昨日(昭和の日)は談山神社の“春のけまり祭”。
親父も神社へ。
祭りのあとは宴があるので、私は親父の送迎係り。
談山神社で“けまり祭”が行われるようになったのは、以下の通りだとか。
「中大兄皇子、中臣鎌足連にいわく。鞍作(蘇我入鹿)の暴虐をいかにせん。願わくは奇策をのべよと。中臣連、皇子をひきいて城東の倉橋山の峯に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。」
「多武峰縁起」にこう記された、藤原鎌足と中大兄皇子の談合。それは「大化改新」密談だった。この密談が、談山神社の祭神である鎌足と、後の天智天皇である中大兄皇子らが、「飛鳥法興寺において打毬を行うふりをしながら行なった」と、『日本書紀』に描かれていることによるそうだ。
いつの世も“密談”ってあるものですよね・・・
親父も神社へ。
祭りのあとは宴があるので、私は親父の送迎係り。
談山神社で“けまり祭”が行われるようになったのは、以下の通りだとか。
「中大兄皇子、中臣鎌足連にいわく。鞍作(蘇我入鹿)の暴虐をいかにせん。願わくは奇策をのべよと。中臣連、皇子をひきいて城東の倉橋山の峯に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。」
「多武峰縁起」にこう記された、藤原鎌足と中大兄皇子の談合。それは「大化改新」密談だった。この密談が、談山神社の祭神である鎌足と、後の天智天皇である中大兄皇子らが、「飛鳥法興寺において打毬を行うふりをしながら行なった」と、『日本書紀』に描かれていることによるそうだ。
いつの世も“密談”ってあるものですよね・・・
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