大陸から伝えられた製紙技術は、朝廷や寺院に納めるのに都合のよい土地で行われたのであろうという説もある。平安遷都後、紙の生産は吉野山間で盛んになり、広くその名が知られるようになった。そして明治中期までは、国栖地区を中心に和紙の原料である楮が栽培され、国栖村の約半数にあたる300戸で和紙作りを行っていた。このような状況を谷崎潤一郎は『吉野葛』の中で「・・・・あたかも、漁師町で海苔を乾かすような具合に長方形の紙が行儀よく板に並べてたてかけてあるのだが、その真白な色紙を散らしたやうなのが街道の両側や丘の段々の上などに高く低く寒さうな日に・・・・・・」と表現している。
「写真;紙漉き」
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