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毛原廃寺を散策していたとき,中門跡から近くの民家を見たら家の横に何かある。
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犬小屋?
いやいや,もっと立派なもの?
近くへ行って確認したいけど,どう見ても民家・私有地や!
勇気を出して民家への道を歩き,家の前を横切って近づいた。
そしたらロマンが・・・
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@山辺の御井(やまのべのみい)
金堂と中門との間に径1.2メートル、深さ7.5メートルの素掘りの古い井戸がある。
寛政3年(1791)に発刊された「大和名所図絵」に「山辺ノ御井ハ気原村(毛原村のこと)ニアリ」と記されている。
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『山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢の處女ども 相見つるかも』
万葉集 巻1-81= 長田王 作[第40代 天武天皇の曾孫]
「伊勢の處女(おとめ)ども」とは斉王[伊勢神宮に仕える未婚の皇女]をさすのではなかろうか。
長田王が元明天皇の和銅5年(712)に、奈良から伊勢斎宮へ行く途中に立ち寄って詠んだこの「山辺の御井」 のはっきりとした所在はいまだ分かっていないが、この毛原廃寺の礎石群の中に伝承として残る「山辺の御井」が本物とすれば、長田王が実際にこの地(毛原寺?)を訪れ詠んだことになる。
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犬小屋?
いやいや,もっと立派なもの?
近くへ行って確認したいけど,どう見ても民家・私有地や!
勇気を出して民家への道を歩き,家の前を横切って近づいた。
そしたらロマンが・・・
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@山辺の御井(やまのべのみい)
金堂と中門との間に径1.2メートル、深さ7.5メートルの素掘りの古い井戸がある。
寛政3年(1791)に発刊された「大和名所図絵」に「山辺ノ御井ハ気原村(毛原村のこと)ニアリ」と記されている。
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『山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢の處女ども 相見つるかも』
万葉集 巻1-81= 長田王 作[第40代 天武天皇の曾孫]
「伊勢の處女(おとめ)ども」とは斉王[伊勢神宮に仕える未婚の皇女]をさすのではなかろうか。
長田王が元明天皇の和銅5年(712)に、奈良から伊勢斎宮へ行く途中に立ち寄って詠んだこの「山辺の御井」 のはっきりとした所在はいまだ分かっていないが、この毛原廃寺の礎石群の中に伝承として残る「山辺の御井」が本物とすれば、長田王が実際にこの地(毛原寺?)を訪れ詠んだことになる。
万葉の時代のものがそこいら辺にあるんですか?
犬小屋かと思ったら由緒正しき井戸だった!
それも万葉の歌に歌われた・・これはロマンです。
奈良はいいところですね。
生きてるうちに(?)絶対に行かなければ・・!
でも確かに・・・他にもあったような???
>万葉の時代のものがそこいら辺にあるんですか?
そうなんですよねぇ~
それもあちこちに・・・
是非一度奈良へ来てください!
ももりさんの頭の中の引き出しは???
やっぱり凄いですね!