明治はじめの廃仏毀釈から何年経った?
場所、談山神社の駐車場から少し上。

この場所は、私のご先祖さまが昔、暮らしていたと聞く所のお隣!?

私のご先祖さまは、678年、藤原鎌足の長男が多武峰に十三重塔を建てる時に同行したらしい。

そして、その塔と共に多武峰で約900年間暮らしたらしい。

やがて秀吉の時代、妙楽寺に厳しい刀狩令?武装解除命令?があり、多武峰から降りて暮らすようになったそう。

昨秋のこと、奈良県桜井市多武峰に妙楽寺が復興なったと知った。
それで、妙楽寺を見に行くことに。

場所、談山神社の駐車場から少し上。

この場所は、私のご先祖さまが昔、暮らしていたと聞く所のお隣!?

私のご先祖さまは、678年、藤原鎌足の長男が多武峰に十三重塔を建てる時に同行したらしい。

そして、その塔と共に多武峰で約900年間暮らしたらしい。

やがて秀吉の時代、妙楽寺に厳しい刀狩令?武装解除命令?があり、多武峰から降りて暮らすようになったそう。

谷を隔てて、談山神社を望む。
談山神社は、明治の廃仏毀釈で妙楽寺が神社の形で残ったもの。

秀吉の時代、我が家のご先祖さまは山を降りたけど、多武峰に残った同族がいたはず。

ただ、明治はじめの廃仏毀釈でその記録を辿ろうにも、何も残っていない。

残念だったのは、妙楽寺のご住職に挨拶出来なかったことと、

それと、桜にはまだ少し早かったこと。

秀吉の時代、我が家のご先祖さまは山を降りたけど、多武峰に残った同族がいたはず。

ただ、明治はじめの廃仏毀釈でその記録を辿ろうにも、何も残っていない。

残念だったのは、妙楽寺のご住職に挨拶出来なかったことと、

それと、桜にはまだ少し早かったこと。
そしてお寺の名前に親近感、いいなぁ
そう妙楽寺は、山桜さんが、なかなか来ないバスを待っておられた、多武峰バス停のすこし上にあたります。
昔、興福寺と勢力を争った寺院がここにあったのです。