大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

宇陀松山城

2013年06月28日 | 宇陀市・宇陀郡
大宇陀の町並みを散策していたら、旧松山城西口門があった。
旧松山城西口門は旧松山城大手筋にあたる西口関門。
建築は徳川初期のもので、門を含む地域は桝形になっているという。
城跡に登ってみたかったけど、生憎の梅雨空。
また次回ということで帰宅することにした。

@宇陀松山城
宇陀松山城(秋山城)は、沢氏と並んで宇陀郡を領分する国人である秋山氏の本城(秋山城)として築かれた。城跡は大宇陀区の市街地部(松山町)の東側にそびえる「古城山」一帯に存在し、少なくとも南北朝期には本拠を構えていたものと思われる。天正13年(1585)豊臣秀長の大和郡山入部に伴い秋山氏は宇陀から退去し、以後、豊臣家支配下の諸将の居城となり、関ケ原の合戦の後には福島孝治が入城した。

城と城下はこれらの大名によって大規模に改修され、名を「松山」と改めたと考えられる。しかし、元和元年(1615)に福島孝治が改易され、城は破却となり城郭としての役割を終えたが、近年の発掘調査により本丸御殿をはじめとした礎石建物や大規模な石垣、多彩な瓦・陶磁器類などが出土し、江戸初期の城郭の構造を極めて良好に残すことがあきらかになった。また、城を破却した小掘遠州の書状が見つかり、城割(城を壊すこと)の内容が把握できる貴重な事例として注目を集めている。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古い町並みで古いポスター | トップ | 神様用 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
みんなを連れて (山口ももり)
2015-04-02 07:40:13
いきましたよおおお・自分が行ってあんまり良かったから、教室の生徒さんをかたらっていきました。良かったなあ。薬草園はカタクリの花がいっぱい。きのう、浄瑠璃寺、岩船寺、海住山寺、ちょっと摩崖仏・・・・見てきましたよ・・・・
東大寺から1時間ですって。
返信する

コメントを投稿

宇陀市・宇陀郡」カテゴリの最新記事