この季節、庭の“紫式部”が色づいて綺麗です。
まだ梅雨明けの頃、昨日のブログ“鏡作神社”を探していた時、
その杜を間違えて、ひとつ北側の鎮守の森に入ってしまった。
その神社の名前は“八坂神社”。
詳しい場所は、奈良県磯城郡田原本町鍵。
鍵・唐古遺跡のすぐ南側の杜だった。
境内を散策するとベンチの上になにやら難しそうな本の山。
仏教の本というのかインド哲学の本なのか?
図書館で借りた本なのかラベルが貼られていた。
あたりを見ても誰もいない?
本の中身を見てみたいという好奇心も湧くが、それも出来ない・・・
その時、目に入ったのがひとつの説明板。
読んでみると“紫式部”の文字がある!
この辺りは、平安時代に大和国城下郡東郷「田中荘」で、「源氏物語」の作者紫式部の夫、藤原宣考の荘園でした。彼は、平安時代中期の官人で、父は権中納言藤原為輔、母は参議藤原守義の娘。官位は左衛門尉、六位蔵人、判官代、筑前守、右衛門佐・兼山城守に任じられ、999年(長保元年)46歳の時、又従姉妹の紫式部29歳と結婚し、同年末か翌年に娘・賢子が誕生。1001年(長保3年)山城守正五位で没。なお、「田中荘」は、後に「興福寺」の荘園でした。
まさか、 奈良盆地のど真ん中・国中(くんなか)で“紫式部”が登場するとは・・・
まだ梅雨明けの頃、昨日のブログ“鏡作神社”を探していた時、
その杜を間違えて、ひとつ北側の鎮守の森に入ってしまった。
その神社の名前は“八坂神社”。
詳しい場所は、奈良県磯城郡田原本町鍵。
鍵・唐古遺跡のすぐ南側の杜だった。
境内を散策するとベンチの上になにやら難しそうな本の山。
仏教の本というのかインド哲学の本なのか?
図書館で借りた本なのかラベルが貼られていた。
あたりを見ても誰もいない?
本の中身を見てみたいという好奇心も湧くが、それも出来ない・・・
その時、目に入ったのがひとつの説明板。
読んでみると“紫式部”の文字がある!
この辺りは、平安時代に大和国城下郡東郷「田中荘」で、「源氏物語」の作者紫式部の夫、藤原宣考の荘園でした。彼は、平安時代中期の官人で、父は権中納言藤原為輔、母は参議藤原守義の娘。官位は左衛門尉、六位蔵人、判官代、筑前守、右衛門佐・兼山城守に任じられ、999年(長保元年)46歳の時、又従姉妹の紫式部29歳と結婚し、同年末か翌年に娘・賢子が誕生。1001年(長保3年)山城守正五位で没。なお、「田中荘」は、後に「興福寺」の荘園でした。
まさか、 奈良盆地のど真ん中・国中(くんなか)で“紫式部”が登場するとは・・・
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