日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

白椿

2015-11-23 09:13:20 | 日記
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ  3:16 )



先日、母の実家の後継者の従姉妹の喪中ハガキが届きました。何と100歳だったのです。長岡京市の古い家ですが、家族葬でさせてもらったとのこと。心ばかりの物を送ったら電話で直継で、子供、孫、で分家にも知らせてないとのこと。今は本当に楽になりました。大勢来てもらっても同じ。



私は前にも書きました通り、母と長兄との年齢は17才も違い、そして私は結婚後14年の子ですから、ややこしい。長兄は分家して、次兄が後を継いだのです。(母屋)男子がいなくて長女が継いで100歳まで。晩年は足が悪くなりホームでした。大人しい穏やかな人でした。最後までボケないで、スーと枯れ葉が落ちる様に召されたとか。分家の叔父も30年前97歳で召され、入院したら、当時は97歳は珍しく、色んな人がどんなお爺さんか?と見に来たとか。「まあ、カイラシイおじいさんですね。」と言って帰られたとか。我が母は96歳ですが、ボケボケでした。でも年だけは、、、長生きですが、別に長生きが幸いでもないです、、



実家は長岡京市の山裾でしょうか?今ではもっと山の奥まで住宅地になり、何と御陵の傍まで建っています。京阪神の交通の便がよく、阪急等が以前は開きました。JRもあり、通勤に本当に便利です。高速も近い。それに山手で閑静ですから大人気。でもその実家の一角だけは今も昔のまま残っています。後ろが藪で近所も屋敷が広いので、実にノンビリ。よく母と行った思い出が蘇ります。



山裾の御陵に墓があり、よく墓参りに行ったものでした。山ですからそこに山野草が生え
今なら写真に撮るのですが、これまた尚なお長閑です。山の空気を一杯吸って、そうだ!宇治市も見えたのでした。だから私は山が好きなのでしょうか。棚田や農家がポツリ、ポツリとありましたっけ。



世が変るってこのことですね。でも前向きに生きましょう。
写真は今、庭に咲いている白椿です。

上の言葉
(十字架はイエスの愛の象徴です。世界中にあるこの十字架。でもその意味は、本当に理解が難しいかも。まずイエスを信じないと解らないですが。信じた人のみ永遠の命が頂けます。だから死も希望です。喜びです。
従姉妹は100歳でしたが、残念ながら永遠の命はありません。)、

野の道

2015-11-23 09:13:20 | 日記
あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。(イザヤ書30:20~21)



宇治田原の奥へ行きました。期待した柿は余り無かったですが、他は畑の隅にコスモスが植わっていました。手入れもされず、野の花と同じでしょうか。素朴なのもまたヨシ。





間もなく冬なのにまだコスモスが咲いているとは健気ですね。可愛いものです。







公園の様に手入れされてないですから、美しいのをピックアップするのが大変。



平地ですが、遠くの山を見るのは心安らぎます。







道べのごしゃごしゃの花ですが、強く生きています。



宇治田原の今回の章は終わりです。また20日に霧の無い時刻に行きましたので、また掲載したいです。

上の言葉
(神の霊は我々の回り、いたるところにいて下さるのです。それに気がつく人が誠に少ない。心の罪が邪魔をするので見えないのです。神様はいつも私達の心の扉をトントンとたたいて下さってるのに。一旦信じた人にはそれが解り、神がそらこの道だ、こちらだ、と導いて下さるのです。素直にした這えばの話ですが。)