大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

菜の花の沖:高田屋嘉兵衛

2014年03月03日 | 兵庫県
淡路島で行きたい所、それは司馬遼太郎「菜の花の沖」で読んだ“高田屋嘉兵衛公園”。
少し前までソチのオリンピックでロシアが身近に感じれたけど、

「菜の花の沖」は、昔々江戸時代終わり頃のお話やった。

@ 高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)
1769年(明和6年)に淡路島の五色町に生まれた江戸時代後期の廻船業者、海商。
1795年には1700石積の「辰悦丸」を作り、現在の神戸市兵庫区を拠点に、山形県、北海道の函館などで廻船業を営み、国後島や択捉島との交易も行い、造船や開拓事業なども手がけた。
晩年には、生まれ故郷の淡路島(五色町)に戻り、津志浦、新在家などの港を整備した。

@ゴローニン事件
1811年(文化8年)、松前藩は測量のため千島列島へ訪れていたディアナ号を国後島で拿捕し、艦長ゴローニン海軍中佐ら8名を捕らえ抑留した。ゴローニンらを人質に取り、ディアナ号に対し砲撃する日本側に対し、副艦長のピョートル・リコルド(ロシア語版)はロシアへ帰還し、日本人漂流民を使者、交換材料として連れて翌1812年(文化9年)に再び来日、8月には国後島においてゴローニンと日本人漂流民の交換を求めるが、日本側はゴローニンらを処刑したと偽り拒絶する。
リコルドは報復措置として国後島沖で日本船の観世丸を拿捕。乗り合わせていた廻船商人の高田屋嘉兵衛らを抑留した。翌1813年(文化10年)9月、ゴローニンは高田屋嘉兵衛と捕虜交換により解放され、ロシアへ帰国した。この一連の事件解決には高田屋嘉兵衛の交渉があったといわれている。
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1 コメント

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しっかり読んだはず (山口ももり)
2014-03-16 10:53:51
読んだはずなのにもう忘れてます。そういえば、ゴローニン登場しましたねえ。北海道では追っかけ高田屋嘉平をしましたのに休館でがっくり。ごく最近「菜の花の沖」をよみおえました。黒田官兵衛です。
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