日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

紅葉 

2014-11-11 18:44:43 | 日記
そのあかしとは、神が私達に永遠の命を与えられたということ、そしてその命が御子の内にあるということです。(ヨハネ第一の手紙 5章11節)



これらの画像は7日に行った宇治植物公園です。まだ早かったのですが、良いとこ取りしてパチリしました。今ならかなり?紅葉前線も南下し、これから京都の街も賑わうでしょう。宇治市は最も遅いですが、宇治川縁も20日過ぎには染まるかも。興聖寺の庭は12月半ばまで綺麗でしょう。





ベンチに座り、和歌でも思いに耽ってられるのでしょうか。









木々の紅葉は命の最後を輝くのでしょう。私達も主にあって最後を、そして天国で輝かせて頂きたいものです。



昨日、教会のI兄が二番目のお兄さんが天に凱旋され、その葬儀に列席する為に、先月末カナダに行った証をして下さった。そのお兄さんは長年、カナダの6市の日本人教会の牧師や、ロンドンの日本人教会の牧師として神と人に仕えて来られたのです。5兄弟皆さん牧師、宣教師、牧師夫人として、献身して来られた。

今はカナダのロッキーより西の街で牧会されてました。クリスチャンの葬儀は暗さが無く、明るいです。やはり天国の希望がありますから。特に献身者として仕えて来た人は明るいでしょう。証を聞きながら慰められました。


ツタ紅葉と実

2014-11-09 07:59:59 | 日記
あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ 46:4) 



宇治植にツタが紅葉してるのが何故か惹かれました。逞しいですね。







暑さにも寒さにも強く、何処までも伸びて行きます。しかし余り増え過ぎ、自分の家なら先を刈るのが大変と思います。



ナナカマドです。先日に行った志賀高原の渋峠では既に枯れて無かったです。今では一帯が霧氷が出て、一面白とか。同じ日本でも差の大きさに戸惑います。宇治植のナナカマドはまだ葉は緑。冬が丁度見頃で葉も実も真っ赤です。





秋は実のりですね。赤い実がよく見られます。この実の名前は?書とめば良かった。中国からの輸入らしいです。

時々TVを見て、私、働いてない!なんて思います。アラー年齢的にいつの間にかバーバになってるのだ!いつまでも気は若い者です。気がつかないとは。。。主にいつか背負って頂きましょう。今も背負って頂いてるかも。

紅葉のはじまり。

2014-11-07 18:22:14 | 日記
貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。(ルカの福音書6章20節)



旅の写真もまだありますが、新聞で京都永観堂が真っ赤の報道。遠くは行けないから近くの宇治植物公園へ行きました。宇治市は京都市よりまだ紅葉が遅いですが、この宇治植(宇治植物公園)は早いのです。着けばもう早モミジも染まって来ました。以前は紅葉と言えばこんな葉先ばかり撮っていました。何故風景の紅葉も撮らなかったのか?不思議です。



ツタも紅葉しています。案外美しいものですね。



けあきです。薄らとした色彩で見とれました。



晩秋の風情です。いつの間にやらこんな風景になりました。



菊花展をしていました。人出も今日は多いです。





まだコスモスや野菊が咲いています。コスモスは優しい花ですが、どうも苦手。花写真の撮り方を忘れたのでしょうか。フイルムの味わいがどうしても出ないです。フォーマットの高いカメラを買えば良いのですが、手が出ません。



小さな池には枯れ葉が。

上の御言葉は、貧しい人とは、心が飢え渇き、神様を求めて喘いでいる人をいいます。この世の裕福な人、社会的な権力者、自信家は神を必要としないかも解りません。その中には何らかで飢え渇いている人もあるかも解りません。誠に飢え渇き、神を求める人は本当の幸いがやって来ます。


奥志賀への道

2014-11-04 18:41:30 | 日記
あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。(ルカの福音者6章27節)



この山上の垂訓を久し振りに読み、涙の出る思いです。そう、過って家族の諍いがある時、もう34年も前でしょうか。信仰を持った頃です。自分を愛してくれる者を愛するのは誰でもやれる。愛してくれず、敵対する者を、信仰による聖霊の御力で愛してこそ、平和が来ると教えられました。聖書を握りしめ涙を呑んで、赦したものです。その後家庭に平和が訪れました。愛するというより、言いかえしをしないで、黙って笑顔でいたのが実情だったと思います。(キツイ母の事ですが。)



当時は母と夫の間が険悪だったのです。もう遠い昔の事ですが。人間関係は難しいものです。今では親子3代住むのは珍しいですが、以前は当然の事で、旨くいけば良いですが、家庭内の諍いはそれこそ、針のムシロでした。



これらの画像は志賀高原の蓮池から奥志賀への道です。大沼池へも行きたかったのですが、細い欝蒼とした道を4キロ行かなきゃいけない。多くの人と一緒ならいいけど、ちょっと怖くて辞めました。凄く美しい池らしいので、次回に是非。



発哺温泉という名称の温泉地があり、幹線道路から入りました。多くの旅館がありびっくり。ここから高山植物園があり春は良さそうです。再び幹線道路にでました。



この辺りは標高千m位でしょうか。まだ紅葉が綺麗です。





この道路を少し行けば、奥志賀へは直ぐの様です。そこへは1昨年連れて頂いたので、引き換えしました。





これで志賀高原は終わりです。美しくてまた来年の春には是非行きたいものです。列車と車少しで標高2170mまで登れるのですから。健康が守られ再び!!


移り行く人と世 (志賀高原 丸池)

2014-11-02 18:45:24 | 日記
人はみな草のようでその栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし主のことばは、とこしえに変わることがない。(Ⅰペテロの手紙1章24,25節)



ホームページを始めて11年8か月。随分長く経ったものです。随分解らせて頂き、楽しませて頂きました。でも~リンクした方々は、初め6件程私から「リンクをお願します。」なんて今から思うとプロ級の写真サイトの方に厚かましく伺ったものです。その後は私の様な者に向こうさんから、「リンクを。」と言って下さって喜んだものです。近年は掲示板も眼の為に閉じて、リンクは無くなりました。



しかし年と共に、体調を崩した方。事情で閉鎖の方。中には召された方もある。私も眼の為にネットサーフインしなかったら、何と4件の方が閉鎖してられビックリ!その中の御一人は体調を崩してられるのは知ってました。色々写真の事を教わった方。今日、4件を削除しました。寂しいですが仕方無い事でもありますね。



今日は礼拝。その後報告で、3名の方が信仰告白されました。(キリストを信じ、クリスチャンになられること。)嬉しいです。その中に親しい姉妹の御主人もおられます。しかしT兄は一人暮らしなのに、怪我をされ、大腿骨を骨折されたとか!1昨年長女を無くされ、昨年突然奥さんを無くされました。悲しくて、神様、どうしてですか!?と問いたいです。またA姉の御主人は悪性の癌とか。完治はしない様です。牧師が最後に祈られました。



隣りに座った80歳余りの婦人と話す。その方は80歳になればシンドイと言われる。それは色んな方から聞きます。そうなんだ。人の世は移り行くもの。親戚でも世代が変って来てます。いつも同じでは決してない。



その80代の婦人と、「でも私達天国行ですから、どんな事が起きてもいいですよね!」と話ました。どんな事が起きるか解らない人生。キリストの光を浴びて、いつも平安でありたいものです。



これ等の画像は志賀高原の丸池です。ウンザリされると思いますが、まだありました。後もう少しです。