日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

日野原重明先生の召天

2017-07-22 09:04:21 | 日記
「いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。」第二コリント4:10 



私の眼の治療の間に日野原先生は召されました。昨年だったか、京都レデイースランチョンの講師として来て下さる予定でしたが、来られなかったので、体調が悪いのかと予感がしていました。よくぞ現役で医師として良き働きをされたと、実に見習うべき方でしたね。年を重ねるのが嬉しいと言われ、天に希望を持つ時そうなんだ、と納得します。



先生は牧師の子として生まれ、自分もクリスチャン。主に忠実に生きられたと思います。終末医療に全力をかける。多くの良き働きでした。自分も最後を「ありがとう。」と言って死にたいと言ってられましたが、我々も感謝をもって、ありがとう、と言いこの世を去りたいものです。

目の中の水が無くなるのは今回は注射が遅れたので半月から1か月はかかると思います。いつもの様にまた快復を願っています。

上の言葉
イエス様の十字架は「死」と「いのち」の交差点です。主は私達の罪を負うてくださって、神様の刑罰を受けてくださいました。その結果が「死」です。言うならば私たちが死んだのです。後に、主は墓からよみがえって、新しい命の始まりとなりました。私たちもその命に生かされて生きるものとなりました。日々、キリストの死と一体化して、自分に死んで、よみがえりの命を頂き、生きる者となってください。(KE)