先日,次男が滋賀県大津周辺を散策したとのこと。
「どうやった?」と聞くと
「かわった石がある石山寺を拝観して昼食場所を探したんやけど,
たしか昔来たような・・・
しじみと3本の葉の松・・・」
そこで彼が思い出したのは,私たちと巡った“西国三十三ヶ所巡礼”でのこと。
当時,彼はまだ小学生。
あの時,石山寺へも参った。
昼食は石山寺の近く,瀬田川の畔で食べた。
たしかに“しじみ”が出たような・・・
その食事場所の前にあったのが“三鈷の松”。
今でも家に飾ってある。
食べたことはなかなか忘れないというが,
“三鈷の松”を覚えているとは・・・
@三鈷の松
遣唐使として唐の青龍寺で恵果阿闍利に真言密教を伝授された若き日の弘法大師は、勉学を終え日本へ帰国するにあたり、密教の修行にふさわしい場所はどこかを占うため、唐・明州の浜から日本に向かって密教の法具である三鈷杵を投げました。
帰国後、弘法大師は三鈷杵がどこに落ちたのかを探して高野山麓を歩いていました。このあたりは弘法大師自身が述べているように、山岳修行に明け暮れた少年の頃、訪れたことのある場所でもあります。
弘法大師はここで白と黒の犬二頭を従えた猟師と出会い、三鈷杵の落ちたところ、すなわち現在の高野山上まで導かれたと伝えられます。この猟師、実は高野山一帯の地主神・丹生都比売明神の御子神である狩場明神の化身であったのです。
高野山にたどり着くと、三鈷杵は松の木の枝にひっかかっていました。以来この松は三鈷杵と同じく三つ葉をもつようになったのだそうです。
葉先が三つに分かれている珍しい松の古木。三鈷は智慧、慈悲、まごころを表す。この松の葉を持っていると三つの福が授かるといわれています。
【写真】西行の墓がある弘川寺で見た“三鈷の松”
「どうやった?」と聞くと
「かわった石がある石山寺を拝観して昼食場所を探したんやけど,
たしか昔来たような・・・
しじみと3本の葉の松・・・」
そこで彼が思い出したのは,私たちと巡った“西国三十三ヶ所巡礼”でのこと。
当時,彼はまだ小学生。
あの時,石山寺へも参った。
昼食は石山寺の近く,瀬田川の畔で食べた。
たしかに“しじみ”が出たような・・・
その食事場所の前にあったのが“三鈷の松”。
今でも家に飾ってある。
食べたことはなかなか忘れないというが,
“三鈷の松”を覚えているとは・・・
@三鈷の松
遣唐使として唐の青龍寺で恵果阿闍利に真言密教を伝授された若き日の弘法大師は、勉学を終え日本へ帰国するにあたり、密教の修行にふさわしい場所はどこかを占うため、唐・明州の浜から日本に向かって密教の法具である三鈷杵を投げました。
帰国後、弘法大師は三鈷杵がどこに落ちたのかを探して高野山麓を歩いていました。このあたりは弘法大師自身が述べているように、山岳修行に明け暮れた少年の頃、訪れたことのある場所でもあります。
弘法大師はここで白と黒の犬二頭を従えた猟師と出会い、三鈷杵の落ちたところ、すなわち現在の高野山上まで導かれたと伝えられます。この猟師、実は高野山一帯の地主神・丹生都比売明神の御子神である狩場明神の化身であったのです。
高野山にたどり着くと、三鈷杵は松の木の枝にひっかかっていました。以来この松は三鈷杵と同じく三つ葉をもつようになったのだそうです。
葉先が三つに分かれている珍しい松の古木。三鈷は智慧、慈悲、まごころを表す。この松の葉を持っていると三つの福が授かるといわれています。
【写真】西行の墓がある弘川寺で見た“三鈷の松”
>ヤマトトトヒモモソヒメとか???
その方のお墓は知っていますよ!
ジュゲムジュゲム・・・も長い名前でしたよねぇ~