先日、国道169号を吉野・川上村へ南下。
その途中に昔、“吉野離宮”があったという“宮滝”を通過。
“宮滝”と言うが、いわゆる滝はない。
滝と言うのは、水が滾(たぎ)る瀬のこと。滾るは、辞書を引くと「水などがわきかえる」、「激しく流れる」、「さかまく」と言う意味になっている。
だから、宮滝は水が滾る宮処という意味だという。
宮滝を神仙郷に例えることもあるが、まさにその趣のある場所。
万葉集で吉野川の流れは「たぎつ河内」「夢のわた」「川淀(かわよど)」等と詠まれ、柿本人麻呂が女帝の持統天皇の吉野行幸に供をして来た時には、
山川も 依りて仕ふる神ながら たぎつ河内に 船出せすかも
と詠んでいる。
吉野川に架かる「柴橋」のたもとには石碑が建ち、吉野川流域で最大の「宮滝遺跡」が在る。ここから出土した縄文時代後期の土器には「宮滝式」の名称が付けられている。
また遺跡の北側から飛鳥時代以後~平安時代初期の建物跡も発見され、656年女帝斉明天皇が「吉野宮」を造ると「日本書紀」に記された“吉野離宮”と推定されており、吉野へ行幸した天皇は、応神天皇から聖武天皇まで8人で、その間約440年余だという。
672年6月大海人皇子が近江朝打倒の為ここから出陣し、後で「吉野の盟約」を行った。
また、女帝持統天皇は在位9年間に31回吉野へ行幸したと伝えられているそうだ。
その途中に昔、“吉野離宮”があったという“宮滝”を通過。
“宮滝”と言うが、いわゆる滝はない。
滝と言うのは、水が滾(たぎ)る瀬のこと。滾るは、辞書を引くと「水などがわきかえる」、「激しく流れる」、「さかまく」と言う意味になっている。
だから、宮滝は水が滾る宮処という意味だという。
宮滝を神仙郷に例えることもあるが、まさにその趣のある場所。
万葉集で吉野川の流れは「たぎつ河内」「夢のわた」「川淀(かわよど)」等と詠まれ、柿本人麻呂が女帝の持統天皇の吉野行幸に供をして来た時には、
山川も 依りて仕ふる神ながら たぎつ河内に 船出せすかも
と詠んでいる。
吉野川に架かる「柴橋」のたもとには石碑が建ち、吉野川流域で最大の「宮滝遺跡」が在る。ここから出土した縄文時代後期の土器には「宮滝式」の名称が付けられている。
また遺跡の北側から飛鳥時代以後~平安時代初期の建物跡も発見され、656年女帝斉明天皇が「吉野宮」を造ると「日本書紀」に記された“吉野離宮”と推定されており、吉野へ行幸した天皇は、応神天皇から聖武天皇まで8人で、その間約440年余だという。
672年6月大海人皇子が近江朝打倒の為ここから出陣し、後で「吉野の盟約」を行った。
また、女帝持統天皇は在位9年間に31回吉野へ行幸したと伝えられているそうだ。
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