記録だけ 2009年度 76冊目
『子守り唄の誕生』
赤坂 憲雄 著
2006年1月10日
株 講談社
講談社学術文庫 1742
234ページ 900円+税
5月26日、二冊目は赤坂憲雄先生の『子守り唄の誕生』を楽しむことにした。
まず冒頭に『赤とんぼ』があげられている。
この『赤とんぼ』は長年私の心を悩ませていた歌だ。
とにかく寂しい。
赤坂憲雄先生や解説者の高畑氏は「観たような光景を思い浮かべる」と口を揃えられている。
確かに情景は時を刻みつつ悲しいまでに心にしみいる。
「ねぇやは 十五で嫁にゆき お里の便りも 絶え果てた」
この歌詞を聞いて寂しいお年寄りの方は多いのではないか、と取り越し苦労さえしていた。
ところがこの『ねぇや』は『姉』ではない。
口減らしのためによそに出された『子守り』だという。
子守りたちは自分の境遇を悲し実嘆く心を歌にする。
芋一つ呉れぬ雇い主を恨み、「子がどうなっても知らない」と歌うことにより鬱憤をはらす。
そうして五木の子守唄の歌詞にのせ、いろいろと歌われた子守唄も多い。
子守りたちが歌たった一例として、
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「わしが死んだとて 墓も無し」
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の歌詞が妙に私の心に食い込み、聞いていると切なくつらい。
子守りの多くは貧しい家の出で、たどり着いた村の一員としては認められなかった。
子守りが初潮を迎え青年団の男性が夜ばいでもしようものなら、村の女の子が馬鹿にしてその男をも相手にしないといったことさえあったという。
初潮を迎えた子守りの多くは村を追われ、いろいろなケースの人生を歩んだそうだ。
中には村の長者と結ばれるシンデレラ的伝説の子守りもいたらしいが、皆にやっかいみの子守りを歌いつがれたという。
赤坂憲雄先生は赤松啓介先生の文献などをしばしば例に挙げられ、肯定的な部分と否定的な部分を冷静に受け止め論じておられる。
なるほど、大阪から子守唄発祥と断定するにはいたらないと私も感じた。
赤坂憲雄先生の本はどの本を読んでも言葉の調べが美しい。
内容は論理的でわかりやすく解説してくださっているが、小説を読んでいるような錯覚に陥る。
この先生の本は宮田登先生と同じで続けて読んでゆきたいと感じている。
ところで上の写真は中国雲南省の麗江古城内でみたもの。
城内の人口川を挟んでたてられた飲食店同士が客、従業員とともに歌の掛け合いをしている。
顔は笑いながらだが、お互いに競い合って歌う。
私は今までこの本を読むまでは雲南省の少数民族の方が山中で実らぬ恋の歌を歌うのが元かと思っていた。
いわゆる歌垣に近いと感じていたのである。
ところが本処分中に出てくる『宇目の歌げんか』の話を読んでいるうちに、こちらに近いのではないだろうかとも思い始めたのである。
いずれにせよこの本の締めくくりには、子守唄は赤子に歌ったのではなく歌の内容が何であれ、異性に送られたのではないかとも考えられるニュアンスが記されていた。
私にとっては中国雲南省の歌の掛け合いを含めて、非常に興味深く思われる。
いずれ機会を設けて、この歌の掛け合いの深層は探るつもりであリ、今後の課題として温めておきたい。