大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

箸墓伝説

2009年05月30日 | 桜井市
昨日のニュースは,【「卑弥呼の墓」との説がある箸墓古墳(奈良県桜井市)の築造時期について、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループが240~260年とする調査結果をまとめた。31日開かれる日本考古学協会の総会で発表する。この年代は、魏志倭人伝に「卑弥呼以て死す、大いに冢(ちょう)を作る」と記載された247年頃と時期が一致し、倭の女王・卑弥呼がいた邪馬台国の所在地論争にも影響を与えそうだ。】と伝えてい た。
箸墓には下記のような伝説が残っている。
倭迹迹日百襲姫は、大物主の神の妻となった。夫(せ)の君の訪れは、夜だけであった。姫は夫にのべた。
「できれば、しばらくお留まりくださ い。朝の光のなかで、うるわしいお姿を、仰ぎみたいと思います。」
大物主の神はこたえた。
「あしたの朝、わたしはあなたの櫛箱にはいっていよう。だが、私の姿をみて、驚かないでほしい。」
姫は、怪しみながら、朝の光をまって、櫛箱をあけた。そこには、衣紐ほどの美しい子蛇がいた。
悲鳴が姫の咽喉をやぶった。
夫の神は、人のすがたになり、
「あなたは、私に恥ずかしい思いをさせた。」
と述べたと思うと、大空をふんで、御諸山(三輪山)へと翔けのぼって行った。
後悔の念が姫をおそった。姫は箸で陰部をついてなくなった。人びとは、姫を大和の大市に埋葬した。その墓は、箸の墓とよばれる。
この墓は、昼はひとがつくり、夜は神がつくった。人びとは、大坂山の石を、手から手に渡して運んだ。山から墓にいたるまで、人びとはたえることなくつづいた。
私は,今回のC14の測定結果も重要だと思うが,この伝説が残る古墳のままであってもよいのではないかとも思う。
「写真;箸墓と三輪山」

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