大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

大安寺にランニング!

2008年09月18日 | 奈良市
夏の終わり、私は奈良市の“大安寺”というところに行くことになった。
以前から疑問に思ってのだが、「地名が“大安寺”?」
それとも「“大安寺”というお寺に行くの?」
調べてみると、かつて奈良時代、この地には巨大な寺院があったのだ。
奈良時代に朝廷から保護をうけていた“南都七大寺《興福寺、東大寺、西大寺、薬師寺、元興寺、大安寺、法隆寺》”の1つだったそうだ。
当日、16時35分すぎに用件が終了した。
もう、目指すのは“大安寺”!
私は残暑厳しい中を(自分の脚で)走った!
走りながら頭の中には四国遍路で体験した、少々嫌な記憶が蘇ってきた。
やがて興福寺旧一乗院の門を移築、復元したという南門が見えてきた。
時計を見ると16時45分。
「走った甲斐あったなぁ~ これで15分ほど見学できるわ・・・」と南門をくぐった。
かつてこの南門は、平城京の朱雀門のような巨大な南大門だったとか・・・
弘法大師をして「大安寺は是れ兜卒の構、祇園精舎の業なり」と言わしめるほど壮麗だったとか・・・
そんな古を偲ぶ思いで旧南大門の基壇の上に立っていたのだ。
すると向こうから一人の僧侶がこちらの方に近づいて来て、
「もうすぐ閉門しますのでよろしく。」と言うではないか!
私はとりあえず2~3分で境内を走って回り、南門に戻った。
さきほどの僧侶は、門を少しだけ開けて私を待っていてくれた。
私は「ありがとうございました。」と声をかけ、
心の中では「まだ16時50分やのになぁ・・・」って思いながら門から外に出た。
私が出るとすぐに立派な門は音をたてて閉まった。
ほんまに、ええ汗かいたわ・・・
あの日は、“大安寺にランニング!”しに行ったようなもんやった。
※大安寺について
大安寺伽藍縁起によると、飛鳥の大官大寺が平城遷都に伴い現在地に移され、天平17(745)年に天下太平、万民安楽の意味を込めて『大安寺』と命名された。創建時の伽藍配置は南大門、中門、金堂、講堂を一直線に並べ、南大門の外側に東西2基の七重塔を建てるという独特の壮大な建築様式だった。しかし、中世以降寺運が衰え、明治初期に堂塔が絶えてしまい、現在の本堂は近年の再建のものである。しかし、奈良時代の優れた仏像が数多く伝えられており、本堂の十一面観音立像や嘶堂の千手観音立像は共に秘仏で、国の重要文化財に指定されている。
「写真;大安寺の南門」


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 篤姫と天誅組の頃 | トップ | 大安寺八幡神社 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大安寺さん (ひー)
2012-08-20 12:34:04
祖母が病気で入院したとき、奈良のいろんなお寺を巡った中に大安寺さんもありました。
病気が治る見込みはなかったので、痛みや苦しみが少しでも和らぎますようにとお願いして回ったのが思い出されます。
返信する

コメントを投稿

奈良市」カテゴリの最新記事