わざわざ大阪・茨木までラーメンを食べに行くだけではモッタイナイ。
見どころを調べて見ると,JR茨城駅を出発し,4kmほど歩いて阪急茨城市駅に戻るという観光コースがあるのが分かった。
そのコースの中に,“川端康成文学館”が入っていた。
川端康成と茨木???
その関係を,今まで私は知らなかった。
川端康成は両親を幼いときに失い、ただ一人の兄弟であった姉も十歳のときに亡くなり、天涯孤独になった。
ただ、母方の実家や祖父、伯父に助けられて茨木中学校から東京の第一高等学校、東京帝国大学へ進むことができたという。
彼は,3歳の頃から茨木中学校を卒業するまで,ここ茨木で青春時代を過ごしてたんや。
川端康成の随筆の中に故郷についてこう書いている。
“私の村は現在茨木市にはいっている。京都と大阪との中間の山裾の農村で、その山を深く入れば丹波である。村の景色に藝はないけれども、近くに「伊勢物語」や「徒然草」に書かれた所がある。”
@茨木市立川端康成文学館
日本人初のノーベル文学賞受賞者である作家・川端康成の業績の顕彰および紹介するために、茨木市に建設された施設で、1985年5月に開館した。館は市立「上中条青少年センター」に併設されている。川端は両親と死別後に祖父に引き取られ、3歳から旧制茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)卒業まで三島郡豊川村(1956年に茨木市に編入)で育った。
館では、遺品など約400点を展示するとともに、豊川村にあった幼少期に住んだ屋敷の可動式模型を展示。パネルやビデオで川端の作品と生涯を紹介している。また、ギャラリーが併設されており、毎年6月には企画展を行う。
見どころを調べて見ると,JR茨城駅を出発し,4kmほど歩いて阪急茨城市駅に戻るという観光コースがあるのが分かった。
そのコースの中に,“川端康成文学館”が入っていた。
川端康成と茨木???
その関係を,今まで私は知らなかった。
川端康成は両親を幼いときに失い、ただ一人の兄弟であった姉も十歳のときに亡くなり、天涯孤独になった。
ただ、母方の実家や祖父、伯父に助けられて茨木中学校から東京の第一高等学校、東京帝国大学へ進むことができたという。
彼は,3歳の頃から茨木中学校を卒業するまで,ここ茨木で青春時代を過ごしてたんや。
川端康成の随筆の中に故郷についてこう書いている。
“私の村は現在茨木市にはいっている。京都と大阪との中間の山裾の農村で、その山を深く入れば丹波である。村の景色に藝はないけれども、近くに「伊勢物語」や「徒然草」に書かれた所がある。”
@茨木市立川端康成文学館
日本人初のノーベル文学賞受賞者である作家・川端康成の業績の顕彰および紹介するために、茨木市に建設された施設で、1985年5月に開館した。館は市立「上中条青少年センター」に併設されている。川端は両親と死別後に祖父に引き取られ、3歳から旧制茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)卒業まで三島郡豊川村(1956年に茨木市に編入)で育った。
館では、遺品など約400点を展示するとともに、豊川村にあった幼少期に住んだ屋敷の可動式模型を展示。パネルやビデオで川端の作品と生涯を紹介している。また、ギャラリーが併設されており、毎年6月には企画展を行う。
川端康成文学館に新聞小説のファイルがありました。
その小説のタイトルは・・・?
茨木には,彼が旧制中学校の頃に歩いた街並みが,まだ少しは残っているとのこと。
学校の図書館と街の本屋が大好きだったようです。
たしか,「細雪」は谷崎潤一郎でしたよね。
(よく濁って読まれて憤慨していますよ~)
関西の茨木市はどう読まれるのですか?
愚生も川端康成読んでないなぁ
文学作品はほとんど読んでない…
教科書に載るレベルくらいかな…
私は茨城県をイバラギ,茨木市をイバラキだと思っていました。
茨城は懐かしい所です。
筑波に40日ほど研修で行っていました。
鮟鱇鍋,美味しかったなぁ~
霞ヶ浦の鰻も・・・
そうですかぁ~
みなさん,あんまり読んでおられないんやぁ~
安心しました。