![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/ae/f5b9badf54d0b54e8e794fab1ea9f739.jpg)
先日、ネットのニュースに“脇本遺跡”が登場していた。
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@脇本遺跡:南端に石積みの護岸発見 宮の周濠か 奈良
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奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)は24日、同県桜井市の脇本遺跡で、古墳時代中期(5世紀後半)に築かれた大規模な堀状の遺構(南北60メートル、東西30メートル)と、その南端に石積みの護岸を発見したと発表した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/ed/b3679cf3fdd0248c084717ca3cfb3103.jpg)
すぐ北東の台地では、雄略(ゆうりゃく)天皇の泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)に関連するとみられる大型掘っ立て柱建物が見つかっており、専門家は遺構が宮の周濠(しゅうごう)や池だった可能性があるとしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/27/c98c79396e26cdb53c5c4cd3edf3dbdf.jpg)
雄略天皇は古墳時代の5世紀後半に在位した21代天皇で、ヤマト王権の勢力拡大を進めたとされる。脇本遺跡は、宮である泊瀬朝倉宮の推定地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/2c/46e0e8930210cb3f82151fed48f32484.jpg)
今回見つかった遺構の底面は、南北の高さがほぼ水平で、水がたまった形跡はなかった。堆積(たいせき)物がたまらないように管理されていたか、そもそも水が無かったかは不明という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/cd/65c6f68dfb6ab592d79597d789060f7e.jpg)
石積みは、約20〜30センチ大の石がほぼ東西方向に約30メートルにわたって直線状に並び、遺構の底からの高さは約1.2メートルだった。出土した器などの土器から、いずれも5世紀後半に造られ、6世紀後半の古墳時代後期にはなくなったとみられる。遺構や石積みは調査区域外に及ぶ可能性が高いという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/cc/633fbd41dc34f8eb89f9c97bf3bdbb18.jpg)
京都教育大の和田萃(あつむ)名誉教授は「周囲を囲む大溝という印象。景観や防御の要素もあるのではないか。東国へ行ける初瀬街道がある三輪山南麓(なんろく)の谷口に堀を巡らせ、威容を誇る王宮だったと想像できる」と話している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/16/352735a2d08217f20fb207babf5c4f0b.jpg)
現地説明会は29日午前10時から午後3時まで。近鉄大阪線大和朝倉駅から北東に徒歩約15分で、駐車場はない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/af/2d0f99d734f4179be1deebfa3fadaf04.jpg)
昨日、近くを通りかかったので、ちょっと覗いてみることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/80/586ae10a56b22453d885b11669c3da67.jpg)
遺跡は現地説明会の準備で忙しそうやった。
私からの少し早い現地説明会でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/57/b923796066ff966c2d02aa4766b654f1.jpg)
@脇本遺跡:南端に石積みの護岸発見 宮の周濠か 奈良
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奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)は24日、同県桜井市の脇本遺跡で、古墳時代中期(5世紀後半)に築かれた大規模な堀状の遺構(南北60メートル、東西30メートル)と、その南端に石積みの護岸を発見したと発表した。
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すぐ北東の台地では、雄略(ゆうりゃく)天皇の泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)に関連するとみられる大型掘っ立て柱建物が見つかっており、専門家は遺構が宮の周濠(しゅうごう)や池だった可能性があるとしている。
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雄略天皇は古墳時代の5世紀後半に在位した21代天皇で、ヤマト王権の勢力拡大を進めたとされる。脇本遺跡は、宮である泊瀬朝倉宮の推定地。
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今回見つかった遺構の底面は、南北の高さがほぼ水平で、水がたまった形跡はなかった。堆積(たいせき)物がたまらないように管理されていたか、そもそも水が無かったかは不明という。
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石積みは、約20〜30センチ大の石がほぼ東西方向に約30メートルにわたって直線状に並び、遺構の底からの高さは約1.2メートルだった。出土した器などの土器から、いずれも5世紀後半に造られ、6世紀後半の古墳時代後期にはなくなったとみられる。遺構や石積みは調査区域外に及ぶ可能性が高いという。
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京都教育大の和田萃(あつむ)名誉教授は「周囲を囲む大溝という印象。景観や防御の要素もあるのではないか。東国へ行ける初瀬街道がある三輪山南麓(なんろく)の谷口に堀を巡らせ、威容を誇る王宮だったと想像できる」と話している。
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現地説明会は29日午前10時から午後3時まで。近鉄大阪線大和朝倉駅から北東に徒歩約15分で、駐車場はない。
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昨日、近くを通りかかったので、ちょっと覗いてみることにした。
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遺跡は現地説明会の準備で忙しそうやった。
私からの少し早い現地説明会でした。
さすが奈良だなぁ。すぐにこういった遺構があるんですものね。
本日、脇本遺跡の横を通過。
現地説明会ですごい人でした!
脇本遺跡から、次は何処へ見学で移動するのでしょうか?
その方に興味がありました。
2枚目の写真、中和幹線道路の高架が地上に降りるのが脇本です。
3枚目の写真、脇本遺跡のお隣の田んぼ。
田んぼの向こうに脇本の集落、たしか神社があったはず。春日神社?とその杜も写っているはず。
その神社の杜の奥に三輪山が聳えています。
脇本・朝倉は初瀬への道筋、三輪山の南麓にあるのです。