![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a7/76322b8baa0dd96db218d5a949bd4b98.jpg)
あの日、『殯の森』の里へ行ったけど、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/54/9bd6f741d99d704e669fcadf34e16f04.jpg)
どこを見学したいの?って聞かれたら・・・
ん・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/7c/a9bc5d19674eae6571f5009a0aec7d67.jpg)
しばらく考えても、ん・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/28/34a6bae140c20bec2ceedeeefddf4053.jpg)
やっと出た答えが“太安万侶の墓”!
そう、彼がいなかったら、古代史は今のような形で伝わっていなかったかも知れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/00/13deeaa1006e0b19f28445035ae1171b.jpg)
『古事記』をはじめ、『日本書紀』の編纂にも関わったとされる太安万侶。
その墓が発見されたのは1979年。
ここ奈良市田原の茶畑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/14/2704fb12f4ee5b0abc83f00b09576410.jpg)
直径約4.5mの墳墓に収められていたのは墓主を明らかにする墓誌。
41文字から成る銘文には「太朝臣安萬侶」の名のほか、居住地や位階、死亡年月日などが記されていた。
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之養老七年十二月十五日乙巳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/c9/2c8c07a362f2718785ba7c89ebae67f6.jpg)
息を切らし、急坂を登りきれば、歴史の証人が眠る場所。
眼下は一面の緑の茶畑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/54/9bd6f741d99d704e669fcadf34e16f04.jpg)
どこを見学したいの?って聞かれたら・・・
ん・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/7c/a9bc5d19674eae6571f5009a0aec7d67.jpg)
しばらく考えても、ん・・・
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やっと出た答えが“太安万侶の墓”!
そう、彼がいなかったら、古代史は今のような形で伝わっていなかったかも知れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/00/13deeaa1006e0b19f28445035ae1171b.jpg)
『古事記』をはじめ、『日本書紀』の編纂にも関わったとされる太安万侶。
その墓が発見されたのは1979年。
ここ奈良市田原の茶畑。
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直径約4.5mの墳墓に収められていたのは墓主を明らかにする墓誌。
41文字から成る銘文には「太朝臣安萬侶」の名のほか、居住地や位階、死亡年月日などが記されていた。
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之養老七年十二月十五日乙巳
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息を切らし、急坂を登りきれば、歴史の証人が眠る場所。
眼下は一面の緑の茶畑。
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