昨日2月12日は、司馬遼太郎“菜の花忌”。
第15回菜の花忌シンポジウムは、「司馬遼太郎のたいまつ―われわれが受け継ぐべきもの」
パネリストは、
養老孟司氏(東京大学名誉教授)
安藤忠雄氏(建築家)
姜尚中氏(東京大学大学院教授)
磯田道史氏(茨城大学准教授)
NHK大阪ホールであったシンポジウムに行きたかったけど、
私は田んぼで息子と田起こししてた。
先日(1月17日)の記事にこんなのがあった。
@『坂の上の雲』『翔ぶが如く』同時構想のメモ見つかる 司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)は17日、司馬遼太郎さんが小説『坂の上の雲』を執筆する際に用いたメモの一部に、『翔ぶが如く』を構想するメモが書かれていたと発表した。昭和47年、それぞれが新聞連載されており、同時期に複数の作品を生み出す司馬さんの仕事ぶりが伝わってくる貴重な資料だ。
『坂の上の雲』は、明治維新から日露戦争の勝利に至るまでの日本の近代化を描いた作品で、産経新聞夕刊に昭和43年4月から47年8月まで連載。『翔ぶが如く』は、明治維新の立役者となった西郷隆盛らを描き、毎日新聞朝刊に47年1月から51年9月まで連載された。
『坂の上の雲』のメモにはバルチック艦隊を迎え撃つ連合艦隊の様子や東郷平八郎の発言などが書かれ、そのページの右下の部分に、「西郷の思想というのはわかりにくく(略)、かれが尊敬する人物から推してゆく」などと、『翔ぶが如く』への創作姿勢が書かれ、強調するかのように朱色で丸く囲まれていた。
上村洋行館長は、「当時、連載をいくつも抱える脂がのった時期で、複数の小説の構想が頭の中で縦横に走っていたことを示す貴重な資料」と話している。
第15回菜の花忌シンポジウムは、「司馬遼太郎のたいまつ―われわれが受け継ぐべきもの」
パネリストは、
養老孟司氏(東京大学名誉教授)
安藤忠雄氏(建築家)
姜尚中氏(東京大学大学院教授)
磯田道史氏(茨城大学准教授)
NHK大阪ホールであったシンポジウムに行きたかったけど、
私は田んぼで息子と田起こししてた。
先日(1月17日)の記事にこんなのがあった。
@『坂の上の雲』『翔ぶが如く』同時構想のメモ見つかる 司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)は17日、司馬遼太郎さんが小説『坂の上の雲』を執筆する際に用いたメモの一部に、『翔ぶが如く』を構想するメモが書かれていたと発表した。昭和47年、それぞれが新聞連載されており、同時期に複数の作品を生み出す司馬さんの仕事ぶりが伝わってくる貴重な資料だ。
『坂の上の雲』は、明治維新から日露戦争の勝利に至るまでの日本の近代化を描いた作品で、産経新聞夕刊に昭和43年4月から47年8月まで連載。『翔ぶが如く』は、明治維新の立役者となった西郷隆盛らを描き、毎日新聞朝刊に47年1月から51年9月まで連載された。
『坂の上の雲』のメモにはバルチック艦隊を迎え撃つ連合艦隊の様子や東郷平八郎の発言などが書かれ、そのページの右下の部分に、「西郷の思想というのはわかりにくく(略)、かれが尊敬する人物から推してゆく」などと、『翔ぶが如く』への創作姿勢が書かれ、強調するかのように朱色で丸く囲まれていた。
上村洋行館長は、「当時、連載をいくつも抱える脂がのった時期で、複数の小説の構想が頭の中で縦横に走っていたことを示す貴重な資料」と話している。
>読み始めましたよ。「箸墓幻想」
そうですかぁ~
読んでいたら奈良に行きたくなるでしょう!
あと半月もしたら、お水取りがはじまりますよね。
時間がすぎるのが本当に早いですよねぇ~