先日のこと、明日香で奇妙な石の前を通過し、飛鳥川に架かる橋を渡って車を停めようとしたら、1本の石柱が目に入った。
ここは何処???
駐車場と違うの???
車から降りてその石柱に刻まれた文字を読むと“飛鳥稲淵宮殿跡”とあった。
“飛鳥稲淵宮殿跡”???
@ 飛鳥稲淵宮殿跡
国営飛鳥歴史公園祝戸地区の入口付近、飛鳥川の左岸にある昭和51年(1967)の発掘調査で発見された遺構。
コの字形に配置された掘立柱の建物とそれによって囲まれた石敷広場があった。
7世紀中頃から後半のものと思われる土器と硯が出土している。
その後の調査で南方に広大な石敷遺構が発見され、関連施設が南に広がる可能性もあることが分かった。
瓦が出土しなかったことや建物の配置などから宮殿遺跡と推定されている。
白雉4年(653)に中大兄皇子が難波から飛鳥にもどって一時期営んだ河辺狩宮跡という説がある。
皇極天皇の時代の有名なエピソードに雨乞いの話がある。
皇極元年、旱魃が続き、蘇我入鹿が僧たちにお経を読ませたが、雨は少ししか降らなかった。
そこで天皇自身が南淵の川上で祈ったところ大雨が降った。
その「南淵の川上」がこの場所ではないかともいわれている。
橋の袂に万葉歌碑がある。
『明日香川 七瀬之不行尒 住鳥毛 意有社 波不立目』(作者 不詳 巻7-1366)
明日香川の七瀬の淀に住んでいる鳥も心があるからこそ波を立てずにじっとしているのでしょうに
ここは何処???
駐車場と違うの???
車から降りてその石柱に刻まれた文字を読むと“飛鳥稲淵宮殿跡”とあった。
“飛鳥稲淵宮殿跡”???
@ 飛鳥稲淵宮殿跡
国営飛鳥歴史公園祝戸地区の入口付近、飛鳥川の左岸にある昭和51年(1967)の発掘調査で発見された遺構。
コの字形に配置された掘立柱の建物とそれによって囲まれた石敷広場があった。
7世紀中頃から後半のものと思われる土器と硯が出土している。
その後の調査で南方に広大な石敷遺構が発見され、関連施設が南に広がる可能性もあることが分かった。
瓦が出土しなかったことや建物の配置などから宮殿遺跡と推定されている。
白雉4年(653)に中大兄皇子が難波から飛鳥にもどって一時期営んだ河辺狩宮跡という説がある。
皇極天皇の時代の有名なエピソードに雨乞いの話がある。
皇極元年、旱魃が続き、蘇我入鹿が僧たちにお経を読ませたが、雨は少ししか降らなかった。
そこで天皇自身が南淵の川上で祈ったところ大雨が降った。
その「南淵の川上」がこの場所ではないかともいわれている。
橋の袂に万葉歌碑がある。
『明日香川 七瀬之不行尒 住鳥毛 意有社 波不立目』(作者 不詳 巻7-1366)
明日香川の七瀬の淀に住んでいる鳥も心があるからこそ波を立てずにじっとしているのでしょうに
ここは明日香でも南の端近く。
ここから始まる山を越えると吉野です。
大きな建物は建てられないので、もしかしたら戦の準備???