5月5日 女の日 2
ではどうして、女の日だったものが子供の日になったのだろうか。
5月5日 女の日 1と若干重複しつつも、異なる内容が読み取れる。
端は初め、午は馬。
両方、縁起物のように感じるのだが、どういう訳か、中国では端午の節句は災いの日とされていた。
よって、5月5日には菖蒲や蓬を使って病気や災厄を祓う行事が古くから行なわれていた。
近松作品の『女殺油地獄』で、男が女の家(油屋)で、外の様子をうかがい戸を閉めたとたん、戸口上から菖蒲らしき植物が一本落ちる場面があることは 前にも述べた。
こういったことも 上にちなんだまじないの一つであると考えられる。
元は中国から来た厄よけ。
日本では鎌倉時代になると、[ 菖蒲 →『勝負』『尚武』]に語呂合わされたという。
後に、男の子中心の行事になって言ったとされる。
3月3日が雛祭りとして女の子の節供になっていくとともに、5月5日は男の子の節供として定着していったという説もあるのである。
つづく
ではどうして、女の日だったものが子供の日になったのだろうか。
5月5日 女の日 1と若干重複しつつも、異なる内容が読み取れる。
端は初め、午は馬。
両方、縁起物のように感じるのだが、どういう訳か、中国では端午の節句は災いの日とされていた。
よって、5月5日には菖蒲や蓬を使って病気や災厄を祓う行事が古くから行なわれていた。
近松作品の『女殺油地獄』で、男が女の家(油屋)で、外の様子をうかがい戸を閉めたとたん、戸口上から菖蒲らしき植物が一本落ちる場面があることは 前にも述べた。
こういったことも 上にちなんだまじないの一つであると考えられる。
元は中国から来た厄よけ。
日本では鎌倉時代になると、[ 菖蒲 →『勝負』『尚武』]に語呂合わされたという。
後に、男の子中心の行事になって言ったとされる。
3月3日が雛祭りとして女の子の節供になっていくとともに、5月5日は男の子の節供として定着していったという説もあるのである。
つづく
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