日曜日は“信貴山”で法要後の会食。
久々の“信貴山”・・・
“信貴山”といえば、やっぱり“虎”やなぁ~
(“虎”と云っても阪神タイガースのことではない。)
“信貴山は、なんで“虎”なんやろうか?”
それは今から約千四百年の昔、聖徳太子が物部守屋討伐のため、この山に至り毘沙門天に祈願され、その御加護で勝利された。その御利益をいただかれたのが寅の年、寅の月、寅の日であったといわれている。
聖徳太子は、そのお礼に毘沙門天の尊像を安置し寺院を建立して、信ずべき貴ぶべき山“信貴山”と名づけられたそうだ。以来、信貴山では、寅の日は聖徳太子にあやかって良い事がある、毘沙門様の御利益がいただける、即ち福が授かる「福寅」と呼ばれてきたそうだ。
日曜日は生憎の雨、信貴山は雲の中・・・
時々雲の間から信貴山・朝護孫子寺が見え隠れしていたが、
我々はお寺に参拝もせずに酒を飲み、
夕方には我々が“大虎”になってしまっていた。
さすが我が親戚たち・・・
久々の“信貴山”・・・
“信貴山”といえば、やっぱり“虎”やなぁ~
(“虎”と云っても阪神タイガースのことではない。)
“信貴山は、なんで“虎”なんやろうか?”
それは今から約千四百年の昔、聖徳太子が物部守屋討伐のため、この山に至り毘沙門天に祈願され、その御加護で勝利された。その御利益をいただかれたのが寅の年、寅の月、寅の日であったといわれている。
聖徳太子は、そのお礼に毘沙門天の尊像を安置し寺院を建立して、信ずべき貴ぶべき山“信貴山”と名づけられたそうだ。以来、信貴山では、寅の日は聖徳太子にあやかって良い事がある、毘沙門様の御利益がいただける、即ち福が授かる「福寅」と呼ばれてきたそうだ。
日曜日は生憎の雨、信貴山は雲の中・・・
時々雲の間から信貴山・朝護孫子寺が見え隠れしていたが、
我々はお寺に参拝もせずに酒を飲み、
夕方には我々が“大虎”になってしまっていた。
さすが我が親戚たち・・・
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