日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

野も山も紅葉

2016-11-25 18:10:32 | 日記
「どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、」エペソ3:20




今日は滋賀県、近江八幡市のかなり田舎にある、隠れた紅葉の名所、教林坊へ行ってきました。よく写真の友が行かれ噂では聞いていましたが、素晴らしい紅葉でした。京都の紅葉では大勢でゆっくり出来ませんから滋賀県の方がいいです。今や野も山も紅葉で綺麗ですね。 この画像は宇治田原で、まだ整理が出来ません。



晩秋ですね。ススキが溢れるばかり。



山は黄葉ですが、滋賀県も綺麗でした。宇治田原も綺麗でした。

上の言葉
わたしたちが願うことは小さな頭で考えたことであって、先のことまで見通した結果ではありません。それを忘れて、自分の考えが絶対正しくて間違いないと思っています。神様はすべてのことを知り尽くして、あなたに最善をしておられます。今日も自分の浅はかな考えに固執せず、主の導きにゆだねましょう。(KE)

近くの公園の紅葉

2016-11-24 08:55:34 | 日記
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」ガラテヤ6:7



先日、隣の町を通ってますと小さな児童公園が素晴らしい紅葉で染まっています。そして小さな子供達とお母さんが。思わず丁度カメラを持ってましたので、撮らせて頂きました。



空も美しい。銀杏もいいものですね。



子供とお母さん。秋の日和にベストショット。





赤い紅葉に思わず嬉しくなります。



またお年寄りのゲートボール?皆さん楽しんでますね。



まだ本当の紅葉写真は撮りに行けてないのです。苔のあるお庭の紅葉に行きたいものです。宇治にあるのに灯台元暗らしでしょうか。

上の言葉
「侮る」とは「軽くみる」、「尊ばない」ことです。神様は目に見えず声も聞こえないので、まるでいないかのように思ってしまいます。そのため、神様を忘れ、軽んじて、自分の欲情にかられて生活するようになります。しかし、神様は決して無能無力な方ではありません。それどころか、全てのことを見ておられ、必ず報いなさる方です。私達の一挙手一投足ことごとくが知られているのです。(KE)

山の紅葉

2016-11-23 08:21:47 | 日記
「主は旗をあげて遠くから一つの国民を招き、地の果から彼らを呼ばれる。見よ、彼らは走って、すみやかに来る。」イザヤ5:26



先日の宇治田原ですが、山も紅葉していました。志賀高原を見て来ましたから随分違いますが、これもまたヨシです。柿は赤いですが、山の上には殆どありません。だから黄葉に近いです。



山の向こうは何処なんでしょう。和束?滋賀県?奈良かな?余り考えた事がありませんでした。



ススキも見頃ですね。今は京都では紅葉の見頃らしいです。さて行けるか解りません。宇治は遅いので宇治なら行けるでしょう。





この下は谷です。低い山ですが、起伏に富んでいます。

上の言葉
まもなく待降節を迎え、イエス様の御降誕を記念し祝うときとなります。主は私達の罪のゆえに、神の位を離れて世に来てくださいました。その目的は十字架の死です。それによって罪の完全な許しを完成し、イエス様を救い主と信じ従う人々を一つの民としてくださったのです。十字架を掲げて「旗」とされました。この旗を見上げて主の御許に勇んで集い、主のご降誕を心から感謝しましょう。(KE)

津波警報とは!

2016-11-22 08:03:27 | 日記
「あなたの目は、まっすぐに正面を見、あなたのまぶたはあなたの前を、まっすぐに見よ。」箴言4:25



今朝東北でまたマグネチュ-ド7以上で、津波警報が発令された。同じ地方でどうして、といいたいですが、地盤が弱く、なってますし、やっと復興にこぎついた港もあり、悲しいですね。小規模と思いますが。



ドライアイの検査をして、直ぐ近くに梨木神社があり、出かけました。落ち着いた神社ですが、萩が全体を覆っている感じでした。残念ながらお昼なので花はしぼんでいます。それが残念です。



地味な神社ですが、静かで落ち着きます。ドライアイは瞳孔を開かないですから、ちょっと散歩が出来ます。



神社には決まってこんな灯篭がありますね。



上の言葉
日本人は相手の目を見て話をするのが苦手です。また、相手をじっと見詰めるのは失礼なことと思っています。しかし、相手を見ることは相手に対して礼儀正しいことではないでしょうか。正面に真っ直ぐ顔を向けるには心にやましさや後ろめたさがあってはできません。いつでもどんなことにも、常に正面を真っ直ぐに見ることが出来るように、心を整えておきたいものです。それが神様に向かう姿勢です。(KE)

京都駅

2016-11-21 08:08:41 | 日記
「種まきは御言をまくのである。」マルコ4:14



気分を変えて、、、先日はドライアイの検診で京都駅からバスで行ったのです。そこでコンデジの出番でして、少しパチリを。



モデルさんは綺麗ですね。デパートでした。



いやでも京都タワーがウインドウに映ります。これが都会の面白さでしょうか。





ビルの壁に映る人達。このところ外国人が多くなり、多くの外国語が飛び交う京都駅です。人の出入りが何と多くなった事でしょう。



この京都タワーは反対が多かったですが、今や、他の都会から比べ低いものです。



ドライアイは感謝な事に癒され、多かった傷も無くなったとのこと。良かった!黄班変性は眼の奥。ドライアイは表面。こんなにややこしい目ではおおじょうしますから。

上の言葉
 イエス様の語った「種まき」のたとえ話の一節です。神様の言(ことば)を種に譬えました。種は見栄えのしない小さな粒です。これが土に埋められ、湿気と温度によって分解し芽が出て根が伸び大きく育ちます。種の中に「いのち」が宿っているからです。命のないものを土に埋めれば腐敗しておしまいです。神様のことばもそれと同じで、聞いた言が心に埋められると、やがて新しい力を発揮して、私達のいのちとなります。(KE)